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八章

1、小正月

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 松の内も終わり、そろそろ小正月も近い頃。
 俺は用事を終えて家に戻って来た。
 
 山から吹き下ろす風は、芯から冷えるほどに寒く。山地の頂上辺りは雲に隠れてしもとう。

「山の上は雪かぁ」

 風に乗って雪が下まで運ばれるんか、ちらちらと雲母きららのかけらみたいな小雪が水たまりに落ちては、儚く消えていく。
 吸い込まれて、水に戻っていくように。

「水に降る雪 白うは言はじ 消え消ゆるとも」

 頭の隅に残っていた古い詞を、ぽつりと呟く。
 そして、小さく苦笑した。

 想いを伝えずに、けれども自分が消えても想いは残る。
 そんな儚くて一途な想いは、自分には似合わへんよな。

「まぁ、俺の場合は図太くて一途やからな」

 しかし寒いなぁ。

 大気はこごったように、きんと冷たくて。空に垂れこめる雲は、灰色やら暁鼠あかつきねずの色やら、炭のような色が幾重にも重なってる。
 ほんまに重たそうな雲や。

 午後やというのに、道の端にはまだ霜柱が残っとった。多分、建物の影になってるせいやろ。

 珍しく霜柱を踏んでみると、ざくざくと硬い感触がした。

「面白いなぁ。ガキの頃は、こんなんさせてもらわれへんかったからなぁ」

 ざくざく。ざくざく。儚い針みたいな氷の集まりは、俺の所為で脆くも崩れ去る。

 うん。水に降る雪の対極やな、俺は。

 子どもの頃に霜柱で遊んでたら、よう親父に怒られた。

――ガキみたいなことをするな。と。

 今考えたら、おかしいよなぁ。あの頃の俺は、たぶん三歳か四歳くらいやったで?
 ものすごいガキの年齢やん。納得いかんわ。
 堅気の子どもやなかったら、子どもの遊びをしたらあかんのかーって。

 我が家の築地塀の横を進むと、門の辺りに少年二人の姿が見えた。
 半纏を着て、注連しめ飾りの入った籠を背負っている。

 ああ、とんど焼きか。

 その子らは、怖々しながら組員から注連飾りを受け取って、ぎこちなく頭を下げた。

「で……では、し、しつれい、しまふ」
「おあずかり、しま、す」

 あーあ、せめて波多野が応対に出たら、もっと和やかやのに。
 うちは市井の皆さんに対しては、怖いヤクザとちゃうんやで。

「寒い中、わざわざありがとうございます」

 琥太郎を抱っこした絲さんが出てきて、少年らに紙で包んだものをあげた。
 多分、飴とかこんぺいとうやろ。

 絲さんが微笑むと、それまで強張った顔をしとった子どもらの雰囲気が緩むのが伝わってきた。
 せやなぁ。その気持ち、分かるわ。

「赤ちゃんや」
「この赤ちゃんもヤクザなんですか?」

 少年二人が、琥太郎の顔を覗きこむ。絲さんの身長が低いから、背伸びをする必要もない。

 斜め上の質問や。子どもって面白いなぁ。

「え? そうね、今のところは違うけれど。普通の子どもよ」
「触ってもええ?」
「ぼくもー」

 強面の組員には言えへんことでも、雰囲気の柔らかい絲さんには頼めるみたいや。
 急に琥太郎は人気者になった。

 琥太郎は人見知りもせんと、おとなしく子どもらに撫でられとった。

 面白そうやから、俺はそーっと門に近づいた。

「じゃあなー」
「とんど焼きに来てなぁ。鏡餅、焼くんや」

 穏やかな絲さんとおとなしい琥太郎に気を良くしたのか、子どもらは手を振って笑顔で帰っていった。
 小さい背中が道の向こうに消えていったその時や。
 琥太郎が、火が付いたように泣きだしたんや。

「え? どうしたの琥太郎さん」

 突然の我が子の豹変に、絲さんは腕の中の琥太郎をあやしている。
 お腹が空いているわけでも、おむつが濡れたわけでもなさそうやった。

「もしかして、琥太郎は我慢しとったんとちゃうか?」
「我慢? 何をでしょうか。あ、お帰りなさい、蒼一郎さん」

 よしよし、と琥太郎の頭を撫でながら絲さんが俺を見上げてくる。
 小雪まじりの風が、彼女の着物の袂を翻す。琥太郎と一緒に火鉢に当たっとったんか、温かな匂いがふわっと漂う。

 俺は絲さんの肩を抱いて、玄関の中へと誘った。
 
「さっきの子らが、うちのもんを見て怖がっとったやろ。琥太郎は、あの子らを見て怖がっとったんや」
「でも、おとなしく撫でてもらっていましたよ」
「我慢しとったんや、怖いんを。なーあ? 琥太郎」

 俺が琥太郎を抱き上げると、琥太郎は目に涙を浮かべたまま、小さい足で俺の胸を蹴飛ばしてきた。

 ぺしぺしと音がする。もちろん全然痛ないで。

「お、俺の言葉が分かっとんか? まだ生後半年やのに、琥太郎は賢いなぁ」
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