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七章

14、暗い夜

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カシラ。病院から迎えが来てます」

 部屋に飛び込んできた組員に、俺は頷いた。
 知らせが来る前に、すでに出かける用意はできとった。

 ええ話やない。それは分かる。
 けど、俥だけが迎えに来てる様子から、絲さんが死んだわけやないと自分に言い聞かせた。

「行ってくるわ。お前らは家におってくれ」
「ですが……」
「ぎょうさんで押しかけたら、絲さんがしんどいやろ?」

 微笑んだつもりやけど。ちゃんと笑えとったかは分からへん。
 表に出た俺に、車夫が封をされた手紙を手渡した。
 病院の産医からやった。

 波多野の持つ提灯の明かりの下。封筒をびりっと破いて、走り書きのような文に目を通す。

「破水したって書いてある」
「それはもう出産せなあかんということです。まだ少し早いのに」
「……行ってくる」

 波多野にそう言い置いて、俺は蹴込けこみに足をかけて俥に乗り込んだ。

 絲さんは苦しがっとうことやろう。
 お腹の中の子も、きっとつらいはずや。
 ああ、なんて今日は夜が暗いんやろ。月も雲に隠れとう。

 しんとした暗闇の中を、カンテラを提げた俥がひた走る。ガラガラというけたたましい音。
 こんなにも病院までの道は遠かったやろか。
 
 俥の座席で両手を組んで、ただひたすらに暗い夜空と海を見据える。

 波多野には、破水したとの知らせが来たと言ったが。実際は、それだけやなかった。
 通常、お産の前には少量の血が出るらしいが。その出血量が、絲さんはかなり多いそうや。

「どないしよ……もし絲さんが」

 そう言いかけて、俺は首を振った。
 口にするな、そんなこと。
 言葉には言霊が宿るんや。しかもこんなねっとりとした夜や。
 どんな妖が、俺の言葉を聞いてるかしれへん。

「平気や、大丈夫や。絲さんは、ああ見えて芯の強い子や」

 たぶん俺の声は、無様なくらい震えとったやろ。
 
 ちょうど雲が切れたんか、眼下に広がる暗い海に月光が射した。
 檸檬色の光がすーっと一筋のびていく。
 それがまるで道か何かのように思えたんや。

「遠野の爺さん、絲さんを子どもを守ったってくれ。お願いやから」

 どうかこの願いが天に届くように。そればかりをこいねがった。

◇◇◇

 いつもは俺が面会に行くのを邪魔する看護婦が「三條さん。お待ちしていました」と俺を病院に招き入れた。

 それだけでももう異常事態や。
 
「絲さんの具合は?」と、感情を表に出さずに問いかける。
 有り難いことに看護婦は、首を横には振らんかった。

「遠野絲さんは、あと十分で手術室に入ります」
「手術室? 産室やのうて?」

 手術せなあかん事態なんか。
 首筋を、ひやりとした冷たい手で撫でられた気がした。
 或いは、うなじに刀の刃を当てられたような感覚かもしれへん。

「……絲さんの体が、お産に耐えられへんのか」
 
 俺の問いかけに看護婦は頷き「担当医から説明があります」と淡々と伝えた。
 
 それからのことは時間が間延びしたようで、よう覚えてへん。
 すぐにお腹の子を外に出したらんと、二人とも危険やということやった。

「蒼一郎さん……来てくださったの」

 説明を終えた俺は、絲さんの病室へ向かった。
 いつもは廊下で出迎えてくれるのに。今夜は寝台から起き上がることもできへん。

 その顔は真っ青で、唇は紫や。
 
「済みません。普通のお母さんみたいに、できなくて」
「普通もなにも。俺は絲さんに普通なんか望んでへんで」

 絲さんは、触れたら今にも儚い音を立てて壊れてしまいそうな、薄い硝子を思わせた。
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