女學生のお嬢さまはヤクザに溺愛され、困惑しています

六章

14、誤解でした

　どうしましょう。
　人払いをしてまで、蒼一郎さんが若先生に相談していたのは、体がお悪いからだったのね。

　蒼一郎さんの腕にしがみついたわたしの指は、小刻みに震えていました。

　これまで考えたこともなかったんです。
　蒼一郎さんが病気になるだなんて。

　夏に肩を撃たれて、あの時も不安で心配だったのですけど。
　まさか病気だなんて。

「お願い、絲を残して逝かないで」

　ああ、涙で蒼一郎さんの姿が滲みます。
　この温泉旅行は、冥途の土産と考えていらっしゃるのかも。
　それとも心臓に効くお湯なのかしら。

「う、ううっ。絲は蒼一郎さんとは何十年も添い遂げる予定なんです」
「それは素晴らしい予定やで」

　顔を上げると、ぼやけた視界で蒼一郎さんがにこにこと微笑んでいらっしゃいます。

　ああ、ご無理をなさらないで。
　絲を不安にさせないように、つらいのに笑っていらっしゃるのね。
　なんて健気なの。
　
　そうよ。絲が……わたしがしっかりしなければ。
　蒼一郎さんのお体に気を配って、支えてさしあげなければ。

「蒼一郎さんは、駕籠に乗っていらしてください」
「え、なんで？」
「だって馬の方が揺れますから」

「さぁ、こちらですよ」と、わたしは蒼一郎さんの手を引いて、駕籠舁の方へと向かいました。
　早く歩いては駄目ね。ゆっくりと進みましょう。

「いいんですよ。わたしに任せてください」
「いや、けど。馬を決めてきたんやろ」

　もう、我儘を仰らないで。
　絲はしっかりしていますからね。覚悟を決めました。
　蒼一郎さんの健康を守るんですから。

　まだ涙で驛舎や松など周りの景色が滲んでいきますが。
　前を向いて歩かなければね。
　心臓がお悪くても、長生きなさる方もいるんですもの。

「ちょ、ちょと待ち。絲さん」
「さぁ、駕籠舁さんに揺らさないようにお願いしますね。ゆっくりと進めば大丈夫ですから」
「いや、せやから」
「温泉に入っても、長湯は禁止ですよ」

「絲さん」と呼ばれたと思うと、次の瞬間にはわたしの足は地面から離れていました。

　ぶらーんと草履が今にも落ちそうな状態です。

「な、何をなさるの？　わたしは猫ではないのですよ」
「いや。このままやったら駕籠に乗らなあかんから」
「離してください。人が見ています」

　両わきを持ち上げられて、こんなの本当に恥ずかしいの。
　だって、蒼一郎さんに持ち上げられたわたしは子どものようで。なのに着ているものは、大人びた桔梗と薄の柄の小紋なんですもの。

「落ち着けって、絲さん」
「お放しになって。心臓に障ります」

　う、ううっ。また涙が溢れてきました。
　わたしはこんなにも心配しているのに、蒼一郎さんは分かってくださいません。
　ご自分の健康を、体力を過信しすぎです。

「だから、若先生と話しとったんは別のことや。胸が苦しいっていうのは比喩で。しかも俺、胸やのうて胸の内って言うたよな」
「ですから、心臓なんです。内側ですもの」

「あー、そういう……」

　蒼一郎さんは青い空を仰いで、ため息をつきました。
　でも、まだわたしは下ろしてもらえません。
　駕籠舁さん達は、最初は驚いて目を丸くしていましたが。すでに興味が失せたのか、客引きに戻っています。

「誤解やからな。若先生とはちょっと話をしとっただけや」
「病気のことではなくて？」
「病気……ではないな。あれは」

　なぁんだ。そうでしたの。
　わたしはほっとして、嬉しくなってしまいました。
　蒼一郎さんはお元気でいらっしゃるのね。
　わたしの誤解でしたのね。

「けど、さっきみたいに心配されるんも悪ないな。なぁ、絲さん。もう一回」
「さぁ、お馬に乗りましょう」

　さくさくと貸し馬屋へ進むわたしを、蒼一郎さんが追いかけます。