83 / 257
三章
16、遅い夕餉【1】
しおりを挟む
本当に蒼一郎さんには振り回されっぱなしです。
散々、わたしを揶揄ったり。かと思うと手放したり、なのにお風呂上がりには驚いたことに、わたしの髪を乾かしてくれたの。
浴衣を着て脱衣所を出た時から、わたしの後をついて歩いて。その間ずっと手拭いで、わたしの髪を挟みこんでいたわ。
「あの、自分で乾かしますよ」
「いーや、夏風邪は治りにくいって言うからな。そんなんなったら、また絲さんを実家に帰さなあかんやんか」
「え?」
わたしは立ち止まって、そして背後に聳える蒼一郎さんにしがみつきました。
「嫌です。帰さないって言ったじゃないですか」
「帰さへんで。せやから、風邪を引かんようにせんとなぁ。その為にも俺がこうして乾かしとんやろ」
あら? おかしな流れです。もしかして、丸め込まれてしまったのかしら。
抱きついた蒼一郎さんの体からは、石鹸のいい匂いがしていました。
そんなわけで、廊下を歩きながら、そしていつものお部屋に戻ってもなお、蒼一郎さんは縁側にわたしを座らせて髪を拭いていました。手拭いを何本も替えて。
波多野さんが夕食を持ってきてくださったのですが。フリルのついた割烹着を着た波多野さんを見るのも、懐かしい気がします。
厳めしい顔に、意外とフリルって似合うんですね。
お膳を運んでくださり、わたし達は遅い夕食をとることにしました。
まず目に飛び込んできたのが、夏大根で拵えた蝶々と人参の花。本当に可愛いです。
それに、酢の物の上にちんまりと載っているのは、熊かしら。薄焼き卵を熊の形に切ってあるのね。
「可愛い熊ですね」
「う……っ、すんません。精進します」
波多野さんは頭を下げたけど。え、熊じゃないの? 口ごもる波多野さんを、わたしはしつこいくらいに追究しました。
頭に巻いた三角巾を外して、波多野さんはとうとう「うさぎ……ですわ」と告げたの。顔を真っ赤にしながら。
「豚とちゃうかったんか。これ」と、蒼一郎さんがさらに追い打ちを掛けます。
「すんません。蝶とかは料理番が切ったんですけど。そのウサギは俺が……」
わたしは、はっとしました。
そうよ。わたしだって可愛いうさぎの折り紙を贈ったのに。蒼一郎さんに「豚やろ」なんて言われて。ショックを受けたのに。
「ごめんなさい。わたし、勘が鈍くて。可愛いうさぎです」
「絲お嬢さん」
「波多野さん」
お互い不器用な者同士、慰め合う視線が絡み合いました。
――あなたも苦労なさっているのね。
――絲お嬢さんこそ。手先が器用になれへんのは、お互いつらいですなぁ。
そこに余分な言葉はなくとも、いたわりの感情は視線に乗せることができます。
けれど、そんな相憐れむ時間もほんの束の間。蒼一郎さんが、わたしと波多野さんの間に割って入ったの。
「ちょお待て。聞き捨てならんな」
「何も言ってませんよ」
「はい。別になんも言うてません」
わたしと波多野さんの言葉が重なったせいで、蒼一郎さんの唇がへの字に結ばれます。
「言うてへんけど、聞こえるんや。俺をのけ者にしとうやろ」
「だって、蒼一郎さんは器用ですもの」
「器用な人間には、どう頑張ってもうまくいかへん不器用さは、分からしませんでしょ」
二対一なので、こちらが多勢です。
散々、わたしを揶揄ったり。かと思うと手放したり、なのにお風呂上がりには驚いたことに、わたしの髪を乾かしてくれたの。
浴衣を着て脱衣所を出た時から、わたしの後をついて歩いて。その間ずっと手拭いで、わたしの髪を挟みこんでいたわ。
「あの、自分で乾かしますよ」
「いーや、夏風邪は治りにくいって言うからな。そんなんなったら、また絲さんを実家に帰さなあかんやんか」
「え?」
わたしは立ち止まって、そして背後に聳える蒼一郎さんにしがみつきました。
「嫌です。帰さないって言ったじゃないですか」
「帰さへんで。せやから、風邪を引かんようにせんとなぁ。その為にも俺がこうして乾かしとんやろ」
あら? おかしな流れです。もしかして、丸め込まれてしまったのかしら。
抱きついた蒼一郎さんの体からは、石鹸のいい匂いがしていました。
そんなわけで、廊下を歩きながら、そしていつものお部屋に戻ってもなお、蒼一郎さんは縁側にわたしを座らせて髪を拭いていました。手拭いを何本も替えて。
波多野さんが夕食を持ってきてくださったのですが。フリルのついた割烹着を着た波多野さんを見るのも、懐かしい気がします。
厳めしい顔に、意外とフリルって似合うんですね。
お膳を運んでくださり、わたし達は遅い夕食をとることにしました。
まず目に飛び込んできたのが、夏大根で拵えた蝶々と人参の花。本当に可愛いです。
それに、酢の物の上にちんまりと載っているのは、熊かしら。薄焼き卵を熊の形に切ってあるのね。
「可愛い熊ですね」
「う……っ、すんません。精進します」
波多野さんは頭を下げたけど。え、熊じゃないの? 口ごもる波多野さんを、わたしはしつこいくらいに追究しました。
頭に巻いた三角巾を外して、波多野さんはとうとう「うさぎ……ですわ」と告げたの。顔を真っ赤にしながら。
「豚とちゃうかったんか。これ」と、蒼一郎さんがさらに追い打ちを掛けます。
「すんません。蝶とかは料理番が切ったんですけど。そのウサギは俺が……」
わたしは、はっとしました。
そうよ。わたしだって可愛いうさぎの折り紙を贈ったのに。蒼一郎さんに「豚やろ」なんて言われて。ショックを受けたのに。
「ごめんなさい。わたし、勘が鈍くて。可愛いうさぎです」
「絲お嬢さん」
「波多野さん」
お互い不器用な者同士、慰め合う視線が絡み合いました。
――あなたも苦労なさっているのね。
――絲お嬢さんこそ。手先が器用になれへんのは、お互いつらいですなぁ。
そこに余分な言葉はなくとも、いたわりの感情は視線に乗せることができます。
けれど、そんな相憐れむ時間もほんの束の間。蒼一郎さんが、わたしと波多野さんの間に割って入ったの。
「ちょお待て。聞き捨てならんな」
「何も言ってませんよ」
「はい。別になんも言うてません」
わたしと波多野さんの言葉が重なったせいで、蒼一郎さんの唇がへの字に結ばれます。
「言うてへんけど、聞こえるんや。俺をのけ者にしとうやろ」
「だって、蒼一郎さんは器用ですもの」
「器用な人間には、どう頑張ってもうまくいかへん不器用さは、分からしませんでしょ」
二対一なので、こちらが多勢です。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
687
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる