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一章

3、高利貸しやないで

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 俺は混乱しとった。
 名原組の組長の血縁である俺は「幾久司いくじ。知り合いの娘さんが厄介なことに巻き込まれとう。お前、ちょっと行って助けてこい」と組長から頼まれたんや。
 革張りの立派なソファーに腰を下ろした組長は、大叔父であると共に、早くに亡くなった親代わりや。

 なんでも「銀行を装った高利貸しに、知人が騙されたとったんや」「従業員が金を持ち逃げしてなぁ、不渡りを出してしもたんや」とか、なんとか説明された。
 高利貸しの屋号を聞いたら、有名な悪徳業者やった。

 いや、関係ないやん。
 そもそも俺の知り合いとちゃうし。
 面倒なことが嫌いな俺は(というか面倒ごとが好きな奴なんかおらんやろ)引き受けるんが嫌やった。

「そういう面倒なんはねえさんが行ったらええやん。女のことは女同士やろ?」

 俺の言葉に、伯母の雪野は赤い唇で綺麗に微笑んだ。綺麗な灰青の小袖を着て、なんや珍しい象の帯を締めて組長の後ろに立っとう。
 象ってあれやんな、ぱおんとかいう鼻のえらい長い動物。

「面倒やからあんたが行くんやん。私みたいなんが行ったら、お嬢さんは脅えるやろ」
「けど、俺は女の子のこととか分からへんで」
「平気平気、あんた野良猫拾うん、好きやんか」

 雪野姐ゆきのねえはひらひらと手を振った。そのせいで、白檀の香りが辺りに漂う。
 俺も面倒くさがりやけど、姐さんも大概やで。
 そもそも野良猫を拾っても、俺が無精者なもんやから。他にもっと待遇のええ家を見つけて出ていくもんなぁ。

 そういういきさつで、ろくに事情も知らされんとこの水野家にやって来たわけやけど。
 うちの組はあかんよな、連絡がうまくいってへん。

 多分、組長も姐さんも俺も面倒くさがりやからやろ。

 しかし困ったなぁ。この貴世子っていうお嬢さんは、俺のことを借金の取り立てやと思とる。しかも担保がこの屋敷やって?

 うーん。颱風の暴風雨の中で土下座するくらい困っとんやったら、助けてやりたいけど。
 そもそも、高利貸しの取り立ては今日くるんか?
 この子を安全な所へ連れて行ったらええんか、或いはそいつらを叩きのめしたらええんか。どっちやねん。

 今は何時やろ。そう思て懐中時計を見ると、六時を過ぎとった。
 本来なら夕暮れ時やろに。
 重く垂れこめた雲から、滝のような雨が降るから。もっと夜のように思えた。

 急いで中に入ろうとするんやけど。肩に担いどう貴世子が、足をばたつかせるし、髪を毟ろうとするし散々や。その度に濡れた三つ編みが跳ねて当たって、そこそこ痛い。
 言うこと聞かへん子ぉやで。君は野良猫か。

「はいはい、中に入ってもう一回乾かそな」
「離してください。まだちゃんとお願いをしていません」
「いや、もう充分やろ。嵐の中で土下座されて、無視できるほど俺は人でなしとちゃうで」

 組長と雪野姐から押しつけられた面倒な仕事やと鬱陶しかったけど。
 今は、この子を厄介事から守ってやりたいと思た。
 心からそう思たんや。

 颱風の中を出歩くからと、ふかふかの手拭いを多めに持ってきといてよかった。
 この家の手拭いは、どれも擦り切れとうからな。

 強風が吹くたびに明滅する電燈の下で、俺は周囲を見渡した。
 えらい立派な桐の箪笥。さっき手拭いを探すときにそこも開いたけど、中は空っぽやった。
 樟脳の匂いだけが残っとって。ああ、ここには奥さんの高価な着物がぎょうさん入っとったんやな、もう全部売り払った後なんやなと寂しい気分になった。

 今、力なく畳に座りこんどう貴世子って子もそうや。
 ええとこのお嬢さんやのに、単衣の袖は擦り切れて、手も指もかさついとう。

 手ぬぐいの入っとった箪笥には、彼女の物らしい着物と襦袢やら足袋があったけど。
 どれも品は良いものばかりやのに、ほんの少しの数しかなかった。

 苦労しとんやな。
 なにもこの子が悪いわけやないのに。

 轟とひときわ強い風が吹き、雨戸がガタガタと音を立てた。
 貴世子は「きゃあ」と声を上げて、耳を塞いで小さくなっとう。

 ああ、あかんなぁ。
 放っておかれへん。
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