50 / 66
第4章
40・宰相の妻は夫を連れ帰る
しおりを挟む身体が、痛い。頭も、手も、足も、何もかも。
ああ、そうか。私、エマ様に押されて階段から落ちたんだっけ……。
ぼんやりとした思考の中、私は痛みを堪えながら目を開けた。
「え……」
目の前には、リシャルト様。
私を抱きしめてくれている。
だけど。
「リシャルト様……!?」
リシャルト様は目を瞑ったまま、動かない。
少し視線を上にずらすと、リシャルト様の額から血が流れているのが見えた。階段に落ちるとき、どこかにぶつけたのだろうか。
――どうしよう!
「……っ」
声を出したら衝撃が全身に響いて、私は痛みに顔を歪めた。
捻ったのだろうか、それとも打撲か。
結構な高さの階段から落ちてしまった。
下手をしたら骨折しているかもしれない。
私は手のひらに意識を集中した。身体中が痛くて思考がまとまらないけれど、そんなことを言っている場合ではない。
――とりあえず、私が最低限動けるようにならないと……。
痛みで集中が途切れるせいかいつもより力が弱いが、私の手のひらから光があふれ始めた。
ゆっくりと傷へ光が染み込んでいくのを感じる。
細かい傷なんか今はどうでもいい。腕が、身体が動きさえすれば今はそれで。
動けるまでに回復したのが分かると、私は重いリシャルト様の腕をどうにか持ち上げて腕の中から抜け出た。
「リシャルト様! リシャルト様! 大丈夫ですか!?」
……へんじがない。ただのしかばねのようだ。
いやいやいや、そんなふざけたことを考えている場合ではない!
リシャルト様の口元へ顔を近づける。
辛うじて息はしているようだ。だが、とても弱々しい。
――もしかして、死んじゃうの……? 私を置いて……?
私は自分の顔からさあっと血の気が引いていくのがわかった。
――そんなの、嫌だ。
私はリシャルト様の体に手をかざす。少しでも、リシャルト様の命を繋ぎたい。今はそれしか考えられなかった。
私も傷だらけだが、見たところリシャルト様の方が傷が酷い。リシャルト様が私を庇ってくれたから。
リシャルト様が身につけていた正装は階段を落ちた時に擦れたせいか、破けてしまっていた。
そういえば私の服も破れて、汚れてしまっている。フォート公爵様の亡き奥様のものだというのにこんなことになってしまうなんて、申し訳ないしただただ悲しい。
――泣いてはだめだ。泣いては。
私はぐっと泣きそうなのを堪えて、意識をリシャルト様の傷へ集中させる。
自分の傷を簡単にだが治した時は、痛みで弱々しい光だった。それが今は少し強さを取り戻していてホッとする。
「どうされました……! って、坊っちゃま!? 大丈夫ですか!?」
私がリシャルト様に治癒を始めた時、少し離れたところから慌てたように男性が駆け寄ってきた。
フォルスター家の御者だ。
戻りが遅いので迎えに来てくれたのだろう。
見慣れたその姿に安心してしまって、堪えていたはずの涙が私の頬を伝っていく。
「お願い……、助けてください!」
◇◇◇◇◇◇
御者がリシャルト様をキャリッジに乗せてくれた。私もその隣に座る。
御者は御者台に飛び乗ると、すぐに馬を走らせた。
いつもは穏やかな安全運転なのに、今日は急いでくれているようで荒々しい。
だけどそれが今はとてもありがたかった。
私は早く屋敷にたどり着くことを祈りながら、リシャルト様に手のひらをかざし続けた。
馬車に乗っているこの時間さえも活用して、治癒の力を使う。
私に出来ることはそれだけだ。治癒の力を持って生まれたことに、これほど感謝したことはない。
そして、治癒をする時にこれほど焦ったことはなかった。
今まで治癒してきた相手は、赤の他人の兵士だったから。
今治癒しているのは、赤の他人でない。
私の大切な……旦那様だ。
――そういえば……。
ふと、私の頭に階段から突き落とされた時のことが思い起こされた。
気がつけばエマ様の姿が見えなかったが、彼女はどこにいったのだろう。
まさかとは思うが、逃げたのだろうか。
――私、エマ様のことを許せないかもしれない。
自分に紅茶をかけられた時は、そこまで怒りなんて感じなかったのに不思議なものだ。
もし、このままリシャルト様が目を覚まさなかったら。
もし、このまま死んでしまったら。
きっと私は、一生エマ様を許せない。
14
お気に入りに追加
1,083
あなたにおすすめの小説
牢で死ぬはずだった公爵令嬢
鈴元 香奈
恋愛
婚約していた王子に裏切られ無実の罪で牢に入れられてしまった公爵令嬢リーゼは、牢番に助け出されて見知らぬ男に託された。
表紙女性イラストはしろ様(SKIMA)、背景はくらうど職人様(イラストAC)、馬上の人物はシルエットACさんよりお借りしています。
小説家になろうさんにも投稿しています。

