女學生のお嬢さまはヤクザに溺愛され、困惑しています

真風月花

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八章

15、間遠

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 琥太郎さんに初めてできたお友達は、小さな体には遠い距離であるのに、高瀬さんの家とうちの三條家を毎日のように行き来していました。

 最初は借りてきた猫と云われていた欧之丞さんも、今では慣れたのかよく喋りよく笑い、組の皆に可愛がられています。
 色の白い琥太郎さんも外遊びが増えたので、健康的に日焼けしています。夏の陽射しを二人して一身に受け、池の鯉が驚くのも構わずにブリキのバケツや柄杓で水を汲んではお庭に撒くのです。

 子ども達の短かく濃い影が地面に落ちる頃、わたしはお庭に落ちたままになっている小さな麦わら帽子を二つ、拾い上げました。

「おかーさぁん、どろどろになったぁ」
「いとおばさぁん、こたにいがどろどろになった」

 なぜか欧之丞さんだけは着ている服も足許もきれいなままで、ずぶ濡れになった琥太郎さんの手を引っ張っています。
 縁側にそのまま座ると、琥太郎さんの場所だけがじんわりと水が染みて床が焦げ茶の色に染まりました。

「もしかして」
「もしかして、なに?」
「いいえ、何でもないんですよ」

 笑顔で我が子に答えながらも、もしかして琥太郎さんはわたしに似て動きが鈍い……いえ、俊敏ではないのかもしれません。

 子ども達に夏みかんのジェリィを出してあげます。甘いものが苦手な欧之丞さんですが、檸檬や夏みかんのような酸っぱいものは好きなようで、よく食べてくれるのです。

「ほらみて、ぷるぷるしとう」
「こっちのほうがもっとぷるぷるしてるもん」

 琥太郎さんと欧之丞さんは、それぞれの硝子のお皿を高く掲げ、橙色に透明なゼリィを揺らしています。
 まるで午後の日光をゼリィの中に閉じ込めているように思え、その眩しさにわたしは目を細めました。

 けれどその日を境に、欧之丞さんはうちに来なくなったのです。
 
「ヤクザの家に行くなと、親に注意されたんやろか」

 欧之丞さんが訪れなくなって六日。帰宅した蒼一郎さんが浴衣に着替えながら、ぽつりと零しました。

 夏の遅い夕暮れで、まだ室内には明かりを灯していません。淡い紫に染まる室内は静かで、蒼一郎さんの小さな声は縁側から吹き込む夕風に紛れてしまいます。

 三條家は堅気ではないので、琥太郎さんには近所にお友達もいません。住民との間に軋轢はないように組の誰もが気を遣い、注意を払って暮らしているのですが。それでも胸襟を開いて仲よくというわけにはいかないのは当然です。

 伏せた瞼と睫毛の隙間から、蒼一郎さんの瞳が揺らいでいるのが分かります。
 自分にも、友達と呼べる人はいないのだと、声にならない彼の言葉が聞こえるのです。

「あかんな。琥太郎が見限られたとか、そういうんばっかり考えてしまう。もしかしたら気まぐれで来ぉへんだけかもしれへんのにな」

 近くの神社の杜から聞こえてくるひぐらしの寂しげな声。わたしは蒼一郎さんに何と返してよいのか分かりませんでした。

 きっと蒼一郎さんも、友人と訣別したことがおありなのでしょう。書を読むのを好み、短歌を詠むのを趣味になさっている蒼一郎さんは、明らかに任侠の世界では浮いています。

 でも、もし坊やが熱でも出しているのなら、夏風邪でも引いて寝込んでいるのなら、せめてお見舞いだけでも。
 蒼一郎さんやわたし、それに琥太郎さんと会わせたくないとご家族が渋っても、欧之丞さんを心配する自由は、誰にも止められません。
 会うことが叶わないのなら、お清さんに手紙を託すことだってできます。

 衣紋掛えもんかけにかけた蒼一郎さんの京鼠きょうねず色の単衣ひとえを、衣桁いこうに吊るしながら、わたしは頷きました。

「欧之丞さんの様子を、見に行ってみませんか? 風邪をひいて退屈しているかもしれませんよ」
「それもそうか。うん、ええな」

 ご自分が健康そのものの蒼一郎さんには、体調を崩して寝込むという考えはそもそもなかったようです。からりと晴れた笑顔を浮かべ、少し硬い音を立てながら浴衣の帯を締めました。

「せやな、ほんのちょっと風邪をひいて、お清さんが出かけたらあかんて止めてる可能性もあるもんな。うん、そうやわ」

 けれどわたし達のささやかな期待は裏切られました。

 翌日、帰宅したら一緒に高瀬家を訪れようという蒼一郎さんを待たずに、わたしと琥太郎さんは組の波多野さんを伴って欧之丞さんの家を尋ねました。
 胸騒ぎがしたのです。ざわざわと。

 決して一度も口にも出さない、頭で考えることすらしないように注意を払っていた事態。欧之丞さんが親から暴力を振るわれている。それが起こっていたのでした。
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