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六章
43、拗ねてしもた
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俺は絲さんを片腕で抱えて、部屋まで戻ったけど。
抱き上げとったら、どんどん彼女の体温が上がっていった。
うーん。これは相当恥ずかしがっとうな。
見上げてみると、絲さんの顔は真っ赤に染まっとった。紅葉みたいに。
「……わたし、もう子どもではないの」
俺は、はっとした。
この温泉宿の女将とは知り合いやし、つい自分ちの感覚でおったけど。
絲さんにとっては初めての場所や。それに俺の未来の妻として、気を張っとったかもしれへん。
「ごめん。気ぃつかんかった」
慌てて絲さんを廊下に降ろす。絲さんは両手で顔を覆ってしもた。
俺は何を見られても恥ずかしないけど。
絲さんはお嬢さんやもんな。
「部屋まで手ぇつないでいこか?」
ふるふると絲さんは首を振る。
「絲は大人ですから。一人で歩けます」
うん。大人は自分のことを名前で呼んだりせぇへんけどな。そこのところに気づいてへんのやな。
けど、さらに絲さんがヘソを曲げそうやから。俺はだんまりや。
「先に戻ります」
林檎みたいな赤い頬をして、絲さんは先に歩き出した。
この温泉宿の床はぴかぴかでつるつるやからな。足を滑らせへんか心配や。
そう思って、絲さんの背中に手を伸ばそうとして、かろうじて我慢した。
あかん、あかんて。俺は過保護すぎるねん。構いすぎは嫌われる。
◇◇◇
蒼一郎さんが、わたしの後をついてきます。
本来なら、わたしが彼の少し後ろを歩かないといけないのに。
蒼一郎さんは、常に隣を歩くように歩調を合わせてくださいます。
だから、わたしだけが先に歩くのに慣れなくて。
背後から感じる存在感が気になって仕方ありません。
足を止めた方がいいかしら。
でもそうしたら「なんや、やっぱり疲れとうやん」とか言って抱っこされてしまうもの。
旅館は泊まり慣れていませんが、やっぱりホテルのように人の気配がなくても、従業員はお客に目が届いているんでしょう?
どうして蒼一郎さんは、気にならないの?
渡り廊下から、建物の中に入ります。
わたしは肩越しにちらっと、後ろを確認しました。
蒼一郎さんの腕や肩は見えるんですけど。お顔は見上げないと視界に入りません。
こんなに先に進んでしまって、怒っていらっしゃらないかしら。我儘な娘だと呆れていらっしゃらないかしら。
そう考えていた所為か、徐々にわたしの歩みは遅くなり。そしていつの間にか足を止めてしまっていました。
「どないしたん? 絲さん」
わたしの隣で立ち止まった蒼一郎さんが、優しく声をかけてきます。
怒ってはいらっしゃらないみたい。
「……さい」
「ん?」
口ごもってしまって、ちゃんと言葉が出てこないの。だから蒼一郎さんは、しゃがみこんでわたしの口許に耳を近づけました。
「ごめんなさい」
「ん? なにが?」
「……蒼一郎さんを放って、先に戻ると言ったことです。三歩下がって歩くべきなのに」
「ああ、そのことか」と蒼一郎さんはうなずきました。そして俯くわたしの顔が見えるように、廊下の床にしゃがんだんです。
「絲さんの背中を見ながら歩くのは珍しいから、眺めとったけど。別に俺は女性の方が男の後を歩けとは思てへんで」
「……それは、分かる気がします」
だって、蒼一郎さんは組長という立場でいらしゃるのに。えらそうに威張ったりなさらないんですもの。
「昔やったら、武士が刀を抜かなあかん場合に、女性を傷つけん為に後ろを歩かせた、っていう理由もあるらしいけどな。まぁ、今とは時代がちゃうからなぁ」
蒼一郎さんは困ったように苦笑なさいました。
黙っていれば怖いお顔なのに。わたしにとっての蒼一郎さんは優しい印象が強いです。
「絲さんに放って行かれるんは寂しいから。横を歩いてもええか?」
「……絲を子ども扱いしませんか?」
なぜか蒼一郎さんは、笑いをこらえたように唇を引き結んでいます。
笑顔じゃなくて、今にも噴き出しそうなのを我慢している感じ。
どうして? わたし、変なことを言ったかしら。
「え、ええで。絲さんは大人やもんな」
やっぱり笑ってらっしゃるわ。肩が小刻みに震えているもの。
抱き上げとったら、どんどん彼女の体温が上がっていった。
うーん。これは相当恥ずかしがっとうな。
見上げてみると、絲さんの顔は真っ赤に染まっとった。紅葉みたいに。
「……わたし、もう子どもではないの」
俺は、はっとした。
この温泉宿の女将とは知り合いやし、つい自分ちの感覚でおったけど。
絲さんにとっては初めての場所や。それに俺の未来の妻として、気を張っとったかもしれへん。
「ごめん。気ぃつかんかった」
慌てて絲さんを廊下に降ろす。絲さんは両手で顔を覆ってしもた。
俺は何を見られても恥ずかしないけど。
絲さんはお嬢さんやもんな。
「部屋まで手ぇつないでいこか?」
ふるふると絲さんは首を振る。
「絲は大人ですから。一人で歩けます」
うん。大人は自分のことを名前で呼んだりせぇへんけどな。そこのところに気づいてへんのやな。
けど、さらに絲さんがヘソを曲げそうやから。俺はだんまりや。
「先に戻ります」
林檎みたいな赤い頬をして、絲さんは先に歩き出した。
この温泉宿の床はぴかぴかでつるつるやからな。足を滑らせへんか心配や。
そう思って、絲さんの背中に手を伸ばそうとして、かろうじて我慢した。
あかん、あかんて。俺は過保護すぎるねん。構いすぎは嫌われる。
◇◇◇
蒼一郎さんが、わたしの後をついてきます。
本来なら、わたしが彼の少し後ろを歩かないといけないのに。
蒼一郎さんは、常に隣を歩くように歩調を合わせてくださいます。
だから、わたしだけが先に歩くのに慣れなくて。
背後から感じる存在感が気になって仕方ありません。
足を止めた方がいいかしら。
でもそうしたら「なんや、やっぱり疲れとうやん」とか言って抱っこされてしまうもの。
旅館は泊まり慣れていませんが、やっぱりホテルのように人の気配がなくても、従業員はお客に目が届いているんでしょう?
どうして蒼一郎さんは、気にならないの?
渡り廊下から、建物の中に入ります。
わたしは肩越しにちらっと、後ろを確認しました。
蒼一郎さんの腕や肩は見えるんですけど。お顔は見上げないと視界に入りません。
こんなに先に進んでしまって、怒っていらっしゃらないかしら。我儘な娘だと呆れていらっしゃらないかしら。
そう考えていた所為か、徐々にわたしの歩みは遅くなり。そしていつの間にか足を止めてしまっていました。
「どないしたん? 絲さん」
わたしの隣で立ち止まった蒼一郎さんが、優しく声をかけてきます。
怒ってはいらっしゃらないみたい。
「……さい」
「ん?」
口ごもってしまって、ちゃんと言葉が出てこないの。だから蒼一郎さんは、しゃがみこんでわたしの口許に耳を近づけました。
「ごめんなさい」
「ん? なにが?」
「……蒼一郎さんを放って、先に戻ると言ったことです。三歩下がって歩くべきなのに」
「ああ、そのことか」と蒼一郎さんはうなずきました。そして俯くわたしの顔が見えるように、廊下の床にしゃがんだんです。
「絲さんの背中を見ながら歩くのは珍しいから、眺めとったけど。別に俺は女性の方が男の後を歩けとは思てへんで」
「……それは、分かる気がします」
だって、蒼一郎さんは組長という立場でいらしゃるのに。えらそうに威張ったりなさらないんですもの。
「昔やったら、武士が刀を抜かなあかん場合に、女性を傷つけん為に後ろを歩かせた、っていう理由もあるらしいけどな。まぁ、今とは時代がちゃうからなぁ」
蒼一郎さんは困ったように苦笑なさいました。
黙っていれば怖いお顔なのに。わたしにとっての蒼一郎さんは優しい印象が強いです。
「絲さんに放って行かれるんは寂しいから。横を歩いてもええか?」
「……絲を子ども扱いしませんか?」
なぜか蒼一郎さんは、笑いをこらえたように唇を引き結んでいます。
笑顔じゃなくて、今にも噴き出しそうなのを我慢している感じ。
どうして? わたし、変なことを言ったかしら。
「え、ええで。絲さんは大人やもんな」
やっぱり笑ってらっしゃるわ。肩が小刻みに震えているもの。
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