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四章

16、ええ考えやと思う

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 傷を癒すいうたら温泉や。しかも百貨店でも絲さんに言うたけど。子宝の湯、なんという妙案。
 俺の頭の中は妄想でいっぱいや。

 ぽわわーん、と湯けむりが広がって。
 露天風呂に先に入っとう絲さんの背中が、湯気に霞む。
 ええなぁ。
 にやけそうになる口許を、俺は手で押さえた。

「絲さん、俺も入るで」とか。風呂上がりには「ひとくちだけ、酒を飲んでみぃひんか?」とか。
 
 恥じらったり、遠慮しつつも俺の差し出す酒をひとくち飲む絲さん。
 ぽぅっと頬を染めて。「酔ってしまいました」「なんや、そんな微量で。可愛いなぁ」とか、いちゃいちゃするんや。

「どうなさったの? 気分でも悪いんですか?」

 絲さんに声を掛けられて、俺ははっとした。

「駄目ですよ、無理をなさっちゃ。お布団を敷きますね」
「俺は別に」

「あら」と、絲さんは急に頬を染めた。もじもじと体を左右に揺らして、俺に向かって腕を開く。

「困った蒼一郎さんね。絲の胸を枕にするのがよろしいのね」
「いや、そういう訳では……」

 はっ。待て、俺。せっかく絲さんが嬉しいことを申し出てくれとんや。ここは素直に甘えとこ。

 自尊心と幸福とを秤にかけて、俺は後者を選んだ。
 
「もう、蒼一郎さんったら。弱っている時は、素直にならないと」
「うん、そうやなぁ」

 もたれかかる俺の頭を、絲さんがゆっくりと撫でてくれる。
 けどなぁ、別にこれくらいの傷は平気なんやで。

「ふふ、大きな子どもが出来たみたい」
「……まぁ、絲さんがそう思いたいんやったら別に否定はせんけど」

 だが、俺ははっとした。
 もし俺と絲さんの間に息子が出来て。その子が俺くらいに体がでかくなっても、母親に抱きしめられるようなことがあったら……。

 あかん。そんなん自分の子でも許されへん。
 小さい時だけや、息子(が出来るかどうかは分からへんけど)が絲さんに抱っこしてもらってもええのは。

 そうや、息子のことは俺が抱っこしたったらええんや。ちょっと絵面としては、あんまり想像したないけど。
 
 うーん、そうやなぁ。息子は俺似やのうて、絲さんに似とると想像したら、もう少しはマシに……。
 ならんかった。

「うーん、うーん」と唸る俺を、絲さんがきゅっと抱きしめる。

「ほら、ご無理をなさらないで。お布団で寝ましょうね」
「いや、そうやのうて」
「蒼一郎さんが眠るまで、絲が添い寝してさしあげますよ」

 結局、俺は無理やり布団に横にさせられた。
 絲さんはいそいそと団扇を持ち出して、俺の枕元に座り、そよそよと風を送ってくれる。
 いつも自分がされとうことを、今日は出来るから嬉しいんやなぁ。

 蚊遣りの煙のにおいが微かにする風。
 そろそろ夏も終わりやなぁ。
 涼しなったら、ほんまに温泉に行こ。

 心地よい団扇のそよ風。蚊遣りの煙の他に、香の仄かな匂いが漂ってくる。
 団扇を動かすたびに絲さんの浴衣の袂が揺れるから、桐の箪笥に入れとう香り袋の匂いが移っとんやろな。

 ふと見ると、絲さんが空いた左手で小箱を手にしとった。
 百貨店で買ってあげたマーブル柄とかいう薄紅や黄色に灰色が入った、愛らしい小箱や。
 そういえば喫茶室でも、嬉しそうに眺めとったな。

 良かった。襲われた時に潰れてへんかったんやな。
 今はまだ空の小箱に、絲さんは何を入れるんやろ。
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