10 / 257
一章
9、初めてやないのに
しおりを挟む
「絲さんには、俺がついとうからな」
瞼を閉じたままで素直に絲さんがうなずくから、俺は彼女の頬に唇を寄せた。
ほっぺたくらいになら、接吻してもええやろか。
いや、こういう時に限って、きっと波多野が戻ってきたりするんや。
逡巡しつつ耳を澄ますが、廊下を歩く音は聞こえない。
桶に水を汲むって言うとったな。裏庭の井戸やから、すぐには戻ってこぉへんか。
ほんのちょっとやから。触れるだけやから。
絲さんの寝てる布団の側に座る俺は、彼女の手を握ったまま上体を屈めた。
女に接吻したことも抱いたことも、三十歳やから勿論ある。けど、こんな風にドキドキしたことは、一度もなかった。
唇とちゃうから、泣いたりせぇへんよな。いや、でも俺なんかに……ヤクザの組長なんかに接吻されたと知ったら、舌を噛みたなるかもしれへんよな。
いやいやいや、考えすぎや。頑張れ、俺。
っていうか、接吻って頑張るもんなんか?
しばらく逡巡しとると、絲さんが目を覚ました。ひたいから落ちそうになる手拭いを手で押さえつつ、彼女はゆっくりと上体を起こす。
「あの、ここは?」
間近に迫った絲さんの顔。熱のせいで上気した頬。
自分でも信じられへんのやけど、俺は絲さんの唇にくちづけとった。
絲さんは何が起こったんか分からん様子で、目を丸く見開いた。
手で押さえとったはずの手拭いは、掛け布団の上に落ちていった。
「柔らか……」
俺は思わず呟いとった。
絲さんはまじまじと俺の顔を見つめて、それから空いた左手で自分の唇に手を触れた。
「あの。今、何をなさったの?」
それを俺に訊くんか。俺が答えられると思てんのか、この子は。
頭を抱えたなったけど。そんなんしたら、絲さんの右手を離さなあかん。
「絲さん、もう十六になるんやろ。接吻も知らんのか?」
「知ってはいますけど。したことも、されたこともないので」
そらまぁ、そうやろな。逆に慣れとったらびっくりや。
俺はまた上体を屈めて、絲さんに唇を寄せた。
◇◇◇
どうすればいいのかしら。
三條さんの顔が間近に迫ってきて、わたしは固まってしまいました。
「こういう時は、目ぇ閉じるんやで」
「は、はい」
言われるままに瞼を閉じます。三條さんの片手はわたしの手とつないだまま。もう片方の手は、わたしの頬に添えられました。
再び、少しかさついた唇が重ねられました。
「ああ、震えとう。可愛いな」
「……言わないでください」
恥ずかしさに顔を背けようとしたけれど、無理でした。
「もっとよう顔を見せてみ」と、三條さんの方を向かされます。
「俺は、あんたが約束の十六歳になるんを待っとった。三年か……長かったわ」
「わたしのことを、待っていらっしゃったの?」
「せや。学校帰りの絲さんを見かけるたびに、あんたは大人びていくから。気が気やなかった。どっかの書生に心惹かれたりせぇへんやろかって」
そう囁きながら、三條さんは何度もくちづけてきます。
「この先、たぶん近い内に俺は絲さんを抱くと思う。せやから少しずつ慣らしていこな」
思いがけない言葉に、わたしは三條さんの羽織の袖にしがみつきました。
三條さんはわたしを抱きしめて、唇や頬だけじゃなくて、うなじにも接吻したわ。
軽く、そしてひりつく痛みを感じるほどに強く。
長襦袢姿のままで、殿方に抱きしめられるなんて。きっとシスターに叱られるけれど。
でも、なぜかしら。
三條さんの腕の中にいると、不思議と懐かしくて落ち着くの。
この人が、わたしの許嫁だからなの?
瞼を閉じたままで素直に絲さんがうなずくから、俺は彼女の頬に唇を寄せた。
ほっぺたくらいになら、接吻してもええやろか。
いや、こういう時に限って、きっと波多野が戻ってきたりするんや。
逡巡しつつ耳を澄ますが、廊下を歩く音は聞こえない。
桶に水を汲むって言うとったな。裏庭の井戸やから、すぐには戻ってこぉへんか。
ほんのちょっとやから。触れるだけやから。
絲さんの寝てる布団の側に座る俺は、彼女の手を握ったまま上体を屈めた。
女に接吻したことも抱いたことも、三十歳やから勿論ある。けど、こんな風にドキドキしたことは、一度もなかった。
唇とちゃうから、泣いたりせぇへんよな。いや、でも俺なんかに……ヤクザの組長なんかに接吻されたと知ったら、舌を噛みたなるかもしれへんよな。
いやいやいや、考えすぎや。頑張れ、俺。
っていうか、接吻って頑張るもんなんか?
しばらく逡巡しとると、絲さんが目を覚ました。ひたいから落ちそうになる手拭いを手で押さえつつ、彼女はゆっくりと上体を起こす。
「あの、ここは?」
間近に迫った絲さんの顔。熱のせいで上気した頬。
自分でも信じられへんのやけど、俺は絲さんの唇にくちづけとった。
絲さんは何が起こったんか分からん様子で、目を丸く見開いた。
手で押さえとったはずの手拭いは、掛け布団の上に落ちていった。
「柔らか……」
俺は思わず呟いとった。
絲さんはまじまじと俺の顔を見つめて、それから空いた左手で自分の唇に手を触れた。
「あの。今、何をなさったの?」
それを俺に訊くんか。俺が答えられると思てんのか、この子は。
頭を抱えたなったけど。そんなんしたら、絲さんの右手を離さなあかん。
「絲さん、もう十六になるんやろ。接吻も知らんのか?」
「知ってはいますけど。したことも、されたこともないので」
そらまぁ、そうやろな。逆に慣れとったらびっくりや。
俺はまた上体を屈めて、絲さんに唇を寄せた。
◇◇◇
どうすればいいのかしら。
三條さんの顔が間近に迫ってきて、わたしは固まってしまいました。
「こういう時は、目ぇ閉じるんやで」
「は、はい」
言われるままに瞼を閉じます。三條さんの片手はわたしの手とつないだまま。もう片方の手は、わたしの頬に添えられました。
再び、少しかさついた唇が重ねられました。
「ああ、震えとう。可愛いな」
「……言わないでください」
恥ずかしさに顔を背けようとしたけれど、無理でした。
「もっとよう顔を見せてみ」と、三條さんの方を向かされます。
「俺は、あんたが約束の十六歳になるんを待っとった。三年か……長かったわ」
「わたしのことを、待っていらっしゃったの?」
「せや。学校帰りの絲さんを見かけるたびに、あんたは大人びていくから。気が気やなかった。どっかの書生に心惹かれたりせぇへんやろかって」
そう囁きながら、三條さんは何度もくちづけてきます。
「この先、たぶん近い内に俺は絲さんを抱くと思う。せやから少しずつ慣らしていこな」
思いがけない言葉に、わたしは三條さんの羽織の袖にしがみつきました。
三條さんはわたしを抱きしめて、唇や頬だけじゃなくて、うなじにも接吻したわ。
軽く、そしてひりつく痛みを感じるほどに強く。
長襦袢姿のままで、殿方に抱きしめられるなんて。きっとシスターに叱られるけれど。
でも、なぜかしら。
三條さんの腕の中にいると、不思議と懐かしくて落ち着くの。
この人が、わたしの許嫁だからなの?
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
687
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる