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第4章
41・宰相の妻は治癒する②
しおりを挟む屋敷にたどり着くと、キャリッジでリシャルト様を治癒していて手の離せない私の代わりに、御者がハーバーさんを呼びに行ってくれたようだった。
キャリッジの扉を開けたハーバーさんは、馬車でぐったりと横たわるリシャルト様を見て、いつもは穏やかに細めている両目を驚きで見開いた。
「何があったんですか、これは……!」
「ハーバーさん! 後で話しますから、リシャルト様をベッドへ運んでください……!」
こんな馬車の中では、良くなるものも良くならないだろう。
私は自分でも驚くほど必死な声で、ハーバーさんに懇願していた。
◇◇◇◇◇◇
御者とハーバーさんが協力して、リシャルト様をキャリッジから運び出してくれた。どうにかリシャルト様の部屋のベッドに寝かせることができて私はほっとひと安心する。
リシャルト様の部屋に入るのはこれが初めてだった。
まさかこんな形でリシャルト様の部屋に入ることになるなんて思わなかったな……。
屋敷に着くまでの馬車の中で治癒し続けたおかげか、リシャルト様の額の傷は塞がって血は止まっていた。
よかった……。
「なるほど、そんなことが……。それは大変でしたね」
ハーバーさんに今日の出来事を話すと、酷く同情したような視線を私たちに向けた。
確かにとても大変な1日だった。
「そうですね……」
私はベッド横に置かれた木製の椅子に腰掛けた。
ハーバーさんの言葉に同意しながら、再びベッドに横たわるリシャルト様の治癒を再開する。
「リシャルト様、私を庇ってくれて……。リシャルト様を守れなくて、ごめんなさい」
私はハーバーさんに向かって謝罪の言葉を口にした。
ハーバーさんにとって、リシャルト様はずっと仕えてきた大切な主人のはずだ。
「そんな……。奥方様、謝らないでください。リシャルト様は、あなたを守れて本望だと思いますよ」
確かにリシャルト様は「必ず僕が守ります」と何度も言ってくれていた。
本当に守ってくれた。
だけど、その代わりにリシャルト様を失いたくなんてないのだ。
――今度は、私がリシャルト様を助けなきゃ。
私は決意を込めて、ハーバーさんを見た。
「ハーバーさん。私が、必ずリシャルト様を治癒します」
どれだけ時間がかかろうとも、リシャルト様が目を覚ますまで必ず。
私の言葉に、ハーバーさんは深く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
◇◇◇◇◇◇
ハーバーさんはリシャルト様の治癒を続ける私の邪魔をしないためか、部屋を出ていった。
屋敷での治癒を始めて30分が経ったが、リシャルト様はまだ目を覚まさない。
私が小さく息を吐き出すと、メイドさんたちが静かに部屋にやってきたところだった。
「奥方様……。無理はなさらないでくださいね。」
サイドテーブルに、そっと水差しとコップを置いてくれる。
ありがたい……。
「ありがとうございます」
メイドさんたちも、ハーバーさんから事情を聞いたのだろう。いつもは小鳥のようにさえずっているのに、今までにないほど静かで、差し入れを置いただけで音を立てないようにして部屋を出ていった。
◇◇◇◇◇◇
メイドさんが来てくれてから、どれだけ時間が経っただろう。
屋敷に帰った時は夕方だったのにもう日が落ちきって、窓の外には星がきらめいていた。
――リシャルト様、いつになったら目覚めてくれるんだろう……。
それなりの高さがある階段から、まるでサスペンスドラマのように転がり落ちた。私を庇うような体勢だったせいでまともに受け身も取れなかっただろう。階段から落ちる間にどこかで頭もぶつけたようだし心配だ。
――これじゃまるで、あの日みたい。
私は10年前のあの日のことを思い出していた。
リシャルト様を助けたあの日。
フォルスター公爵家の領地があるのは、隣国との境界からほど近い場所だった。
今はもうその隣国との戦争は終わっているが、当時は戦闘が激化していたときで、リシャルト様もそれに巻き込まれてしまったようだった。
幼いリシャルト様は敵兵に切りつけられ、大きな怪我を負っていたのだ。
それを治したのが私だ。
――お願いだから、治って。
あの日も、同じように願った。
大怪我をした少年が、早く良くなりますようにと。
ただ一心に、願った。
あの日の自分と、今の自分の気持ちが重なる。
「リシャルト様……。お願いです。目を開けて……」
繋いだリシャルト様の手を、私はぎゅっと両手で握りしめた。
その時だ。
握りしめたリシャルト様の指先が、ぴくりと動いたのは。
「……き、きょう……?」
ゆっくりとリシャルト様の瞼が持ち上がり、美しい青い瞳が現れる。
その様に、私は涙がこぼれるのを止められなかった。
「リシャルト様……! 良かった……。リシャルト様……っ」
私はたまらずリシャルト様に抱きついた。
ああ、本当に良かった! またリシャルト様の声を聞くことが出来たことに、ほっと安堵の気持ちが私の心に広がっていく。
リシャルト様はまだぼんやりとしているようだったが、涙をこぼす私の背を優しくさすってくれた。
「……良かったです。今度はちゃんと、あなたを守れたみたいですね……」
リシャルト様の声が優しくて、傷ついているというのに幸せそうで。
だから私は余計に泣いてしまった。
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