上 下
112 / 176
第九章 Lakeside Woman Blues

【回想】墓標と告別

しおりを挟む
 ジャスミンとアザレアは、冬の早い黄昏に紛れて、建物の影から影を伝って街の外へと急ぐ。
 時折、街の住民が総督庁の兵士に囲まれて、強制的に集められている光景が目に入った。アザレアは、見知った顔を見付けては、ジャスミンの袖を引っ張るが、その度に彼は激しく首を横に振って、先を急ぐ。
 助けたいのはやまやまだったが、子供の力では、あの兵士の群れには到底敵わないし、仮に助けたところで、連れだって一緒に逃げる訳にもいかない。
 アザレアも、それは理解しているので、彼が首を横に振る度に哀しい顔をするだけで、それ以上は何も言わなかった。


 ――どのくらい経っただろう。

「……ジャス、ちょっと待ってて」

 アザレアが、ジャスミンの家を出てから初めて口を開いた。
 ジャスミンは、余裕の無い顔で振り返る。

「何だよ、アザリー。そんなに余裕……あ――」

 彼女を制止して先を急ごうとしたジャスミンだが、アザレアが指さしている先に目を遣ると、彼女の意図を理解した。

「……最後に、さよならを言っておきたいの」

 彼らが歩く道の横に広がる開けた土地。
 白い雪を被る、等間隔で建てられた柱たち。
 ――そこは、街の共同墓地だった。

「……うん。分かった」

 ジャスミンは頷き、閑散とした墓地の敷地へと歩を進める。
 積もったばかりの新雪を踏みしめると、雪の軋む音が辺りに響く。
 ふたりは、周囲の様子に気を配りながら、目的の墓標を探し、やがてそれを見付けた。

「あった……」

 真新しい柱が一本立っているだけの、粗末な墓。供えられたばかりの供物の上に、薄く雪が積もっている。
 その墓標には――『ロゼリア・シドマリエス』とだけ、ぞんざいに刻まれていた。
 3日前、何者かによって殺害され、自宅と共に焼き払われた、アザレアの姉の墓。

「……姉様」

 アザレアは、よろよろと墓標の前に歩み寄る。
 彼女は、墓標の上に積もった雪を小さな手で払い除け、刻まれた文字を撫でる。

「……姉様、ごめん。……アザレアは、この街から出て行くの。しばらくここには来られなくなるけど、必ず――戻ってくるから。待っててね……姉……さ……」

 気丈に話していたが、彼女の声は、途中で嗚咽に変わった。ジャスミンは、震えるアザレアの肩にそっと手を添える。

「……」

 ――墓標に縋り付いてひとしきり泣いた後、アザレアは顔を上げた。その紅い瞳には、敢然たる決意が漲っている。
 彼女は、上着の隠しから黒焦げになった髪留めを取り出し、墓前に供えようとして――。

