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一章
14、木苺と粉薬【1】
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蒼一郎さんのお家は、とても立派です。
わたしは座敷にいるのですが、開かれた障子から見えるのは、どこかの古寺名刹かしらと見間違うほどの手入れの行き届いた庭園です。
おそらく錦鯉が泳いでいる池には、石橋が掛かっているし、雨に煙っているけれど、松の枝ぶりも立派です。
石灯籠なんて苔むしていて、年季が入っています。
「蒼一郎さんって、何者なんですか?」
「なんや? 急に」
わたしを寝かしつけるためでしょうか。蒼一郎さんは肘をついた状態で、私の隣で横になっています。
時おり、縁側からわたし達の様子を見て、驚いたように口をぽかんと開く男の人がいます。
なんだか申し訳ないです。
だって女學院の高等部に通うわたしは、もう子どもではないのに。蒼一郎さんは、添い寝をしてくれているんですもの。
「一人で眠れます」と申し出ても「いいや、あかん。また急に立ち上がるやろ」と押し切られてしまいました。
ふいに大きな手が、わたしのおでこに載せられました。そのひんやりとした感触が心地よくて、思わず目を細めてしまいます。
「熱、下がらへんな。薬を飲まなあかんな」
「こ、粉薬ですか?」
「なんや。あまーいシロップやないと飲まれへんのか」
「違いますよ」
失礼ですね。そんなに幼くないです。
丸薬だって飲めますよ。ただ粉薬はオブラートがないと、つらいんです。
「オブラート? うちにそんな軟弱な物はあらへんな」
「軟弱って。じゃあ、どうやって粉薬を飲むんですか?」
「そりゃあ、そのまま口の中に放り込んで、水で飲みこむ。当たり前のことやろ」
なんという恐ろしいことを、蒼一郎さんは言うんでしょうか。
粉で噎せるし、苦いじゃないですか。
悪戯を思いついたように、なぜか蒼一郎さんが意地悪そうな笑みを浮かべます。
そして廊下側の障子を開くと、誰かに声をかけていました。
しばらくして男の人が運んできたのは、水の入った瓶とグラス、美味しそうな木苺。それに浴衣でした。
「薬を飲むんやったら、空腹はあかんやろ。絲さんは木苺は食べられるか?」
「大好き。あ、いえ、好きです」
勢い込んで言ってしまってから、わたしは慌てて手で口を押えました。
だって蒼一郎さんが、笑いを噛み殺しているんですもの。
初対面の方ですけど。聡い人だというのは分かります。
子どもっぽい言葉遣いに気づかれて、わたしはうつむいてしまいました。
ガラスの器に盛られているのは、まるでルビィの粒のようにきらめく木苺の実。たぶん、皐月苺だと思うのだけれど。森に自生しているので、下校中に時折こっそりと摘んで食べているんです。
ほら、通学ってお腹が空くものね。
蒼一郎さんは微笑むと、木苺を指で抓んでわたしの前に差し出したの。
これは、どういうこと?
理解ができなくて、彼の顔をじっと眺めていると、蒼一郎さんは少しだけ頬を赤らめました。
「察しなさい」
「えっと、その。食べさせてくださるということですか?」
「それ以外にあるんか?」
ないです。多分、ないと思います。
でも、殿方に食べさせてもらうことなんて、経験ないですよ。
困ってしまったわたしがもじもじしていると「早よしなさい」と、声を掛けられました。
「俺も恥ずかしいんや」
「じゃあ、自分で食べますから」
「その選択肢はない。俺が絲さんに食べさせる。一択や」
恥ずかしいと仰ってるのに、どうしてそんなに強引なんですか?
「しゃあないな」と蒼一郎さんが呟きました。
食べさせるのを諦めてくれたのかと思ったのですけど。違いました。
美しく澄んだ赤い粒を、蒼一郎さんはあろうことかご自分の口に放り込んだのです。
「あっ!」
「ほら、ちゃんと口を開かんと、俺が全部食べてしまうで」
なんという意地悪。
いけずな蒼一郎さんは、また次の粒を口に放り込みました。
わたしは座敷にいるのですが、開かれた障子から見えるのは、どこかの古寺名刹かしらと見間違うほどの手入れの行き届いた庭園です。
おそらく錦鯉が泳いでいる池には、石橋が掛かっているし、雨に煙っているけれど、松の枝ぶりも立派です。
石灯籠なんて苔むしていて、年季が入っています。
「蒼一郎さんって、何者なんですか?」
「なんや? 急に」
わたしを寝かしつけるためでしょうか。蒼一郎さんは肘をついた状態で、私の隣で横になっています。
時おり、縁側からわたし達の様子を見て、驚いたように口をぽかんと開く男の人がいます。
なんだか申し訳ないです。
だって女學院の高等部に通うわたしは、もう子どもではないのに。蒼一郎さんは、添い寝をしてくれているんですもの。
「一人で眠れます」と申し出ても「いいや、あかん。また急に立ち上がるやろ」と押し切られてしまいました。
ふいに大きな手が、わたしのおでこに載せられました。そのひんやりとした感触が心地よくて、思わず目を細めてしまいます。
「熱、下がらへんな。薬を飲まなあかんな」
「こ、粉薬ですか?」
「なんや。あまーいシロップやないと飲まれへんのか」
「違いますよ」
失礼ですね。そんなに幼くないです。
丸薬だって飲めますよ。ただ粉薬はオブラートがないと、つらいんです。
「オブラート? うちにそんな軟弱な物はあらへんな」
「軟弱って。じゃあ、どうやって粉薬を飲むんですか?」
「そりゃあ、そのまま口の中に放り込んで、水で飲みこむ。当たり前のことやろ」
なんという恐ろしいことを、蒼一郎さんは言うんでしょうか。
粉で噎せるし、苦いじゃないですか。
悪戯を思いついたように、なぜか蒼一郎さんが意地悪そうな笑みを浮かべます。
そして廊下側の障子を開くと、誰かに声をかけていました。
しばらくして男の人が運んできたのは、水の入った瓶とグラス、美味しそうな木苺。それに浴衣でした。
「薬を飲むんやったら、空腹はあかんやろ。絲さんは木苺は食べられるか?」
「大好き。あ、いえ、好きです」
勢い込んで言ってしまってから、わたしは慌てて手で口を押えました。
だって蒼一郎さんが、笑いを噛み殺しているんですもの。
初対面の方ですけど。聡い人だというのは分かります。
子どもっぽい言葉遣いに気づかれて、わたしはうつむいてしまいました。
ガラスの器に盛られているのは、まるでルビィの粒のようにきらめく木苺の実。たぶん、皐月苺だと思うのだけれど。森に自生しているので、下校中に時折こっそりと摘んで食べているんです。
ほら、通学ってお腹が空くものね。
蒼一郎さんは微笑むと、木苺を指で抓んでわたしの前に差し出したの。
これは、どういうこと?
理解ができなくて、彼の顔をじっと眺めていると、蒼一郎さんは少しだけ頬を赤らめました。
「察しなさい」
「えっと、その。食べさせてくださるということですか?」
「それ以外にあるんか?」
ないです。多分、ないと思います。
でも、殿方に食べさせてもらうことなんて、経験ないですよ。
困ってしまったわたしがもじもじしていると「早よしなさい」と、声を掛けられました。
「俺も恥ずかしいんや」
「じゃあ、自分で食べますから」
「その選択肢はない。俺が絲さんに食べさせる。一択や」
恥ずかしいと仰ってるのに、どうしてそんなに強引なんですか?
「しゃあないな」と蒼一郎さんが呟きました。
食べさせるのを諦めてくれたのかと思ったのですけど。違いました。
美しく澄んだ赤い粒を、蒼一郎さんはあろうことかご自分の口に放り込んだのです。
「あっ!」
「ほら、ちゃんと口を開かんと、俺が全部食べてしまうで」
なんという意地悪。
いけずな蒼一郎さんは、また次の粒を口に放り込みました。
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