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二章

9、初恋【2】

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 もう、びっくりしました。
 わたしは横になったままで顔を上げると、暗い笑顔を浮かべた蒼一郎さんと目が合いました。

「まぁ、絲さんの傍をうろちょろせんように、初恋相手には、この街からお引き取り願うかな」

 あの。冗談を言っている表情じゃないですよ。怖いです。

「で、誰なん?」
「言いません。だって、その人が街を追い出されるんでしょ」
「まぁな。けど心配するな。命もとらへんし、怪我もさせへん。ただちょっとばかり不名誉な噂が、そいつの職場か学校か近所に流れるかもしれんなぁ」
「だったら、余計に言えません」

 ふいっと横を向くと、がっしりとした手がわたしの両頬を掴みました。

「にゃ、にゃにをひゅるんれすか」
「絲さんが、そいつの名前を言うたら離したる」

 仕草は子どもっぽいのに、その先に見える行動が恐ろしすぎですよ。

「十数えるまで、待ったろ。でも言わんかったら、勝手にそいつを探し出す」

 そんなお風呂に浸かるみたいに、脅さないでください。しかも言っても言わなくても、結果は同じじゃないですか。

「いーち、にーぃ」

 蒼一郎さんは抑揚をつけて、数え始めました。
 でも、これが初恋かどうか自信がないんですよ。それに本人に向かって「多分、あなたが初恋かもしれません」なんて、曖昧な告白ってどうなんですか?

 わたしだったら「確信はないけど、多分、もしかしたら絲さんのことが好きかもしれへん。よう分からへんけど」なんて告白は、絶対に嫌です。
 願い下げです。

「はーち、きゅーう、じゅーう」

 はっ。煩悶している内にとうとう時間が無くなってしまいました。
 頬はまだ、蒼一郎さんの手で挟まれたままです。

「絲さん。ええ加減に白状しぃや」
「で、でも……」
「あんまり俺を怒らせん方がええで」

 怖いです。助けてシスター。助けてマリアさま。

◇◇◇

 大人げないと分かっとうっても、俺は絲さんの初恋の相手が気になってしょうがなかった。

 まぁ、明日は学校が休みやし。ちょっとくらい夜更かしさせてもええやろ。
 ちなみに俺の初恋は……ない。

 遊郭の女に、そういう気持ちを抱いたこともないし。ミルクホウルの女給にもないな。
 他に女の知り合いというと。
 あぁ、十年ほど前の市制の施行で、隣の市に拠点を置くことになったヤクザの組長の娘がおったか。
……論外やな。

 人攫いにうた絲さんを助けに行った三年前。その時から、この子に執着しとるけど。
 これを初恋というんやろか。

 いや、確かに躑躅の蜜を吸っている絲さんを、可愛いとは思ったし。こう胸の奥が、きゅんとなったけど。
 あの気持ちが、欲情しとんのとは違うと分かるけど。
 自由恋愛推奨についての評論文を読んだところで、自分のことに当てはまるんかどうか、よう分からん。

 北村とかいう作家さんよ。いっそ初恋の定義も、本に書いてくれへんやろか。
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