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六章
5、頑張ってみる
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秋の空はよう澄んで、海と空の境もはっきりとしとう。
呑気そうに飛ぶ赤とんぼ。
帆掛け舟と同じくらいの速度で、ゆったりと進んでいる。
坂の上から風に乗って切れ切れに聞こえてくるのは聖歌やろか。
朝の御ミサとかいうやつやな。
俺は坂道を下りながら、料理当番に書いてもろた地図を頼りに道を進んだ。
滅多に来ぉへん場所やけど。迷うことなく店が並ぶ商店についた。
木造の昔ながらの二階建ての店。看板は『酒 のんきや』だの『洋服誂え』だのと書かれているが。軒には、それらを英語で記した看板もある。
魚、魚。魚屋は何処や。
左右をきょろきょろとしながら進むと、前方から急に生魚の匂いがした。
「商店街に行ったらすぐに魚屋は分かりますよ」と料理番は言うとったけど。確かにな、目ぇよりも鼻で見つけられるわ。
「いかなごは季節が違いますよ。あれは春です」と言う料理番に、ちりめんじゃこと、いかなごの区別がつかへん俺は説明に難儀した。
ちなみにしらす干しとちりめんじゃこが同一のもんやと、今日初めて知った。
「あら、三條さんの。今日は組長さんがお買い物ですか?」
魚屋の店頭で突然、女性に声をかけられた。
誰や、これ。
その女は粋な桜鼠の小袖を着て、髪はひたいを出して結った束髪やった。
年の頃は俺くらいやろか。
魚屋の軒先には、干した魚がずらーっと並べられとった。しかもタコなんかは足を伸ばしてカチカチになるまで干されとうから、なんかこう妖怪みたいや。
桶の中に鯛やら鰯や鰈が入っとうのを、その女性は吟味しとった。
「うちも昨日は笹鰈だったんですよ」
「……なんで、うちの晩飯を知っとんや」
その女性は呑気そうに喋るのに。どこからか、三條組の情報が洩れとんかと警戒した。
間諜か?
見るからに切れ者という奴は間諜には向かん。
すぐに記憶から薄れるような、印象の薄い奴が適性があるんや。
この女、どこの回しモンや。
警戒はしたものの、誤解はすぐに解けた。単にうちの料理番と顔なじみらしい。
はーん。なかなかの美人さんやんか。あいつ、この女性と会いたくて魚料理が多いんとちゃうやろな。
実は魚の買い方もよう知らん俺は、店主と清と名乗ったその女性に助けられて、ちりめんを買った。
「もうすでに炊いたんも売ってますよ。包みましょか」
「いや、気遣いはいらん」
魚屋の店主に勧められたが、出来合いのつくだ煮やのうて、俺が絲さんに作ったると決めたんや。
遠野の爺さんに出来て、俺に出来へんはずがない。
「山椒の実は五月から七月くらいまでしか採れませんから……」
「なんやて。じゃあ、俺はどうしたらええんや」
清の言葉をさえぎって、俺は身を乗り出した。
おっと、いかん。圧迫感があったかもしれへんな。
「塩漬けの実山椒を売っているところを知ってますから。ご案内しますよ」
おお、ありがとう。見知らぬ女性よ。
君の人生に幸運があることを祈っておこう。
「な、何やら並んで歩くと緊張いたしますね」
「そうか?」
「ええ。じろじろと見られますので。それに組長さんの威圧感が……すごくていらっしゃいますから」
俺の隣を歩きながら、清が明らかに固い言葉で話しかけて来る。確かに商店街の通りを歩く人達が、俺らの方を振り返る。
どうやらヤクザの組長というのが、気になるらしい。
組員はええのに? なんで俺やとあかんのや。
絲さんは普通に俺と歩いとうで? むしろ俺と歩くと嬉しそうにしてくれるんやけど。
あの子、もしかして変わっとんか?
