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六章

18、高等温泉【1】

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 絲さんは、しばらく考え込んだように自分のてのひらを眺めとった。
 そして、俺の頬を撫でたんや。しかも両頬やで。

「蒼一郎さんはお優しいから。きっと痛くないなんて、わたしに嘘をついたのね」

 へ? ついてません。
 むしろ、痛いと言う方が嘘やで。
 俺、すごい正直モンなんやけど。

「ごめんなさい。つねってしまって」
「平気やで」
「そんなことないわ」

 なぁ、絲さん。なんでそんなに自分の力に自信があるん? 普段は謙虚やのに、自意識過剰やで。

 絲さんは、なおもいたわるように俺の頬に手を触れた。

 まぁ、撫でられるんは気持ちええから。しばらくこのままにしとこ。
 普段は、外から帰って絲さんに頬ずりをしたら「痛いです」と避けられることもあるからな。

 もーう、あんなに優しく頬ずりしとんのに。痛いとか言うんやもん、つれへんなぁ。

「絲さん。具合悪ないんやったら、温泉行こか」
「いいんですか?」
「外湯の、高等温泉に行こ。あそこは家族風呂やから、絲さんの様子を見てられるしな」

 外湯に行く時に便利なように、旅館の部屋には提げられる籠や石鹸が用意してあった。

 絲さんは嬉しそうにいそいそと、持参した手ぬぐいや浴衣を用意する。
 うちの風呂と違て、温泉は効能がある分、入るとしんどいっていうからな。長湯させんように気をつけたろ。

◇◇◇

 外湯に行く為の準備を済ませたわたしは、廊下に出ました。
 よく磨き上げられた廊下は黒光りして、窓の外の紅葉が床に映りこんでいるんです。
 床紅葉ゆかもみじとでも、いうのかしら。

「綺麗ですねぇ」
「せやなぁ。紅葉狩りとか行ったことがあるけど。絲さんが一緒やったら、何倍も綺麗に見えるんやな」

 蒼一郎さんは、わたしの手を引いて廊下を歩きます。
 映りこんだだけとはいえ、眩いくらいに赤く燃える紅葉の上を歩くのが申し訳なくなりそう。
 でも、足袋は赤く染まらないの。

「波多野。外湯に行ってくるわ」
「はい。元湯ではなく高等温泉の方ですね」
「分かっとうやん」

 蒼一郎さんが、廊下の途中で立ち止まって声を掛けました。
 別館は一つ一つのお部屋が広いらしくて。波多野さん達が泊まっているのはお隣の部屋なんですけど。
 廊下にいても、室内の話し声が聞こえないほどです。

カシラ。私もついて行った方がええですか?」
「いや、問題ない。俺がついとう」
「畏まりました」

 驛舎で遭った、ガラの悪い雲助がいないとも限りませんものね。

 旅館を出てしばらく川沿いに進み『アサヒビール』と書いてある看板を横目に見ながら、橋を渡ります。
 欄干が鉄製で、なんだかモダンな橋なの。

 しかも案内された高等温泉は、門が西洋の宮殿かしらと見紛うほどの造りで。
 ええ、うちの女學院の校門よりも、ずっとずっと立派なんです。

「あの、もしかして。さっきの旅館もですが、この温泉も高いのでは? だって高等温泉って名前なんでしょう?」
「まぁ、安ないわな」

 うーん、と蒼一郎さんは腕を組んで首を傾げました。

「大丈夫やで。入浴料よりも、あいすくりんの方が高いから」

 夏にいただいたあいすくりん。あれは基準にしてはいけないですよ。
 わたし達は常々、シスターから清貧を心がけるように言われてるんです。
 尤も、通学生にしろ寮生にしろ、お嬢さまばかりですから。質素で慎ましくというのは、なかなかに難しいのです。

「絲さん。大事なことや、先に言うとくで」
「は、はい」
「この旅行にかかる金が高いと思うんなら、具合を悪して寝込まんことや」
「心します」
 
 つまり早寝早起きですね。
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