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七章

15、月が照らす廊下【1】

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「大丈夫やで。元気な子を産んで、絲さんも体調が戻ったら、はよ家に戻ろな」
「はい」
「俺なんか、赤ん坊の靴下をたくさん編んでしもたわ。ひざ掛けと違て、小さいからすぐに編めるねん」

「まぁ」と絲さんは微笑んだ。
 俺も微笑みを返した。俺はちゃんと笑えてるやろか。笑ってるように、絲さんに見えるやろか。

 けど……多分絲さんもおんなじことを考えてる気がする。
 陣痛はまだみたいやけど。それでも、出血に伴う痛みはあるはずや。
 俺の言葉に笑ってくれる絲さんが、あまりにも儚くて。泣きたくなった。

 俺は寝台に横たわる絲さんの手を握った。
 言葉にはせぇへんかったのに、絲さんは容易く俺の心を読んでしまう。

「麻酔が効いている間に終わるそうですよ」
「……うん」
「でも、麻酔が切れた後が痛いんだそうです。でもね、痛いからと泣いていたら、この子に笑われてしまいますね」

 毛布の上からでもはっきりと膨らみの分かる腹に、絲さんはそっと手を添えた。

「今が江戸の頃じゃなくて良かったです。当時は麻酔もないですし、お産の痛みに声を上げるのは恥だったんですって。誰もいない部屋で一人きりで産んで、しかもその後頭に血が昇らないように、七日間寝てはいけなかったそうなの」
「それは拷問やな」

 普段よりもよく喋る絲さん。
 きっと怖いんやろう、不安なんやろう。

「俺は中に入られへんけど。ずっと扉の外で待ってるから」
「はい」
「絲さんが目ぇ覚ますよりも先に、子どもに会っとくからな」
「まぁ。一番はわたしですよ」

 膨れっ面をする絲さんを見て、ようやく俺は本当に笑うことができた。

「遠野絲さん、お時間です」

 医者と看護婦が病室に入ってきた。普段の産医だけやのうて、他にも医者がおる。どうやら麻酔の担当らしい。

「じゃあ、行ってきますね」
「ああ。次に会う時は、三人家族やな」
「ええ、本当に。楽しみです」

「そうだわ」と何かを思いついたように絲さんは俺を手招きした。

「まだ子どもの名前を考えてませんでしたから。蒼一郎さん、待っている間に考えてくださいね」
「大きい宿題やな」
「ええ、責任重大ですよ」

 にっこりと微笑んで、絲さんは車輪のついた担架に乗せられた。
 廊下の壁に点された蝋燭が、絲さんの行く先を照らしてる。
 夜も遅い時間やから、担架はなるべく音を立てんように静かに引かれていく。

 そして俺の目の前で、手術室の扉は閉められた。
 
 廊下には長椅子が置いてある。俺はそれに腰かけて、なんとか気分を紛らわそうと子どもの名前を考えた。

 ほんまは家で文机に向かって、心静かに墨を摺りながら名前を考えるのがええんやろけど。
 絲さんと離れ離れに暮らす日々で、そんな心の余裕はなかった。

 仄暗い廊下に、四角く切り取られた檸檬色の明かりが等間隔で落ちている。
 窓の外を見上げると、まるで黄色い琥珀を磨き上げたような美しい月が見えた。

 冷たくもなく、さりとて暑苦しくもなく。その光はとても穏やかや。
 俺のことも絲さんのことも、誰のことも優しく均等に照らして。落ちてくることもなく、気高く冴えた美しい月。

「知らんかったな。もう十三夜やったんか」

 今はもう旧暦やないから、十三日やから十三夜というわけやない。
 
 十五夜ほどに完璧な形ではないその月は、けれどもそれ故にたいそう美しく神々しく見える。

「なんかお月さんが、護り神みたいやな」

 絲さんの? それとも子どもの?

 その時、ふと子どもの名前を思いついた。
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