そう思て首を振る。
違う、そこは俺を愛してくれとうからや。
漬物屋も、沢庵とかの独特の匂いでその場所が分かった。
普段はこの辺に来ぉへんから、気ぃつかへんけど。商店街というのは食べ物の匂いが濃いんやな。
呑気そうに飛ぶ赤とんぼ。
帆掛け舟と同じくらいの速度で、ゆったりと進んでいる。
坂の上から風に乗って切れ切れに聞こえてくるのは聖歌やろか。
朝の御ミサとかいうやつやな。
俺は坂道を下りながら、料理当番に書いてもろた地図を頼りに道を進んだ。
滅多に来ぉへん場所やけど。迷うことなく店が並ぶ商店についた。
木造の昔ながらの二階建ての店。看板は『酒 のんきや』だの『洋服誂え』だのと書かれているが。軒には、それらを英語で記した看板もある。
魚、魚。魚屋は何処や。
左右をきょろきょろとしながら進むと、前方から急に生魚の匂いがした。
「商店街に行ったらすぐに魚屋は分かりますよ」と料理番は言うとったけど。確かにな、目ぇよりも鼻で見つけられるわ。
「いかなごは季節が違いますよ。あれは春です」と言う料理番に、ちりめんじゃこと、いかなごの区別がつかへん俺は説明に難儀した。
ちなみにしらす干しとちりめんじゃこが同一のもんやと、今日初めて知った。
「あら、三條さんの。今日は組長さんがお買い物ですか?」
魚屋の店頭で突然、女性に声をかけられた。
誰や、これ。
その女は粋な桜鼠の小袖を着て、髪はひたいを出して結った束髪やった。
年の頃は俺くらいやろか。
魚屋の軒先には、干した魚がずらーっと並べられとった。しかもタコなんかは足を伸ばしてカチカチになるまで干されとうから、なんかこう妖怪みたいや。
桶の中に鯛やら鰯や鰈が入っとうのを、その女性は吟味しとった。
「うちも昨日は笹鰈だったんですよ」
「……なんで、うちの晩飯を知っとんや」
その女性は呑気そうに喋るのに。どこからか、三條組の情報が洩れとんかと警戒した。
間諜か?
見るからに切れ者という奴は間諜には向かん。
すぐに記憶から薄れるような、印象の薄い奴が適性があるんや。
この女、どこの回しモンや。
警戒はしたものの、誤解はすぐに解けた。単にうちの料理番と顔なじみらしい。
はーん。なかなかの美人さんやんか。あいつ、この女性と会いたくて魚料理が多いんとちゃうやろな。
実は魚の買い方もよう知らん俺は、店主と清と名乗ったその女性に助けられて、ちりめんを買った。
「もうすでに炊いたんも売ってますよ。包みましょか」
「いや、気遣いはいらん」
魚屋の店主に勧められたが、出来合いのつくだ煮やのうて、俺が絲さんに作ったると決めたんや。
遠野の爺さんに出来て、俺に出来へんはずがない。
「山椒の実は五月から七月くらいまでしか採れませんから……」
「なんやて。じゃあ、俺はどうしたらええんや」
清の言葉をさえぎって、俺は身を乗り出した。
おっと、いかん。圧迫感があったかもしれへんな。
「塩漬けの実山椒を売っているところを知ってますから。ご案内しますよ」
おお、ありがとう。見知らぬ女性よ。
君の人生に幸運があることを祈っておこう。
「な、何やら並んで歩くと緊張いたしますね」
「そうか?」
「ええ。じろじろと見られますので。それに組長さんの威圧感が……すごくていらっしゃいますから」
俺の隣を歩きながら、清が明らかに固い言葉で話しかけて来る。確かに商店街の通りを歩く人達が、俺らの方を振り返る。
どうやらヤクザの組長というのが、気になるらしい。
組員はええのに? なんで俺やとあかんのや。
絲さんは普通に俺と歩いとうで? むしろ俺と歩くと嬉しそうにしてくれるんやけど。
あの子、もしかして変わっとんか?
そう思て首を振る。
違う、そこは俺を愛してくれとうからや。
漬物屋も、沢庵とかの独特の匂いでその場所が分かった。
普段はこの辺に来ぉへんから、気ぃつかへんけど。商店街というのは食べ物の匂いが濃いんやな。
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