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第3章
30・宰相の妻は逃げられない
しおりを挟む「きゃ……」
リシャルト様に連れ込まれた部屋は、屋敷の庭に面した大きな窓が印象的な部屋だった。
窓からは月の光が差し込んでいて、明かりのない部屋の中、リシャルト様の横顔を照らし出している。
掴まれた手をそのまま横の壁に押し付けられ、バタンと扉が閉まる音がして、私はようやく我に返った。
「な、なに……っ」
何を、という短い言葉すら上手く言えない。
目の前のリシャルト様が、泣きそうな顔をしていたから。
「キキョウ」
「は、はい」
名前を呼ばれる。
何を言われるのか怖くて、私は身構えてしまう。
「僕があなたのことをどう思っているか、でしたっけ」
話を本題に戻すリシャルト様の小さなつぶやきに、私はびくりと肩を震わせた。
なんで、私は部屋に連れ込まれたんだろう。
リシャルト様が何を考えているのか、私には分からないのだ。
「そんなの……。そんなの決まっているじゃないですか。僕はあなたのことが好きなんですよ。ずっと」
「……っ」
初めて、はっきりと好意を伝える言葉を告げられる。
ぎゅっ、と掴まれた右手に力を込められて、もうリシャルト様になんと言葉を返すのが正解なのか分からなかった。
不安に思っていた私が愚かだったと思えるほどの気持ちが、リシャルト様と繋がった手から、泣きそうなリシャルト様の瞳から強く伝わってくる。
「あなたが僕のことを好きになってくれなくても、あなたが自由に過ごしてくれたら最悪それでいいと、そう思っていました。名目上だけでも、あなたの夫となれたらそれで、と」
「……っ」
もしかしたら、だから私に無理やり気持ちを押し付けるようなことをしてこなかったのかもしれない。リシャルト様が、私が自由に過ごすことを第一に考えていたのなら。
そのリシャルト様の優しさに思い至って、私まで涙が出そうになる。
「だけど、あなたが僕のことを好きだと言ってくれるなら、もう……遠慮できそうにありません」
真っ直ぐに青い瞳を向けられて、一瞬呼吸が止まるかと思った。
こんなにまで、誰かが自分のことを求めてくれるなんて、前世でも今世でも初めてだった。
嬉しさと、困惑と、恥ずかしさ……。様々な感情がない混ぜになる。
「キキョウ、あなたに口付けてもよいでしょうか」
「……は、はい」
私はもう思考がまとまらなくて、小さく返事をすることしか出来なかった。
リシャルト様は私の手を掴む方とは反対の手で私の顎をすくった。リシャルト様の長い指先が少しひんやりとしていて、今これが現実なのだと伝えてくるようだった。
「僕は、あなたのことを……。『好き』なんて言葉じゃ生ぬるいほど、愛しています」
「……っ」
ゆっくりと顔が近づいてきて、リシャルト様の唇がそっと私の唇に触れる。
何度も口付けが繰り返されて、私は頭がふわふわとしてくるのを感じていた。
「リシャルト、さま……っ……!」
「あまり、僕に隙を見せてはいけませんよ」
ほんの一瞬、名前を呼んだその隙に口付けが深められる。
なになに!? なんなの、こんなの想定してない!!
こちとら恋愛経験値はないに等しいのだ。
刺激が強すぎてクラクラする。
片手は壁に押し付けられているし、逃げ場はリシャルト様に封じられている。
だがそもそも、この人に踏み込んで気持ちを告げたのは私だ。
誰も責められない。
それに決して嫌では無いのだ。むしろ――……。
その後、部屋の外で私たちを探すハーバーさんの声が聞こえてくるまで、私はリシャルト様にキスをされ続けていた。
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