《完結》恋に落ちる瞬間〜私が婚約を解消するまで〜
本見りん
恋愛
───恋に落ちる瞬間を、見てしまった。
アルペンハイム公爵令嬢ツツェーリアは、目の前で婚約者であるアルベルト王子が恋に落ちた事に気付いてしまった。
ツツェーリアがそれに気付いたのは、彼女自身も人に言えない恋をしていたから───
「殿下。婚約解消いたしましょう!」
アルベルトにそう告げ動き出した2人だったが、王太子とその婚約者という立場ではそれは容易な事ではなくて……。
『平凡令嬢の婚活事情』の、公爵令嬢ツツェーリアのお話です。
途中、前作ヒロインのミランダも登場します。
『完結保証』『ハッピーエンド』です!
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい
花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。
ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。
あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…?
ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの??
そして婚約破棄はどうなるの???
ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。

人質王女の婚約者生活(仮)〜「君を愛することはない」と言われたのでひとときの自由を満喫していたら、皇太子殿下との秘密ができました〜
清川和泉
恋愛
幼い頃に半ば騙し討ちの形で人質としてブラウ帝国に連れて来られた、隣国ユーリ王国の王女クレア。
クレアは皇女宮で毎日皇女らに下女として過ごすように強要されていたが、ある日属国で暮らしていた皇太子であるアーサーから「彼から愛されないこと」を条件に婚約を申し込まれる。
(過去に、婚約するはずの女性がいたと聞いたことはあるけれど…)
そう考えたクレアは、彼らの仲が公になるまでの繋ぎの婚約者を演じることにした。
移住先では夢のような好待遇、自由な時間をもつことができ、仮初めの婚約者生活を満喫する。
また、ある出来事がきっかけでクレア自身に秘められた力が解放され、それはアーサーとクレアの二人だけの秘密に。行動を共にすることも増え徐々にアーサーとの距離も縮まっていく。
「俺は君を愛する資格を得たい」
(皇太子殿下には想い人がいたのでは。もしかして、私を愛せないのは別のことが理由だった…?)
これは、不遇な人質王女のクレアが不思議な力で周囲の人々を幸せにし、クレア自身も幸せになっていく物語。

【完結済】平凡令嬢はぼんやり令息の世話をしたくない
天知 カナイ
恋愛
【完結済 全24話】ヘイデン侯爵の嫡男ロレアントは容姿端麗、頭脳明晰、魔法力に満ちた超優良物件だ。周りの貴族子女はこぞって彼に近づきたがる。だが、ロレアントの傍でいつも世話を焼いているのは、見た目も地味でとりたてて特長もないリオ―チェだ。ロレアントは全てにおいて秀でているが、少し生活能力が薄く、いつもぼんやりとしている。国都にあるタウンハウスが隣だった縁で幼馴染として育ったのだが、ロレアントの母が亡くなる時「ロレンはぼんやりしているから、リオが面倒見てあげてね」と頼んだので、律義にリオ―チェはそれを守り何くれとなくロレアントの世話をしていた。
だが、それが気にくわない人々はたくさんいて様々にリオ―チェに対し嫌がらせをしてくる。だんだんそれに疲れてきたリオーチェは‥。
完結 貴族生活を棄てたら王子が追って来てメンドクサイ。
音爽(ネソウ)
恋愛
王子の婚約者になってから様々な嫌がらせを受けるようになった侯爵令嬢。
王子は助けてくれないし、母親と妹まで嫉妬を向ける始末。
貴族社会が嫌になった彼女は家出を決行した。
だが、有能がゆえに王子妃に選ばれた彼女は追われることに……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる