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第十一章 “DEATH”TINY
白面と素顔
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「…………」
「――どうかしたのかい? 黙ってしまったね、アザレア。……いいのだよ、無理をしなくても」
額から脂汗を浮かべながら、浅い息を吐くアザレアに、シュダは優しい言葉をかける。
だが、いつもと変わらぬその言葉の響きには、厳冬のアケマヤフィトを思わせるような、凍える響きが含まれている――。今の彼女には、それが解ってしまった。
「……」
アザレアはゴクリと唾を飲み込むと、意を決した。胸元に手を入れ、胸の間に挟んでいた小瓶を取り出す。
その小瓶を見たシュダの眉が、ピクリと動く。
「……それは……何かな?」
知らず、声色に若干の訝しげな響きが混じる。
『……止めろ! ……触れるな! ……引き返せ! ……』
「痛ッ……!」
脳内に響くくぐもった声が語気を強め、頭痛も増す。アザレアは顔を顰めるが、唇を噛んで、その痛みを堪える。
彼女は、痺れた唇を苦労して動かしながら、必死で言葉を紡ぐ。
「……シュダ様……お願いがございます」
「……お願い?」
「……はい」
アザレアは、シュダの問い返しに小さく頷き、小瓶を彼の方へと差し出した。
「――これは、私が使っている変装落とし用のクレンジングオイルです。……それを使って、私に貴方の素顔を拝見させて頂きたいのです」
「……どうしてか、理由を聞いてもいいかな?」
頬杖をついたまま、上目遣いで彼女に訊くシュダ。その冬の湖色の瞳には、探るような光が宿っている。
彼に見据えられたアザレアは、緊張と恐怖で塞がりそうになる気道を必死で開いて、言葉を捻り出す。
「……私は、貴方の素顔を見た事がありません。初めて出会った時も、貴方の顔は白粉で隠されていました。その為、サンクトルで浮かんでしまった、シュダ様に対する微かな疑いを頭から消し去る事が出来ないのです。――大変失礼なお願いだとは、重々承知しておりますが……」
そう言うと、彼女は絨毯張りの床の上に片膝をつき、深々と頭を下げた。
「私の中にある、疑念の火を完全に消し去る為に……何卒、私の我が儘をお聞き入れ下さいますよう……」
「…………」
彼女の言葉に、シュダはしばらくの間、口を開かなかった。――夜光虫の光しか光源の無い、薄暗い部屋の中は、耳が痛いほどの静寂に包まれる。
――その静寂を破ったのは、シュダだった。
彼は、厚く白塗りされた顔面に浮かぶ表情を和らげて苦笑して言った。
「……分かったよ。君のたってのお願いというのなら、聞き届けないわけにもいかないだろうね」
「――!」
意外だと言わんばかりに目を見開いたアザレアの手から小瓶を取り上げ、栓を抜く。
「あ――」
「これで、君の疑問がハッキリするのなら、喜んでやってあげよう」
そう言うと、彼はニヤリと笑った。――ゾッとするような、酷薄な微笑だった。
「……ジャ」
シュダの笑顔を見た瞬間、何故か彼女の脳裏には別の笑顔が浮かんだ。――ある男が浮かべた、黒曜石の瞳を細めた、優しい微笑を。
――何故かは、解らない。
◆ ◆ ◆ ◆
クレンジングオイルを手に、奥の洗面台へと消えていったシュダを、アザレアは身じろぎもせずに待っていた。
緊張で握った掌が、嫌な汗をかいているのを感じる。心臓も先程からバクバクと喧しい音を立て続けている。
(――私は、どちらを望んでいるのだろう?)
顔を伏せたまま、彼女は自問自答し続けている。
白塗りの化粧を取り去ったシュダの顔が、果たして彼女の全く知らない顔なのか……、
それとも――。
「――やあ、待たせたね、アザレア」
「――!」
シュダのくぐもった声に、アザレアはビクリと身体を震わせた。心臓の拍動がますます早まるのを感じる。
「いや、さすが、変装用のメイクを落とす為に使うものなだけはあるね。随分と良く落ちる……」
シュダの声に、いつもと変わったところは無い。それでも、アザレアは伏せた顔を上げる事が出来なかった。小刻みに震え、カチカチと歯を鳴らしながら、毛羽だった絨毯の柄を凝視するだけだった。
「……どうしたんだい? せっかく、君の希望でメイクを落としてあげたんだよ。見てくれないかな、本当の私を」
「…………は……はい」
アザレアは、いまや頭の中で、鐘の音の様に反響して響き渡っている『見るな! 引き返せ!』という、おぞましい絶叫を振り切り、覚悟を決めた。
彼女は、固く目を瞑ると、頭を上げ――、そして、恐る恐る目を開ける。
まず、白装束の上衣が目に入った。――アザレアは、震えながらゆっくりと……ゆっくりと視線を上げる。
そして、遂に彼女は見た。
――醜い火傷の痕で爛れ落ちた左半面と、
見間違えるはずも無い……
――十年前、あの日の朝に、玄関口に立っていた男と同じ顔をした右半面を――!
