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五章

10、自分で洗えますから

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 泡まみれの蒼一郎さんの手は、いつものような乾いた武骨な感触とは違い、胸の上をすべるように動きます。

「や……っ、そこばかり洗わないでください」
「そこって、どこや? 俺は胸を洗ってやっとうけど。具体的にはどの辺やろ」

 そんなのご自分が触れてらっしゃるのですから、分かっているはずですよね。
 わたしは何とか蒼一郎さんから逃れようと、彼の腕に手を掛けました。
 でも、つるりと滑って上手くいかないの。

「おいおい、絲さん。俺から逃げるやなんて、野暮なことはしたらあかんで」
「自分で洗えますから」
「絲さんは悪女やないけど、悪い子やな。そういう子はお仕置きやな」

 はい? 雲行きが変わりました。
 蒼一郎さんは立ち上がると、湯船の縁に掛けてあった、あの腰紐を手に取ります。
 そう、なぜここにあるのか分からなかった、わたしの薄桃色の腰紐です。

「暴れたらあかんで。床が濡れとうからな。足を滑らせて頭を打ったら大変や」
「思いやりは、そこじゃない場所に使ってください」
「……分かった、絲さんの言うとおりや。優しくするから、安心し」

 蒼一郎さんは再び背後にまわると、わたしの耳元で囁きました。

 優しくするって、何をですか。体を洗うだけですよね?

「痛ないか?」と何度も尋ねながら、蒼一郎さんが、わたしの両手を後ろにまわして、肘を曲げさせて手首を腰紐で縛ります。
 あの、しつこいようですけど。痛いかどうかよりも、まず両手をいましめるのはどうかと……。ここ、お風呂ですし。

 なんだか、お白州でお裁きを受ける罪人のような格好です。
 はっ。もしかして蒼一郎さんに内緒でお誕生日の贈り物を買いに行っていたことを、白状させられるのでしょうか。

 蒼一郎さんはというと、手拭いで石鹸を泡立てながら鼻歌を歌っていらっしゃいます。
 ご機嫌は麗しいようですけど。その麗しさが不気味なんです。

「はい、綺麗にしよな」

 大きな手が、わたしの肌の上を滑ります。肩から胸にかけて、そしてお腹と……ちょっと待ってください。お尻を撫でられていますよ。

「蒼一郎さん。本当に自分で洗えますから」
「まぁ、任しとき」
「後生ですから」

 ふん、ふふふーん、と口ずさむメロディは聞き覚えがあります。多分「嗚呼、白菊。嗚呼、白菊」と歌ってらっしゃるのでしょう。
『庭の千草』という異国の民謡です。

「絲さんは、白菊みたいやなぁ」

 あ、合ってました。いえ、喜んでいる場合ではないのです。

「立ってもろた方が、ちゃんと洗えるなぁ。膝立ちでもええで」
「お願いです、お尻を狙わないで」
「狙うやなんて、物騒なことを言うたらあかんで」

「洗てるだけやん」と、蒼一郎さんはわたしの訴えを却下なさいます。
 さっきまで胸の大きさがどうのという話をしていたので、油断してしまいました。

◇◇◇

 甘いで、絲さん。
 俺は歌を口ずさみながら、口の端を上げた。
 勿論、背後に居るから絲さんには見えへん。

 絲さんの胸が大きくなったとかいうのは嘘やないけど。けど、それは単なる引っかけや。
 単純に俺のことを信じて、可愛いなぁ。もう。

 ちなみに彼女の尻を狙とんのは、ほんまや。まぁ、絲さんは薄々勘づいとうみたいやけどな。
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