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第九章 Lakeside Woman Blues

抱擁と接吻

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 カミソリオオコウモリは、極端に長い翼が特徴の、バルサ王国東部の森林地帯に群生するコウモリの一種である。体長は10セイム程だが、翼を広げると、その長さは1エイムに及ぶ個体もある。
 翼は薄く、エッジの鋭いカミソリのようで、空気を切り裂き高速で飛行する。更に、切り裂かれた空気は真空の刃となり、それを利用して獲物を屠る狩りも行う。――正に今、10匹以上のカミソリオオコウモリの群れが、ジャスミンたちに見舞おうとしている攻撃だ。
 だが、コウモリ達の意図を素早く見抜いたアザレアの声に従い、ジャスミンとパームは地面に身体を投げ出した為、彼らの真上を通過したオオコウモリ達の真空の刃は彼らを切り刻む事は能わず、僅かに髪の毛を数本切り取ったのみだった。

「チッ! 勘のいい……。だけど!」

 ウィローモが舌打ちをして、再び指笛を吹く。
 その音に応じて、一旦遠ざかったコウモリ達の羽音が、再び大きくなってくる。

「また来るわよ! ――ジャス。あなた、まだその剣使えないの?」

 起き上がって、長鞭を構えながら、アザレアは、横で蹲ったままのジャスミンに向かって叫ぶ。

「――やってるけど! ……まだ無理っぽい!」

 ジャスミンは、苛立ちながら、無ジンノヤイバの柄尻を何度も叩くが、相変わらず鍔元から弱い桃色の閃光が瞬くだけだ。

「……私がやるしか――!」

 と、みるみる大きくなっていたオオコウモリの羽音が、ピタリと消えた。――これは、上空から滑空して、真空の刃を放つ予兆だ!
 アザレアは、長鞭を強く握りしめ、聖句を叫ぶ。

「火を統べし フェイムの息吹 命の炎! 我が手に宿り 全てを燃やせ!」

 が、彼女の右手から発動するはずの炎が上がらない。

「――! 私も……雄氣切れ……!」

 茫然と、自分の手許を見るアザレア。その耳に、空気を切る甲高い音が近づく。

「――くっ!」

 やむなく、炎の無いままの長鞭を音の方へ振り薙ぐ。

「ピギッ!」

 手応えはあった。数匹のオオコウモリを打ち落とせた様だ。
 ――だが、大部分は打ち漏らした。鞭を返そうとしても間に合わない。
 彼女は、オオコウモリの真空の刃によって、ズタズタに切り裂かれる己の姿を脳裏に浮かべ、顔を青ざめさせる――。
 その時、

「ブシャムの……聖眼 宿る右の掌 紅き月……分かれし雄氣ゆうき 邪気を散らさん……!」

 途切れ途切れながらも、凜とした聖句が聞こえ、同時に彼女の前方の闇の中で、紅い光が弾けた。

「ピギャアアアアッ!」

 次々とオオコウモリが、耳障りな悲鳴を上げ、力を失ってボタボタと床に落ちる音が聴こえた。
 が、パームのミソギをもくぐり抜けたオオコウモリ達の羽と真空の刃が、三人を襲う。

「くぅっ!」

 三人は、全身を切り裂かれ、苦悶の声を上げる。
 と、同時に、背後で上がる大きな水飛沫。ヒースが、遂に大水龍の尻尾の力に耐えきれずに、ナバアル湖へと引きずり落とされたのだ。

「や……ヤベえ……!」

 痛みに顔を歪めながら、焦りの表情を浮かべるジャスミン。
 幸い、アザレアとパームの迎撃によって、オオコウモリ達の攻撃力は大分削がれ、三人とも致命的な大怪我は避けられたようだが、あちこちに細かい傷を負っていて、動きは鈍い。
 彼は、右腕を左手で押さえながらよろめくパームと、片膝をついて、肩で息を吐くアザレアの様子を横目で見る。

(パームは、あの右腕じゃ攻撃面ミソギはもう使い物にならなさそうだし、ユーキ雄氣切れで、俺もアザリーも満足な攻撃が出来ない……ヤバい、詰んだぞ、これ)

 彼は、強く唇を噛む。

「まったく往生際の悪い! ――でも、これで終わりだよ!」

 ヒースもろとも水中へ潜った大水龍の頭の上から降りたウィローモが、瓦礫の山に悠然と腰かけながら、再び指笛を吹く。
 ――先程よりも数を減らしたが、オオコウモリの羽ばたきの音が、再び徐々に近づいてくる。
 ジャスミンは、その羽音を耳にしながら、懸命に考える。

(何か……何か……)

 その時、彼の脳裏に、大教主の言葉が浮かんだ。

『――まあ、下世話な言い方をすれば、“精力絶倫”イコール“生氣が多い”という事ですな――』
「それだ――!」

 ジャスミンは、目を輝かせた。

「アザリー!」

 彼は、アザレアを呼びながら、彼女の傍らへ駈け寄る。
 アザレアは、突然呼ばれて、戸惑いながら目をパチクリさせていた。その目を、ジャスミンはジッと見つめる。その黒曜石を思わせる黒い目には、いつもの剽軽でおどけた光は無かった。
 そして、彼は何も言わず、アザレアをギュッと力強く抱きしめた。
 アザレアの目は、驚きで大きく見開かれ、その顔は、彼女の髪の毛よりも真っ赤に染まった。

「へ――? な――何? どうしたの、ジャ――?」

 しどろもどろで言葉を紡ごうとする彼女の唇は、唐突に――ジャスミンの唇によって塞がれた。

「! ――! ――? ――!」

 アザレアの目は、いよいよ飛び出さんばかりに見開かれ、ジャスミンの抱擁から逃れようと、激しく身じろぎしながら、両手でジャスミンの背中を叩きまくるが、彼の力は全く弱まらない。
 ……だんだんと、彼女の抵抗する力が弱まり、背中を殴りつけていた拳は開かれて、彼の背中をかき抱こうとする――。
 と、ジャスミンは、アザレアから唇を離し、眉尻を下げて、困ったように、照れたように微笑を浮かべた。

「……ゴメンな、アザリー。急に――」
「ジャ……ジャス……」

 顔を真っ赤に染めたアザレアを、ゆっくりと己のかいなの中から解放すると、彼は立ち上がり、右手に握った無ジンノヤイバの柄を掲げ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「――これで、っ!」

 そう叫ぶと、左掌で、無ジンノヤイバの柄尻を強く叩く。
 瞬く間に、無ジンノヤイバの柄の先から、目映いマゼンタの光が奔流となって溢れ出し、直径3エイムを超える巨大な傘に形を成した。
 飛来してきたカミソリオオコウモリ達は、巨大な傘に衝突し、弾かれる。真空の刃を以てしても、マゼンタ色の巨傘は破れない。
 全てのオオコウモリの攻撃を、傘で受けきったジャスミンは、もう一度柄尻を叩く。巨大な傘がまた光を放ち、瞬く間に肉厚の大棍棒へと姿を変える。
 彼は、無ジンノヤイバの柄を両手で握ると両脚を踏ん張り、大棍棒を目一杯右に振りかぶった。

「――トンでけえええーっ!」

 ジャスミンは、身体を限界まで捻って力を溜めた、マゼンタの大棍棒を思いっきり振り抜き、傘に衝突し、脳を揺らして意識が混濁したまま中空に浮いていたオオコウモリ達を、全て遙か彼方へ打ち飛ばしたのだった――。
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