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三章
19、渡しません【1】
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蒼一郎さんがゆっくりとお酒を召し上がり、時間をかけて夕食をとっていると、波多野さんがガラスの器に入ったわらび餅を持ってきてくださいました。
そういえば、蒼一郎さんに手土産で頂いたのです。いつの間にか消えてましたけど。
「これ、絲さんか頭のですよね。なんや庭に落ちとったって、若い者が言うて」
「あー、思い出した。絲さんを担いどったからなぁ」
蒼一郎さんが自らお菓子を買うなんて、珍しいことです。
瓜の瑞々しさと仄かな甘さを楽しんでいたわたしは、きな粉のかかった黒っぽいわらび餅に目を奪われました。
本蕨粉を使ってあるので、白くないんです。職人さんが丹念に練り上げたであろうわらび餅。
わたしは黒もじでわらび餅を刺し、きな粉をたっぷりとつけました。
「絲さん。まだ食事終わってへんで」
「え?」
「そもそもなんで、途中で瓜を食うとんのや」
「だって、美味しいじゃないですか」
「うん、うまいよな」と蒼一郎さんは仰いますが。そのままわたしのお膳から瓜とわらび餅の器を取り上げてしまいました。
「これは食後。分かっとうよな」
「……はい」
◇◇◇
瓜とわらび餅を取り上げると、絲さんは見るからに「しょぼん」という感じでうなだれた。
あかんなぁ。俺はすぐに何でも取り上げてしまうよな。けど、我慢しぃや。甘いもんばっかり食べとったら体に良うないやろ。
俺と絲さんの間に子どもが生まれたとして。この人は、その子と一緒におかずよりも果物とか菓子を先に食べるんとちゃうやろか。
そんなんあかん。健康で頑健な肉体ができへんやろ。
彼女は多分、俺が時間をかけて晩飯を食うと思とうやろ。違うんやで。絲さんの食べるんがゆっくりやから、合わせてるんやで。
朝や昼も、絲さんの速度に合わせとうから。まぁ気ぃつかへんかな。
食事を終えて波多野が膳を下げに来た。絲さんは、自分で布団を敷くと言って、押し入れから二人分の布団を出す。
上にかける夏布団は軽いけど、敷布団は重そうや。俺は立ち上がって代わりに敷いてやった。
優しさ? さぁ、どうやろな。けど波多野やら絲さんに任せたら、二組の布団を離して敷くからな。
こうぴっちりと布団をくっつけて、それが正しい敷き方やと俺は思う。
薄い夏布団を広げる絲さんの浴衣の胸元が、今日はちょっと膨らんどう。これはさっきの紙を丸めたのが入っとうからや。
さすがに恋文は取らへんけど、これは返してもらうで。
明日の朝、絲さんが目ぇ覚ます前に燃やしたろ。
夜も更けて。山から吹き下ろす夜風に前栽の木々が、さわさわと揺れとう。
縁側から空を眺めると、海の方へと伸びていく天の川がはっきりと見える。
けど……恥ずかしいことに。絲さんはその縁側で、俺が渡した恋文を読んどんや。
嗚呼、もうやめてくれ。
なんで俺は恋文なんかしたためたんや。
あほ、俺のあほ。
「『われをよぶアンドロメダーのこゑきけば ゆめのなかにもにじかかるやう』」
絲さんは、一文字一文字を噛みしめるように読み上げた。
お願いや、声に出さんと読んでくれ。
これを書いた時の俺は、熱に浮かされとったんや。
もし時を遡れるのなら、余計なもんを文字にして残すな、あとで大恥かくぞ。とあの時の自分を叱りつけてやりたい。
まぁ、不審者が家に侵入したゆうて、時を遡った俺は組の者に殺られるか。或いは俺自身が恥ずかしさのあまり、筆を墨汁に浸しとう俺の首を背後から絞めるか。どっちにしても血ぃ見るわ。
絲さんはそんな物騒な引き金になりかねんブツを、にこにこと嬉しそうに読み返しとう。
なぁ、それは危険な代物なんやで。
そういえば、蒼一郎さんに手土産で頂いたのです。いつの間にか消えてましたけど。
「これ、絲さんか頭のですよね。なんや庭に落ちとったって、若い者が言うて」
「あー、思い出した。絲さんを担いどったからなぁ」
蒼一郎さんが自らお菓子を買うなんて、珍しいことです。
瓜の瑞々しさと仄かな甘さを楽しんでいたわたしは、きな粉のかかった黒っぽいわらび餅に目を奪われました。
本蕨粉を使ってあるので、白くないんです。職人さんが丹念に練り上げたであろうわらび餅。
わたしは黒もじでわらび餅を刺し、きな粉をたっぷりとつけました。
「絲さん。まだ食事終わってへんで」
「え?」
「そもそもなんで、途中で瓜を食うとんのや」
「だって、美味しいじゃないですか」
「うん、うまいよな」と蒼一郎さんは仰いますが。そのままわたしのお膳から瓜とわらび餅の器を取り上げてしまいました。
「これは食後。分かっとうよな」
「……はい」
◇◇◇
瓜とわらび餅を取り上げると、絲さんは見るからに「しょぼん」という感じでうなだれた。
あかんなぁ。俺はすぐに何でも取り上げてしまうよな。けど、我慢しぃや。甘いもんばっかり食べとったら体に良うないやろ。
俺と絲さんの間に子どもが生まれたとして。この人は、その子と一緒におかずよりも果物とか菓子を先に食べるんとちゃうやろか。
そんなんあかん。健康で頑健な肉体ができへんやろ。
彼女は多分、俺が時間をかけて晩飯を食うと思とうやろ。違うんやで。絲さんの食べるんがゆっくりやから、合わせてるんやで。
朝や昼も、絲さんの速度に合わせとうから。まぁ気ぃつかへんかな。
食事を終えて波多野が膳を下げに来た。絲さんは、自分で布団を敷くと言って、押し入れから二人分の布団を出す。
上にかける夏布団は軽いけど、敷布団は重そうや。俺は立ち上がって代わりに敷いてやった。
優しさ? さぁ、どうやろな。けど波多野やら絲さんに任せたら、二組の布団を離して敷くからな。
こうぴっちりと布団をくっつけて、それが正しい敷き方やと俺は思う。
薄い夏布団を広げる絲さんの浴衣の胸元が、今日はちょっと膨らんどう。これはさっきの紙を丸めたのが入っとうからや。
さすがに恋文は取らへんけど、これは返してもらうで。
明日の朝、絲さんが目ぇ覚ます前に燃やしたろ。
夜も更けて。山から吹き下ろす夜風に前栽の木々が、さわさわと揺れとう。
縁側から空を眺めると、海の方へと伸びていく天の川がはっきりと見える。
けど……恥ずかしいことに。絲さんはその縁側で、俺が渡した恋文を読んどんや。
嗚呼、もうやめてくれ。
なんで俺は恋文なんかしたためたんや。
あほ、俺のあほ。
「『われをよぶアンドロメダーのこゑきけば ゆめのなかにもにじかかるやう』」
絲さんは、一文字一文字を噛みしめるように読み上げた。
お願いや、声に出さんと読んでくれ。
これを書いた時の俺は、熱に浮かされとったんや。
もし時を遡れるのなら、余計なもんを文字にして残すな、あとで大恥かくぞ。とあの時の自分を叱りつけてやりたい。
まぁ、不審者が家に侵入したゆうて、時を遡った俺は組の者に殺られるか。或いは俺自身が恥ずかしさのあまり、筆を墨汁に浸しとう俺の首を背後から絞めるか。どっちにしても血ぃ見るわ。
絲さんはそんな物騒な引き金になりかねんブツを、にこにこと嬉しそうに読み返しとう。
なぁ、それは危険な代物なんやで。
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