生贄の花嫁は、孤独な悪しき神に愛される

真風月花

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四章

1、捨てられるのかな

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 家代わりにしている坑道跡で、螢は横たわっていた。もう何日、こうしているだろう。
 寝ているか、まどろんでいるか、そのどちらかだ。
 蝋燭も灯していないから、今が昼なのか夜なのかも分からない。

 何も食べていないし、飲んでもいない。なのに生き続けているのは、空蝉の力のせいだろう。

「弟のような従弟いとこが結婚したのならば、ふつうは喜ぶものではないのか?」
「そうね」

 空蝉の指摘は正しい。正しくて、嫌になる。
 春見に対する気持ちを恋とは思わない。でも、ずっと慕ってくれていたのだ。
 その気持ちは失われないと、勝手に信じていたのだ。

 あのきれいな花嫁さんにも、春見は花毬を作ってあげるのだろうか。

「……わたしは春見を独占したかったのね」

 こんな我儘な気持ち、春見にとっては迷惑だ。

 力なく横たわる螢の上体を、空蝉が起こす。
 彼の腕の中に、螢の体はすっぽりと収まった。

「……食べてもおいしくないわよ」
「そうであろうな。きっと腹を壊す」
「そうね。あなたの好物は甘美な思いだものね。おいしくないわたしなんて、もういらないわね」
「なるほど、確かに」

 それまで抱えていた螢から、空蝉は手を離した。無言で立ち上がると、坑道跡の入り口へと向かう。
 ふり返りもせずに、空蝉は外へ出ていった。

(ああ、捨てられるんだ。わたし)

 花嫁だなんて、嘘ばっかり。
 元々食糧でしかなかったのだから。食べる価値がなくなれば、手元に置く意味もない。

 瞼を閉じた螢は、遠い日のことを思いだしていた。

◇◇◇

 あれは、小学生の頃。

 紺田村の丘には一面の桜が咲いていて、村人が花見を楽しんでいた。
 暮れゆく空。丘には雪洞ぼんぼりが灯され、大人たちは花見酒に興じていた。
 村には珍しい賑やかな夜。そんな中、螢と春見はぽつんと立っていた。

「螢ちゃん。もう帰ろ?」
「でも、お母さんがここにいるようにって言ったの。春見はもう家に帰ってなさい。おばさんが心配するわ」

 六年生になったばかりの螢の服を、春見が引っ張った。
 春とはいえ夜は肌寒い。何度帰るようにいっても、春見は螢の側を離れなかった。

 今日は、新しいお父さんを紹介してもらう日だ。

 すごく緊張する。
 だって、これまでずっとお母さんと二人きりだったから。
 黒羽の本家のおじさんは、螢を気にかけてくれるけれど。でも、結局は秋杜と春見の父親で、螢にとっては親戚でしかない。

「ね、わたしにもお父さんができるんだよ」

 すごいでしょ、と螢は微笑んだ。まだ七歳の春見には事情がよく分からないらしく、首を傾げるばかりだ。

「どんな人かな。おじさんみたいに優しい人かな。お母さんに教えてもらった花毬はなまりを作ってあげたら、喜ぶかな」
「花毬って、れんげ草とか白詰め草で作る丸くて、かわいいの?」
「そうよ。今度、春見にも作ってあげるわね」

「……でも、おにいちゃんがいやがるかも」
「そうね」

 二人して声を落として、うつむく。

「おそいね、お母さん」
「おっと、ごめんよ」

 酔いが回ってふらついた男が、螢にぶつかった。
 彼が手に持っているカップ酒がこぼれ、螢の服にかかった。

「あっ!」

 思わぬ事態に螢は声を上げた。
 どうしよう。右肩の辺りがびしょ濡れだ。しかもお酒のにおいまでする。

「いやー、水も滴るいい女って感じかぁ。お嬢ちゃんも、もうちっと大人だったらなぁ。相手してやんのによぉ」

 がはは、と笑いながら男は螢の頭をくしゃくしゃに撫でた。
 男は謝ろうともしない。それどころか、にやけて顔で螢を眺めている。
 まるで品定めでもするかのように。

 きちんと櫛でとかした髪も、乱れてしまった。螢は両手でスカートを握りしめた。

(早く来て、お母さん。ああ、だめ。こんなみっともない姿を新しいお父さんには見せられない)

 きっとお母さんは怒らない。
 でも、困ったような寂しいような顔をする。がっかりさせてしまう。

「螢ちゃん。これ、着て」

 春見は、自分が着ていたカーディガンを脱いで渡した。秋杜のお下がりだというカーディガンは、春見には袖が長い。

「いいのよ。春見が風邪をひいちゃうわ。この時季は疫神が病をまき散らすっていうのよ。春見が病気になるのはいやよ」
「でも、寒いでしょ? 濡れてるもん」

 幼いのに、春見はよく物事の本質を見抜いている。

「ほら、そこのお兄さんも心配してるよ」
「お兄さん? そんな人、どこにも」
「目が赤く充血してるお兄さん」

 螢はふり返ったけれど、そこには誰も立っていなかった。
 突然、春見が螢に抱きついてきた。

「春見? どうしたの」
「ふーんだ。離れてやんないもん。螢ちゃんのこと、あげないもーんだ」

 地面に落ちたカーディガン。あまりにもしっかりと春見がしがみついてくるから、引き離すこともできなかった。

「わたしは誰かのものになんて、ならないわよ」
「ぼくの螢ちゃんだから。ぼくのだよ」
「はいはい」

 春見の子どもっぽい所有欲は、螢に新しい父親ができるせいだろう。
 家族が増えても、従姉弟であることに変わりはないのに。

 こほ、こほん。春見が咳きこんだ。

「だめよ、ちゃんと着てなくちゃ。わたしは一人で待っているから、家に帰りなさい。明日、また本家に行くわ。その時に会いましょう」
「じゃあ、花毬の作り方、教えてね。約束だよ」

 春見が小指をさしだしてきた。
 指きりをすると、春見は満足そうに微笑んで帰っていった。
 カーディガンを腕に抱えて。

 夜風に花が散る。螢はぶるっと身を震わせた。

――もう待たずともよいぞ。

 空耳だろうか。耳元で囁かれたが、近くに人はいない。
 ふと、誰かに肩を抱かれた気がしたけれど。でも、寒さは深まるばかりで。

 花見の人が帰ってしまっても、雪洞の明かりが消えても。
 螢はずっと丘で待ち続けた。

 そして、その夜を境に、母は姿を消した。

 父親になる男が、子どもが嫌いなのだと人づてに聞いたのは、ずっと後になってからのことだ。

 何度も何度も夢に見た。桜を照らす雪洞が一つ、また一つ消えるたびに、希望が失われる様を。
 そして春見さえも闇に溶けるように、消えていった。

 現実の春見はひどい風邪をひき、肺炎を併発していた。
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