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六章

6、下校途中

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 今日の授業は午前で終わりでしたので、學院には波多野さんが迎えに来てくださいました。

「蒼一郎さんは、お忙しいんですか?」

 坂道を降りながら問いかけるわたしに、波多野さんは「まぁ、忙しそうですね」と言葉を濁します。

 眼下には見慣れた家並み。その向こうに、秋になっても青々と茂る松林が海岸に沿って帯のように見えました。

 何艘も並ぶ潮待ちの帆掛け舟。水は澄み、波は穏やかで昼の陽射しに海は輝いています。

「絲お嬢さん。腹……いえ、お腹空いてますか?」
「え? そうね。あまり意識していないから。どうかしら」
「空かせてください」

 今日の波多野さんは不思議なことを仰います。

「あ、いや。今の言葉は忘れてください。腹を空かせるといっても、絲お嬢さんは走れるわけでもないですし。遠回りをして体調が悪なったら本末転倒ですから」

 ぶつぶつと呟きながら歩く波多野さん。ぼんやりなさって、つまずくのですけど。
 それでも、しっかりとわたしのお書物を持ってくださっているんです。

 大丈夫かしら? 何か悩み事でもあるのかしら。

 普段よりも幾分ゆっくりと、わたしは三條のお屋敷に戻ってきました。
 道にまで流れてくるのはお醤油の匂い。

 珍しいわ。春のいかなごを炊く時季ならば、どこの家からもお醤油と、ざらめを炊いた甘辛い匂いがするものだけれど。
 今はもう秋なのに。

「焦げてへんみたいですね」
「波多野さん、何か炊いていらしたの?」
「いえ、私やのうて。その……」

 ぼそぼそと消えていく言葉。やはり今日の波多野さんはおかしいわ。

「ただいま戻りました。絲お嬢さんも一緒です」

 門を入ったところで、バーン! と玄関の引き戸がけたたましい音を立てて開かれました。

 討ち入り? わたしはとっさに波多野さんの背中に隠れましたが。
 組員の方々に何の動きもありません。

「こら、波多野。絲さんを隠すなや」
「へ? 隠してなんかいませんって。あれ? 絲お嬢さん、なんで私の後ろに」

 蒼一郎さん? お家にいらしたの?
 用事が入っていない限りは、蒼一郎さんがお迎えに来てくださるのが当然でしたから。
 わたしは、ちょっぴり困惑しました。

「おかえり、絲さん。ほら、おいで」

 怖々と波多野さんの背後から顔を出すと。蒼一郎さんが、わたしに向かって両腕を広げていました。

 半日離れていただけでも、懐かしい気持ちがするんですけど。
 あの、なぜフリルのついた割烹着を着ていらっしゃるの? それに菜箸を握りしめて。
 とってもお似合いにならないのですけど。

「どうしたんや。絲さん。ほら、絲さんの大好きな蒼一郎お兄さまやで」
「は、はい」

 なぜ「お兄さま」なのでしょうか。さらに頭が混乱します。

◇◇◇

 遠野の爺さんが、幼い絲さんの為にちりめん山椒を炊いたと聞いた。
 それなら、俺も張り合わんとあかんやろ。
 俺は負けず嫌いやねん。

 そして、爺さんに張り合うには絲さんの恋人やのうて、保護者としての「蒼一郎お兄さま」やないと、あかん。
 まぁ、俺の妄想の中の産物やけどな。

 さぁ、絲さん。蒼一郎お兄さまが手ずから作ったちりめん山椒を存分に食べるんやで。
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