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三章

6、恋文【3】

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 こいぶみ……恋文。
 その、きらきらと煌めいて、甘くてふんわりした言葉が、まさか組長を務める自分の口から出てくるとは。

 俺は慌てて手で口を押えた。
 さっきの「絲さん宛ての恋文や」という言葉を、どうか彼女が聞き逃していますようにと、願いながら。

 だが、絲さんは目を輝かせて俺を見上げていた。
 あかん、しっかりと聞いとった。

「これ、わたし宛ての恋文なんですか?」
「ま、まぁ……絲さんがそう思うんやったら、そうなんとちゃうかな」
「……違うんですか?」

 ああ、そんな縋りつくような目で見んといてくれ。心がぐらぐらと揺らぐやないか。
 
「い、絲さん宛てや」
「蒼一郎さんがお書きになったんですよね」
「さぁ、どうやろうな」
「……違うんですか?」

 うぁー。俺は頭を抱えた。
 俺から絲さん宛てで間違いない。他の女に恋文なんか書くはずがない。けど、へったくそな和歌を目の前で読まれたら。
 俺は浜辺の砂を掘って埋まったらええんか? それとも海を泳いで渡ったらええんか?

 どうしようもなくて、口をへの字に結ぶ。喋らへんかったら、ボロも出ぇへん。
 けど、隣に座る絲さんの顔が次第に陰りを帯びていくのが分かった。
 雲でも出たんかと思ったけど。上を見ても、松の枝の向こうには、青い空が広がっとうだけや。

「つまり、わたしへの恋文を、蒼一郎さんが預かって届けに来てくれたんですね。今日の訪問の目的はそれだったんですね」

 彼女の声は沈んで聞こえた。
「そうやで」と言ってしまえば、恥ずかしい事実を消すことができる。それやのに……。

 他の男からの恋文を渡すということは、俺が絲さんを諦めたということになるんやろか。
 色恋沙汰に疎いから、よう分からんけど。

 ちょっと考えてみよか。たとえば、絲さんが「女學院の先生が、蒼一郎さんのことがお好きらしくて、恋文を預かって来たんです」と渡されてみたとして。

 そんな事実は微塵もあらへんのに。俺は泣きそうになった。それは、つまり絲さんが俺に好意を抱いてへんということや。
 もしちょっとでも好きやったら、他の奴からの恋文なんか預かってこぉへん。

「ごめんなさい、読めません。申し訳ありませんが、お返ししてもいいですか」
「絲さん?」

 絲さんはうつむいたまま立ち上がった。そして「失礼します」と歩き出した。
 俺は慌てて彼女の手首を掴む。力の加減が出来ずに、絲さんが「痛っ」と小さく洩らした。

 反射的に手を離したけど、それでも彼女が走って去ってしまいそうやったから。俺は華奢なその体を腕の中に閉じ込めた。
 絲さんの手から、経木の箱に入ったわらび餅が落ちる。それと、恋文も。
 
「離してください」

 発する声は固く、腕の中の体も強張っている。まるで見知らぬ男に抱きしめられたかのように。
 これまで彼女が、俺に如何に打ち解けてくれていたのかようやく分かった。

「済まん。あの恋文は、俺が絲さんを想って書いたもんや」
「でも、違うって」
「……勇気がなかったんや」

 まったくもって可笑しな話や。あんだけ「俺の嫁になれ」とか、偉そうに言うといて。恋心を自覚したら、急に小心者になるやなんて。

わろてくれてええ。呆れてもええ。けど、あれは間違いなく俺が絲さんに書いたもんや」

 その時、絲さんが身をひねってするりと俺の腕の中から消えた。
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