「――どうかしたのかい? 黙ってしまったね、アザレア。……いいのだよ、無理をしなくても」
額から脂汗を浮かべながら、浅い息を吐くアザレアに、シュダは優しい言葉をかける。
だが、いつもと変わらぬその言葉の響きには、厳冬のアケマヤフィトを思わせるような、凍える響きが含まれている――。今の彼女には、それが解ってしまった。
「……」
アザレアはゴクリと唾を飲み込むと、意を決した。胸元に手を入れ、胸の間に挟んでいた小瓶を取り出す。
その小瓶を見たシュダの眉が、ピクリと動く。
「……それは……何かな?」
知らず、声色に若干の訝しげな響きが混じる。
『……止めろ! ……触れるな! ……引き返せ! ……』
「痛ッ……!」
脳内に響くくぐもった声が語気を強め、頭痛も増す。アザレアは顔を顰めるが、唇を噛んで、その痛みを堪える。
彼女は、痺れた唇を苦労して動かしながら、必死で言葉を紡ぐ。
「……シュダ様……お願いがございます」
「……お願い?」
「……はい」
アザレアは、シュダの問い返しに小さく頷き、小瓶を彼の方へと差し出した。
「――これは、私が使っている変装落とし用のクレンジングオイルです。……それを使って、私に貴方の素顔を拝見させて頂きたいのです」
「……どうしてか、理由を聞いてもいいかな?」
頬杖をついたまま、上目遣いで彼女に訊くシュダ。その冬の湖色の瞳には、探るような光が宿っている。
彼に見据えられたアザレアは、緊張と恐怖で塞がりそうになる気道を必死で開いて、言葉を捻り出す。
「……私は、貴方の素顔を見た事がありません。初めて出会った時も、貴方の顔は白粉で隠されていました。その為、サンクトルで浮かんでしまった、シュダ様に対する微かな疑いを頭から消し去る事が出来ないのです。――大変失礼なお願いだとは、重々承知しておりますが……」
そう言うと、彼女は絨毯張りの床の上に片膝をつき、深々と頭を下げた。
「私の中にある、疑念の火を完全に消し去る為に……何卒、私の我が儘をお聞き入れ下さいますよう……」
「…………」
彼女の言葉に、シュダはしばらくの間、口を開かなかった。――夜光虫の光しか光源の無い、薄暗い部屋の中は、耳が痛いほどの静寂に包まれる。
――その静寂を破ったのは、シュダだった。
彼は、厚く白塗りされた顔面に浮かぶ表情を和らげて苦笑して言った。
「……分かったよ。君のたってのお願いというのなら、聞き届けないわけにもいかないだろうね」
「――!」
意外だと言わんばかりに目を見開いたアザレアの手から小瓶を取り上げ、栓を抜く。
「あ――」
「これで、君の疑問がハッキリするのなら、喜んでやってあげよう」
そう言うと、彼はニヤリと笑った。――ゾッとするような、酷薄な微笑だった。
「……ジャ」
シュダの笑顔を見た瞬間、何故か彼女の脳裏には別の笑顔が浮かんだ。――ある男が浮かべた、黒曜石の瞳を細めた、優しい微笑を。
――何故かは、解らない。
◆ ◆ ◆ ◆
クレンジングオイルを手に、奥の洗面台へと消えていったシュダを、アザレアは身じろぎもせずに待っていた。
緊張で握った掌が、嫌な汗をかいているのを感じる。心臓も先程からバクバクと喧しい音を立て続けている。
(――私は、どちらを望んでいるのだろう?)
顔を伏せたまま、彼女は自問自答し続けている。
白塗りの化粧を取り去ったシュダの顔が、果たして彼女の全く知らない顔なのか……、
それとも――。
「――やあ、待たせたね、アザレア」
「――!」
シュダのくぐもった声に、アザレアはビクリと身体を震わせた。心臓の拍動がますます早まるのを感じる。
「いや、さすが、変装用のメイクを落とす為に使うものなだけはあるね。随分と良く落ちる……」
シュダの声に、いつもと変わったところは無い。それでも、アザレアは伏せた顔を上げる事が出来なかった。小刻みに震え、カチカチと歯を鳴らしながら、毛羽だった絨毯の柄を凝視するだけだった。
「……どうしたんだい? せっかく、君の希望でメイクを落としてあげたんだよ。見てくれないかな、本当の私を」
「…………は……はい」
アザレアは、いまや頭の中で、鐘の音の様に反響して響き渡っている『見るな! 引き返せ!』という、おぞましい絶叫を振り切り、覚悟を決めた。
彼女は、固く目を瞑ると、頭を上げ――、そして、恐る恐る目を開ける。
まず、白装束の上衣が目に入った。――アザレアは、震えながらゆっくりと……ゆっくりと視線を上げる。
そして、遂に彼女は見た。
――醜い火傷の痕で爛れ落ちた左半面と、
見間違えるはずも無い……
――十年前、あの日の朝に、玄関口に立っていた男と同じ顔をした右半面を――!
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