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六章

7、ちりめん山椒【1】

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 井戸水で手を洗い。海老茶袴と着物を脱いだわたしは、気楽な単衣に着替えました。
 なぜか蒼一郎さんは鼻歌を歌っていらっしゃいます。

 広いお屋敷ですのに。室内にも廊下にもお醤油の匂いが満ちています。

 ふんふふふーん、と廊下から聞こえてくる声。
 蒼一郎さんですよね?
 
「うわ、両手いっぱいや。絲さん、襖開けて」
「あ、はい」

 小走りに駆けよって襖を開くと、そこにはお盆を手にした蒼一郎さんが立っていらっしゃいました。
 急須とお湯呑み、それに湯気の立つお椀と……おにぎりにおかず。

 蒼一郎さんは、さすがにもうフリル付きの割烹着はお召しになっていらっしゃいません。

 申し訳ないのですけど。あまりお似合いではなかったの。
 波多野さんの割烹着をお借りになったのかしら。大きな体をなさっているから、窮屈そうでしたもの。

「ほら、絲さん。昼飯食べよ」
「蒼一郎さんが、運んでくださったんですか?」
「せやで」

 とてもご機嫌そうなのに、時々横目でわたしのことを窺うの。
 何かしら? 

 まさか嫌いなものを食べさせようと、画策なさったのでは。
 ところで、わたしは何が嫌いだったかしら?

 お薬は嫌いだわ。それも次亞燐じありん。貧血のお薬よ。苦いのを何とか飲みやすくしようと、シロップで甘くしてあるものだから。
 苦いのに甘いという、凶暴な味ですもの。

 でも、これは食べ物ではないわね。
 
 うーん、と考えた結果。さほど好き嫌いがないことが判明したの。

◇◇◇

 絲さんが眉根を寄せて、俺を眺めとう。

 多分けど、なぜ俺が握り飯を持ってきたかを訝っとんやろ。
 大丈夫やで。毒なんか入れてへん。

 むしろ、嫌いなもんをみじん切りにして、混ぜ込んでると思とんかな?
 そしてきっと、絲さんは自分の嫌いなものが何やったか考えとうはずや。

 うん。絲さんはあんまり好き嫌いのないええ子やで。遠野の家で、ちゃんと躾けられて育っとうからな。
 むしろ、うちで暮らしとう方が、絲さんは甘やかされとうはずや。

 ただなぁ。好き嫌いは少なくても、全体的に食べる量が少ないから。栄養が摂れてへんねん。
 女學校で黄色い声を上げながら群れとう娘さんらよりも、小柄やし細いもんな。

 というわけで、ちゃんと食べなさい大作戦や。

 座卓の前に座った絲さんは、急須から湯呑みにお茶を注いでくれる。
 その間も、俺の持つ盆に視線は釘付けや。

 なんか、照れるやんか。そんなに見つめんといて。

「ほな、召し上がれ」
「い、いただきます」

 今日の献立はちりめん山椒のおにぎり。(当然、俺が炊いた。俺は何でもできるからな)

 まぁ、料理番が隣につきっきりで「あー、もうカシラ。火が強すぎです」とか。
「砂糖多すぎです。お菓子ですか? 魚のお菓子なんか、聞いたこともあらしません」とか。
「そんなに入れたら、醤油が多すぎになります。絲お嬢さんを殺すつもりですか」とか言うとった。

 しまいには「私がやりますから」と、俺から菜箸を奪おうとする。
 そうはさせるかと、俺は必死に菜箸を守った。

 最初から最後まで。そう、買い出しから洗い物まですることによって「俺が作ったんやで」と言えるんや。
 料理番の手柄になんかさせるか。

 あいつもなぁ。あんなに口うるさかったら、女にもてへんで。 

 まぁ、えらそうなことを言うたが。握り飯以外のおかず……だし巻き玉子と、味噌汁は料理番が作った。さすがに俺もそこまで器用やないからな。
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