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三章

16、遅い夕餉【1】

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 本当に蒼一郎さんには振り回されっぱなしです。
 散々、わたしを揶揄ったり。かと思うと手放したり、なのにお風呂上がりには驚いたことに、わたしの髪を乾かしてくれたの。

 浴衣を着て脱衣所を出た時から、わたしの後をついて歩いて。その間ずっと手拭いで、わたしの髪を挟みこんでいたわ。

「あの、自分で乾かしますよ」
「いーや、夏風邪は治りにくいって言うからな。そんなんなったら、また絲さんを実家に帰さなあかんやんか」
「え?」

 わたしは立ち止まって、そして背後に聳える蒼一郎さんにしがみつきました。

「嫌です。帰さないって言ったじゃないですか」
「帰さへんで。せやから、風邪を引かんようにせんとなぁ。その為にも俺がこうして乾かしとんやろ」

 あら? おかしな流れです。もしかして、丸め込まれてしまったのかしら。
 抱きついた蒼一郎さんの体からは、石鹸のいい匂いがしていました。

 そんなわけで、廊下を歩きながら、そしていつものお部屋に戻ってもなお、蒼一郎さんは縁側にわたしを座らせて髪を拭いていました。手拭いを何本も替えて。

 波多野さんが夕食を持ってきてくださったのですが。フリルのついた割烹着を着た波多野さんを見るのも、懐かしい気がします。
 厳めしい顔に、意外とフリルって似合うんですね。

 お膳を運んでくださり、わたし達は遅い夕食をとることにしました。

 まず目に飛び込んできたのが、夏大根で拵えた蝶々と人参の花。本当に可愛いです。
 それに、酢の物の上にちんまりと載っているのは、熊かしら。薄焼き卵を熊の形に切ってあるのね。

「可愛い熊ですね」
「う……っ、すんません。精進します」

 波多野さんは頭を下げたけど。え、熊じゃないの? 口ごもる波多野さんを、わたしはしつこいくらいに追究しました。
 頭に巻いた三角巾を外して、波多野さんはとうとう「うさぎ……ですわ」と告げたの。顔を真っ赤にしながら。

「豚とちゃうかったんか。これ」と、蒼一郎さんがさらに追い打ちを掛けます。

「すんません。蝶とかは料理番が切ったんですけど。そのウサギは俺が……」

 わたしは、はっとしました。
 そうよ。わたしだって可愛いうさぎの折り紙を贈ったのに。蒼一郎さんに「豚やろ」なんて言われて。ショックを受けたのに。

「ごめんなさい。わたし、勘が鈍くて。可愛いうさぎです」
「絲お嬢さん」
「波多野さん」

 お互い不器用な者同士、慰め合う視線が絡み合いました。

――あなたも苦労なさっているのね。
――絲お嬢さんこそ。手先が器用になれへんのは、お互いつらいですなぁ。

 そこに余分な言葉はなくとも、いたわりの感情は視線に乗せることができます。
 けれど、そんな相憐れむ時間もほんの束の間。蒼一郎さんが、わたしと波多野さんの間に割って入ったの。

「ちょお待て。聞き捨てならんな」
「何も言ってませんよ」
「はい。別になんも言うてません」

 わたしと波多野さんの言葉が重なったせいで、蒼一郎さんの唇がへの字に結ばれます。

「言うてへんけど、聞こえるんや。俺をのけ者にしとうやろ」
「だって、蒼一郎さんは器用ですもの」
「器用な人間には、どう頑張ってもうまくいかへん不器用さは、分からしませんでしょ」

 二対一なので、こちらが多勢です。
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