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六章
30、朝の女湯【1】
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ホーホケキョと鶯の鳴く声が聞こえます。
おかしいわ。今は春ではないのに。
それとも春だったかしら。
わたしはぼんやりと考えました。
蒼一郎さんの寝顔が近くにあって。どうやらわたしは彼の腕の中で眠っていたようです。
おかしいわ。わたしが蒼一郎さんを抱きしめていたはずなのに。いつのまに?
上体を起こしてみると、床の間に薄が飾られているのが目に入りました。薄は秋ですよね。
なるほど。鶯は春の印象があるのですけど。それは町や里に下りてくるのが春というだけで。山では年中いるのですね。
「ん? 目ぇ覚めたんか、絲さん」
「おはようございます」
なんだか恥ずかしくて、わたしは蒼一郎さんに背中を向けて頭を下げました。
これまで何度も抱かれたことはありますが。やはり、朝の清澄な光の中で顔を合わせるのは、未だに恥ずかしいんです。
「なんや、なんや。照れてしもて。可愛いなぁ」
背中からぐいっと抱きしめられます。
「具合、悪ないか? 久しぶりにしたから、しんどいんとちゃうかな」
「……大丈夫です」
だって、これまでみたいに朝までとか、長時間というわけではなかったですから。
無理なこともさせられなかったですし。
「痛いとこは?」
「ないです」
蒼一郎さんが、わたしの背後から肩に顔を埋めます。
布団に横たわったままなので、不思議な感じなのですが。
「よかった」と囁かれて、自然と顔がほころぶのが分かりました。
蒼一郎さんは、本当にわたしのことを愛してくださって。大事にしてくださるの。
わたしも蒼一郎さんを大事にしたいんです。
「朝風呂に入って、それから朝食まで、ちょっと散策しよか」
「いいんですか?」
素敵な提案に、わたしは振り返りました。
「絲さんは、現金やなぁ」
「だって、特別って感じがするじゃないですか」
そうと決まれば、さっそく準備をしなければ。
まだこの時間は外湯が開いてないそうで、旅館の温泉に入るのです。
「女湯ですよ」
「そら、そうやろ」
「一人で入るんです」
「うん。俺が一緒に女湯に入ったら犯罪やし。絲さんが男湯に入ったら、俺は人殺しをせなあかんなぁ」
ああ、わくわくが止まりません。
遠野の実家にいる時は、お風呂は一人で入りましたが。三條家に来てからは、だいたい蒼一郎さんと一緒の入浴ですし。
しかも温泉ですよ。
「わたしも大人になったんですねぇ」
「心配やなぁ。女将に言うて、誰か仲居でもつけてもらおか?」
心配ご無用。のぼせませんし、湯あたりもしません。
そもそも子どもでもないのに、恥ずかしいですよ。
「一人で女湯」
「……絲さん、なんでそんなに一人がええんや」
少し寂しげに蒼一郎さんが眉を下げます。
わたしは「これまで一人きりということが、ほとんどなかったですから」と説明しましたが、納得していただけません。
「俺と一緒よりも、一人の方がええんかな……」なんて、とうとう布団の上に座って肩を落としてしまわれました。
ああ、どうしましょう。
蒼一郎さんは一人でお出かけなさることも多いですけど、わたしはそういう経験が少なくて。
そう告げると「俺かて、普段から護衛がついとうもん。一人とちゃうし」と、とうとう拗ねてしまわれました。
困りました。
おろおろとしていると、突然、蒼一郎さんが「ふっ」と笑いました。
「冗談やで。ちょっと困らせてみたかっただけや」
「え?」
「湯宿の中の温泉やったら安全やろ。外の人間が入って来ぉへんからな」
「……寂しいと仰いました……よね?」
「うん、寂しいで」と蒼一郎さんは、わたしを抱き上げて膝に乗せました。
「そら、一分でも一秒でも離れたないけど。でも、子どもやあらへんのやから。べったりしすぎるんは、大人の関係とちゃうやろ」
「はぁ」と、わたしは気の抜けた返事しかできません。
結局、揶揄われたってことですね。
がっしりとした腕に抱きしめられて、わたしは身動きが取れません。
蒼一郎さんは、やはり背後からわたしの肩に顔を埋めています。
気に入ったのかしら。
おかしいわ。今は春ではないのに。
それとも春だったかしら。
わたしはぼんやりと考えました。
蒼一郎さんの寝顔が近くにあって。どうやらわたしは彼の腕の中で眠っていたようです。
おかしいわ。わたしが蒼一郎さんを抱きしめていたはずなのに。いつのまに?
上体を起こしてみると、床の間に薄が飾られているのが目に入りました。薄は秋ですよね。
なるほど。鶯は春の印象があるのですけど。それは町や里に下りてくるのが春というだけで。山では年中いるのですね。
「ん? 目ぇ覚めたんか、絲さん」
「おはようございます」
なんだか恥ずかしくて、わたしは蒼一郎さんに背中を向けて頭を下げました。
これまで何度も抱かれたことはありますが。やはり、朝の清澄な光の中で顔を合わせるのは、未だに恥ずかしいんです。
「なんや、なんや。照れてしもて。可愛いなぁ」
背中からぐいっと抱きしめられます。
「具合、悪ないか? 久しぶりにしたから、しんどいんとちゃうかな」
「……大丈夫です」
だって、これまでみたいに朝までとか、長時間というわけではなかったですから。
無理なこともさせられなかったですし。
「痛いとこは?」
「ないです」
蒼一郎さんが、わたしの背後から肩に顔を埋めます。
布団に横たわったままなので、不思議な感じなのですが。
「よかった」と囁かれて、自然と顔がほころぶのが分かりました。
蒼一郎さんは、本当にわたしのことを愛してくださって。大事にしてくださるの。
わたしも蒼一郎さんを大事にしたいんです。
「朝風呂に入って、それから朝食まで、ちょっと散策しよか」
「いいんですか?」
素敵な提案に、わたしは振り返りました。
「絲さんは、現金やなぁ」
「だって、特別って感じがするじゃないですか」
そうと決まれば、さっそく準備をしなければ。
まだこの時間は外湯が開いてないそうで、旅館の温泉に入るのです。
「女湯ですよ」
「そら、そうやろ」
「一人で入るんです」
「うん。俺が一緒に女湯に入ったら犯罪やし。絲さんが男湯に入ったら、俺は人殺しをせなあかんなぁ」
ああ、わくわくが止まりません。
遠野の実家にいる時は、お風呂は一人で入りましたが。三條家に来てからは、だいたい蒼一郎さんと一緒の入浴ですし。
しかも温泉ですよ。
「わたしも大人になったんですねぇ」
「心配やなぁ。女将に言うて、誰か仲居でもつけてもらおか?」
心配ご無用。のぼせませんし、湯あたりもしません。
そもそも子どもでもないのに、恥ずかしいですよ。
「一人で女湯」
「……絲さん、なんでそんなに一人がええんや」
少し寂しげに蒼一郎さんが眉を下げます。
わたしは「これまで一人きりということが、ほとんどなかったですから」と説明しましたが、納得していただけません。
「俺と一緒よりも、一人の方がええんかな……」なんて、とうとう布団の上に座って肩を落としてしまわれました。
ああ、どうしましょう。
蒼一郎さんは一人でお出かけなさることも多いですけど、わたしはそういう経験が少なくて。
そう告げると「俺かて、普段から護衛がついとうもん。一人とちゃうし」と、とうとう拗ねてしまわれました。
困りました。
おろおろとしていると、突然、蒼一郎さんが「ふっ」と笑いました。
「冗談やで。ちょっと困らせてみたかっただけや」
「え?」
「湯宿の中の温泉やったら安全やろ。外の人間が入って来ぉへんからな」
「……寂しいと仰いました……よね?」
「うん、寂しいで」と蒼一郎さんは、わたしを抱き上げて膝に乗せました。
「そら、一分でも一秒でも離れたないけど。でも、子どもやあらへんのやから。べったりしすぎるんは、大人の関係とちゃうやろ」
「はぁ」と、わたしは気の抜けた返事しかできません。
結局、揶揄われたってことですね。
がっしりとした腕に抱きしめられて、わたしは身動きが取れません。
蒼一郎さんは、やはり背後からわたしの肩に顔を埋めています。
気に入ったのかしら。
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