「――ごめん、姉様。……この髪留めは、アザレアがもらってもいいかな……。この髪留めを抱いてると、姉様が側で笑ってくれている気がするの……」

 そう呟くと、髪留めに愛おしげに頬を擦り寄せた。

「……高い空の上から……アザレアを見守っていてね――姉様」



「……アザリー。――もういいのか?」

 おずおずとアザレアに尋ねるジャスミンに、彼女は淋しげな微笑を浮かべて答えた。

「――うん。ありが……」
「おい! 貴様たち、こんな所で何をしている!」

 アザレアの感謝の言葉は、無骨な男の声に遮られた。
 顔を引き攣らせながら振り返ったジャスミンの目に、漆黒の鎧を纏った兵士たちの群れが映る。

「! やべえ! 総督庁の兵士たちに見つかった! に――逃げるぞ、アザリーッ!」

 狼狽しながら、ジャスミンはアザレアの手を引っ張った。

「おい! 待てっ! 貴様ら、防衛隊の徴用命令を聞いておらんのか? 逃げるのなら、敵前逃亡と見なして、斬り捨てるぞ!」

 兵士が叫ぶが、言われた通りに待つ訳が無い。
 ふたりは、降り積もった雪を掻き分けながら、墓地奥の森の中へと逃げ込む。

「ま……待てええええい!」

 兵士たちは、腰の剣を抜き、二人を追うが、深い雪の中に重い甲冑姿で踏み込むのは自殺行為だった。彼らは深い雪だまりに足を取られ、遅々として前に進めない。

「今だ! アザリー、今のうちに逃げ切ろう!」

 兵士たちがもたついている内に、体重が軽い子供ふたりはどんどん先に進み、兵士たちから距離を稼いでいく。

「……よし、逃げ切れそうだ!」
「じゃ、ジャス……逃げるって、どこまで逃げれば……いいの?」
「もう少し行けば、ライナド川に出る! そこに、父ちゃんが使ってたカヌーがあるはずだから……それを使って川を一気に下れば――」

 ――逃げ切れる! そう言おうとしたジャスミンは、背中に激しい熱さを感じた。

「――か……ハッ――?」
「ジャスッ!」

 アザレアの悲鳴も、彼にはどこか遠くから響く木霊のように聴こえていた。
 ジャスミンは、激しく呼吸を乱しながら、自分の背中に手をやる。――突き立った長い棒の感触。
 兵士の一人が放った矢が、ジャスミンの背中に命中したのだ。

「ジャス! 矢……矢が!」

 彼の背中に目をやったアザレアが、パニックに陥る。――が、その彼女の肩を叩いて、真っ青な顔を無理矢理綻ばせて、ジャスミンは強がった。

「……だ――大丈夫だ。かすり傷だよ、こんなモン! さ……さあ、先を急ごうぜ!」

 そう言うと、彼はふらつく足を両手で叩いて、しっかりと踏ん張ると、アザレアの手を引き、再び走り出したのだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

異世界で穴掘ってます!

KeyBow
ファンタジー
修学旅行中のバスにいた筈が、異世界召喚にバスの全員が突如されてしまう。主人公の聡太が得たスキルは穴掘り。外れスキルとされ、屑の外れ者として抹殺されそうになるもしぶとく生き残り、救ってくれた少女と成り上がって行く。不遇といわれるギフトを駆使して日の目を見ようとする物語

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

転生弁護士のクエスト同行記 ~冒険者用の契約書を作ることにしたらクエストの成功率が爆上がりしました~

昼から山猫
ファンタジー
異世界に降り立った元日本の弁護士が、冒険者ギルドの依頼で「クエスト契約書」を作成することに。出発前に役割分担を明文化し、報酬の配分や責任範囲を細かく決めると、パーティ同士の内輪揉めは激減し、クエスト成功率が劇的に上がる。そんな噂が広がり、冒険者は誰もが法律事務所に相談してから旅立つように。魔王討伐の最強パーティにも声をかけられ、彼の“契約書”は世界の運命を左右する重要要素となっていく。

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜

駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。 しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった─── そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。 前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける! 完結まで毎日投稿!

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

女神から貰えるはずのチート能力をクラスメートに奪われ、原生林みたいなところに飛ばされたけどゲームキャラの能力が使えるので問題ありません

青山 有
ファンタジー
強引に言い寄る男から片思いの幼馴染を守ろうとした瞬間、教室に魔法陣が突如現れクラスごと異世界へ。 だが主人公と幼馴染、友人の三人は、女神から貰えるはずの希少スキルを他の生徒に奪われてしまう。さらに、一緒に召喚されたはずの生徒とは別の場所に弾かれてしまった。 女神から貰えるはずのチート能力は奪われ、弾かれた先は未開の原生林。 途方に暮れる主人公たち。 だが、たった一つの救いがあった。 三人は開発中のファンタジーRPGのキャラクターの能力を引き継いでいたのだ。 右も左も分からない異世界で途方に暮れる主人公たちが出会ったのは悩める大司教。 圧倒的な能力を持ちながら寄る辺なき主人公と、教会内部の勢力争いに勝利するためにも優秀な部下を必要としている大司教。 双方の利害が一致した。 ※他サイトで投稿した作品を加筆修正して投稿しております

処理中です...