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二章

1、名前を呼べ

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 どこへ行けばいいのかも分からない。
 螢はただ走った。

 丘の方から、騒ぐ声や怒鳴る声が風に乗って届く。

 だめだ。止まっては。きっと殺される。

 流れる汗が目に入り、ひどくしみる。制服は体にはりつき、翻るスカートの裾が足に当たって痛い。

「なにを逃げることがある。私に頼めば、村人全員を滅ぼすこともできるというのに」
「やめて。そんなこと、言わないで」

 耳をふさいでも、頭の中に響く声を止めることはできない。
 遠くへ。とにかく遠くへ。

 たどり着いたのは駅だった。
 木造の駅舎に掛けられている時計と時刻表を確認する。あと五分ほどで汽車が来る。

 一日に数本しか通っていない汽車だ。
 運が良かった。

「ほう、無賃乗車するつもりか。なかなか面白い花嫁だ」
「ついてこないでよ」
「無理を言うな。そなたが私を受け入れたのであろうに」
「望んだことではないわ」

 あれは、春見を救いたかったから。彼を人殺しにしたくなかったから。
 それ以外に理由なんてない。花嫁になりたかったわけじゃない。

「螢。そなたはこれまでの依代と違い、諦めることを知らぬ。もっと無駄にあがいて、私を楽しませろ」

 螢は自分の耳を引っ掻いた。
 もし、この嫌味な声が聞こえなくなるのなら、両耳をちぎってしまいたい。

 黒煙を上げながら、汽車がホームに入ってきた。
 乗ったらすぐに隠れて、車掌に見つからないようにしないといけない。

 機関車の後ろに連なる客車の扉は、開いたままだ。
 降りてくる人に紛れ、汽車に飛び乗る。

「そなた、どこへ行くつもりだ」
「どこだっていいでしょう。どうせ話しても話さなくても、あなたはついてくるんだから」
空蝉うつせみ、と呼べ」

 客車と客車をつなぐ連結部分に螢は立った。

 カタン、カタンと線路と線路の継ぎ目の音と聞こえる。吹く風は花の香りを含んで甘いのに、機関車が吐くすすけたにおいにかき消される。

 このまま終点の手前で降りれば、江戸時代の銀山がある。
 今はもう銀の採掘は行われていない。
 主な坑道以外にも、小さな坑道や洞窟があるらしいから。そこへ逃げ込めば、大丈夫だろう。

「あなたはどこから来たの?」

 切られたばかりの髪が、ばさばさと風になびく。螢は手で髪を押さえながら、問いかけた。
 先の見えない不安に、黙っているのが怖いから。

「空蝉といっているだろうが」
「別にいいじゃない、名前くらい」

 ふっと身が軽くなったと思うと、螢はよろめいた。顔を上げると、連結部分に銀の髪の青年が立っていた。

「離れられるなら、わたしの中に入ってこないでよ」
「名前を呼べと言っている」

 その時だった。激しい衝撃に螢は線路に投げ出されそうになった。
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