女學生のお嬢さまはヤクザに溺愛され、困惑しています

七章

12、夏【２】

「予定日はそろそろなんやろ」

　絲さんの背中に手を添えながら、俺は彼女の病室へと向かった。
　綿紗の寝間着の上に、薄い羽織を肩にかけとうけど。絲さん、また痩せたんとちゃうやろか。

　妊婦って、もっとふくふくしとう印象があるけど。
　腹は大きくなってるのに、その分絲さんが小さなっていくみたいや。

「ちゃんと食うとうか？」
「ご飯ですか？　いただいていますよ。でも、三條のお家のご飯の方が美味しいですね」

　あかん。これは残しとう。
　しかも、かなりたくさん。

「ちょっと待っとき。すぐに戻るから」
「え？　蒼一郎さん？」

　驚いて目を丸くする絲さんを廊下に残して、俺は階段を一気に駆け下りた。
　ああ、着物の裾が絡まりそうや。

　もー、面倒くさい。
　まだ何段もあるけど、俺は一階の床まで飛び降りた。
　その音を聞きつけて、看護婦がまた走ってきた。

「駄目ですよ。三條さん」
「いや、あんたの声の方がうるさいし」

　病院っていうのは厳しいなぁ。絲さんもこんな所に閉じ込められて、可哀想に。

「すぐ戻るからな。玄関を閉めんなや」
「え？　面会は終わりじゃないんですか？」
「まだ部屋にも入ってへんわ」

　あかんなぁ。次に戻ってきたら、塩を撒かれるかもしれへん。
　まぁ、気にせんとこ。

　松林沿いの道を走り、商店街へと向かう。
　目指すのは八百屋や。

　いつやったかちりめん山椒を炊いた時に、この辺りは来たことがある。
　魚屋、漬物屋。そうそう、その先に八百屋があるんや。

　辺りは生魚のにおいや、酸っぱいような漬物のにおいが混じりあっとう。
　これは、あれやな。
　俺は平気やけど。つわりの頃の絲さんを連れてきたら、えらい気分が悪なるやろな。

　当然の如く、絲さんのつわりは重かった。
　水を飲んでも吐くし、なんかもう見ているだけでつらかった。

　酢の物やったら口にできると言うから。夏でもない時季に、やたらと酢の物ばっかりが出てきたなぁ。
　俺も絲さんも一生分の酢の物を食うたんやなかろうか。

「あった」

　目当ての八百屋の店先には、大きい桶が置いてあった。
　水を張った桶の中に、西瓜やきゅうりが冷やしてある。

　俺はその西瓜と、紫色の房が重そうな葡萄を買うた。
　ほんまはもっと力の出るもんを食べさせたらええんやろけど。
　絲さんはすぐに「もうお腹いっぱいです」って言うて残してしまうからな。

　買い物をして病院に戻ると、案の定、玄関には鍵が掛けられとった。

「あの看護婦め」

　押しても引いても開かへん扉。二階の窓からは、絲さんがおろおろした様子で俺を見下ろしている。

　まぁ平気や。俺に任しとき。
　鍵を壊したりせぇへんで。そんな暴力的なことをしたら、絲さんが困るもんな。
　俺は紳士やからな。紳士的にいくねん。

　西瓜を抱えたまま、俺は病院の裏口へと向かった。
　井戸を越えると、そこは業者が荷物を搬入する入り口やった。
　昼飯の材料やろか。ごろんとした緑色の冬瓜や、もいだばかりの瑞々しい皮に包まれたとうもろこしが木箱に入っとった。

「失礼するでー」

　入ってすぐに調理場や。

「おや、三條さん。今日も早いですね」
「おお、おはようさん」

　顔なじみの調理人の男に挨拶をする。時間外に面会に来るから、そのたびに看護婦と衝突するんも面倒くさい。
　せやから、俺は何度か勝手口から出入りしとう。
　料理人にも顔を覚えられとんや。

「西瓜のお見舞いですか。せっかくですから、切りましょうか」
「おお、気が利くな。せやけど俺が切るわ」

「三條さんが言うと、人を斬るみたいですねぇ」と調理人は苦笑した。

「いやー。最近は、自分では手ぇ下さへんで。絲さんが怖がるからな。俺は紳士やねん」
「シャレになりませんよ、それ」

　ひと口の大きさに西瓜を切り分けると、調理人は「変わった切り方、しはりますねぇ」と驚いとった。