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三章

34、来てくれへん

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 冬野の指摘は尤もやった。
 あいつは、俺がどれほど絲さんに本気かを確認する為に来たんや。絲さんの存在が俺の……ひいては三條組全体の今後に関わってくるから。

 ああ、もう。ようやく絲さんが手元に戻って来たのに。また手放せとか、鬼畜か。
 かといって絲さんを幽閉するわけにもいかんしな。
 どうしたらええんやろ。

 ため息をつきつつ、絲さんの待つ縁側に戻る。
 こんな時は、絲さんを腕の中に抱きしめて、彼女の匂いをかがせてもろたら、気持ちも落ち着くやろ。

 絲さんはさっきと同じように縁側に座って、蚊遣りから立ちのぼる煙を眺めとう。
 風が吹いて、前栽の木々やら下草の葉が擦れあって音を立てる。
 その風が縁側に届いたんか、絲さんの浴衣の兵児帯をひらりと揺らす。

 まるで金魚の尾びれみたいや。可愛いなぁ。
 にこにこと、自分でも笑みが零れているのが分かる。

「絲さん、待たせたな」

 両腕を広げて「おいで」と示したのだが。
 おや? どうして横を向くんだ?

 通常、俺が「おいで」と腕を広げたら、絲さんはとても嬉しそうに胸に飛び込んでくる。
 それはまるで耳をぴんと立てて、ふわふわの尻尾を千切れんばかりに振る小さな柴犬を思わせる。

 やのに……来てくれへん。
 絲さんが、俺のところに飛んできてくれへん。

「絲さん」

 もう一度呼ぶが、さらにそっぽを向かれた。
 思い当たる節はありすぎる。

 やっぱりこの間、絲さんを抱きすぎて、結果寝込ませてしまったからや。
 結局、土下座はせずに済んだけど。絲さんの中ではまだ怒りの熱は治まってへんかったんや。

 どうしよう……。俺は周囲を見回した。
 俺と絲さんが部屋代わりにしとう座敷(ええかげん、用意した部屋に移らなあかんのやけど)は、鍛錬する場所や池のある広い庭と繋がっとうから、常にどこかに組員の姿がある。

 さすがになぁ、頭である組長が土下座しとんは、見せられへんよなぁ。沽券に関わるし。

 縁側の沓脱石で草履を脱いで、俺は絲さんの傍に正座する。
 気がついた絲さんが、俺に座布団を勧めようとしたが。
 いやいや、気ぃ使わんといてくれ。これから土下座する人間にそんなんは不要や。

 けど……さすがに人目につくとこはあかんよな。

「ちょっとごめんな」

 そう告げて、絲さんの体を抱え上げる。寝込んどったせいで、以前よりもさらに軽くなっている。
 なんか、ほんまに申し訳ない気がする。

「あの、もう歩けますから。降ろしてください」
「いやいや。今度二人で出かけるまでに、ちょっとでも無理させたないからな」

 けど、俺の間近にある絲さんの顔は、いつものように微笑みを返してくれへん。
 硬い表情で小さな唇を引き結んでいる。

 うーん。おかしいなぁ。

 縁側から座敷に入り、後ろ手に障子を閉める。絲さんを抱えとうから片手で。
 ぱしん、ぱしん……と次々に閉まっていく障子。室内は白い障子紙を通して、柔らかな薄闇へと変化する。

「あの、何か?」
「いや、絲さんが怒っとうから、土下座させてもらおかと思て」
「土下座?」

 絲さんが素っ頓狂な声を上げた。
 あんまり耳元で高い声出したらあかんで。きーんとなったやろ。
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