48 / 176
第四章 Cross Thought
【回想】姉と妹
しおりを挟む
今から遡る事、十年前――
クレオーメ公国首都バスツールから、北へ150ケイムほど行った峻険なザナト山脈の麓に、アケマヤフィトと呼ばれる地方都市があった。
政令機構を設置されている地方都市といえど、アケマヤフィトは周囲の九割方を針葉樹林に覆われた、所謂辺境の地であった。
『アケマヤフィト』とは、現地の言葉で『雪の中で生きる者たち』という意味であり、その言葉通り、一年の半分以上を雪に覆われ、閉ざされるという過酷な環境だった。
そんな都市では、針葉樹林帯に広く生息するヤフィトヘラジカが、町に住む者たちの食糧であり、その頭に生えた立派な角や骨から作った加工品が、貴重な収入源ともなっていた。
逆に言えば、ヤフィトヘラジカ無しでは、この町は物理的にも経済的にも干上がる。人々の暮らしは、ヘラジカの狩猟量次第で多分に左右される、とても不安定なものとなっていたのだ。
当然、治安も良いとは言えない。町の雰囲気は退廃的で、鬱屈した澱みが降り続く雪と同じように、しんしんと降り注ぐ――。
そんな貧しい都市の中でも最貧のスラム地区に、ある姉と妹が懸命に生きていた――。
真冬のアケマヤフィトには、今日も白い雪が降り続く。
「アザリー。火が弱くなってきたわ。薪をもう少しくべてちょうだい」
竈にかけた鍋のスープをかき混ぜながら、赤毛の若い女は、優しい声でお願いする。
「はーい、姉様!」
玄関の扉の向こうから、元気な声が上がった。
少しして、両手一杯に薪束を抱えた8歳くらいの少女が、頭に沢山の雪粒を載せて、建て付けの悪い扉をこじ開けて屋内へ入る。
「お待たせ、姉様!」
「……そんなに沢山はいらなかったけど……でも、ありがとうね」
姉は苦笑しながら、優しくお礼を言って、少女の炎色の髪の上に付いた白い雪を払ってやる。
「でも、ジャスが言ってたわよ。『大は小を兼ねる』って!」
「ま、確かにそうね。ジャス君の言う通りかもしれないわね」
姉は、妹の言う事に軽く頷いて、優しく微笑む。
「ジャス君は確か10歳だったかしら……。さすがに物知りよね」
「でも! アイツ、やってる事はまだ全然ガキだよ! アザレアの方がずっとおねえさんよ!」
「えー? アザリーも、まだまだお子ちゃまよ」
姉は、無邪気な妹の言い分に顔を綻ばせた。アザレアは、不満そうにぷうと頬を膨らませる。
姉は膨らんだ頬を突っついて、また微笑んだ。
「ほら、そうやってすぐ頬を膨らませちゃう所が、お子ちゃまの証拠よ」
「もうっ! 姉様ったら!」
「ごめんごめん」
怒って、たしたしとゲンコツで叩いてくるアザレアを軽くいなして、姉はほったらかしにしてしまっていた竈に向き直る。
「じゃあ、早速……て、あら……」
「火……消えちゃったね」
竈の火は、二人がじゃれ合っている内に、すっかり消えてしまった。
「ごめんなさい、ロゼリア姉様……。アザレアが――」
「大丈夫よ。ちょっと待ってて」
しょげる妹の頭を優しく撫でて、ロゼリアはニッコリと笑う。
アザレアの持ち込んできた薪をいくつか竈に放り込んで、その内一本の薪を両手で握り、目を閉じる。
そして、息を吸い込み、
『火を統べし フェイムの息吹 命の炎 我が手に宿り 全てを燃やせ』
と、聖句を詠唱する。――次の瞬間、彼女の手にした薪が真紅の炎に包まれた。
ロゼリアは、火の点いた薪を竈に投げ込むと、パチパチと爆ぜる音を立てながら、瞬く間に竈の中は赤い炎で満ちた。
「……凄いなあ、姉様は。あっという間に火を点けられるんだもんねぇ……」
傍らでその様子を眺めていたアザレアが、感心した様子で呟く。
「あなたも、キチンと練習すれば出来るようになるわよ」
妹の呟きに、苦笑してロゼリアは返した。
姉の言葉に、アザレアは再び頬を膨らませる。
「ダメだよ……アザレアはサイノーが無いから……姉様みたいな火術士にはなれないよ……」
「そんな事無いわ。アザリーには、私なんかより、ずっと恵まれた才能があるのよ。上手く出来ないのは、マジメに練習していないから」
「……そうかなぁ?」
首を傾げるアザレアの肩をポンと叩くと、優しく微笑みかけるロゼリア。
鍋をかき混ぜ、匙で一口掬って、味見をすると満足げに頷いた。
「よし、美味しい! アザリー、お皿を用意してちょうだい」
「はーい、姉様!」
ロゼリアの言葉に元気いっぱいに返事をするアザレア。
木製の平皿に、ロゼリア特製のタボ芋のスープがよそわれる。
二人は、ガタガタと揺れるテーブルにスープ皿を並べ、椅子に掛けて手を合わせた。
「「天上におわします、お父様、お母様、今日も守ってくれてありがとう。――いただきます」」
ぐ~……
「……お腹が鳴っちゃった」
アザレアが顔を赤らめる。
ロゼリアは、思わず吹き出す。
「あらあら。じゃあ、早く食べましょう」
「はーい!」
――二人の、貧しいながらも楽しい食事の時間。
ロゼリアとアザレア。この瞬間、二人は間違いなく、この世で一番幸せな二人だった――。
クレオーメ公国首都バスツールから、北へ150ケイムほど行った峻険なザナト山脈の麓に、アケマヤフィトと呼ばれる地方都市があった。
政令機構を設置されている地方都市といえど、アケマヤフィトは周囲の九割方を針葉樹林に覆われた、所謂辺境の地であった。
『アケマヤフィト』とは、現地の言葉で『雪の中で生きる者たち』という意味であり、その言葉通り、一年の半分以上を雪に覆われ、閉ざされるという過酷な環境だった。
そんな都市では、針葉樹林帯に広く生息するヤフィトヘラジカが、町に住む者たちの食糧であり、その頭に生えた立派な角や骨から作った加工品が、貴重な収入源ともなっていた。
逆に言えば、ヤフィトヘラジカ無しでは、この町は物理的にも経済的にも干上がる。人々の暮らしは、ヘラジカの狩猟量次第で多分に左右される、とても不安定なものとなっていたのだ。
当然、治安も良いとは言えない。町の雰囲気は退廃的で、鬱屈した澱みが降り続く雪と同じように、しんしんと降り注ぐ――。
そんな貧しい都市の中でも最貧のスラム地区に、ある姉と妹が懸命に生きていた――。
真冬のアケマヤフィトには、今日も白い雪が降り続く。
「アザリー。火が弱くなってきたわ。薪をもう少しくべてちょうだい」
竈にかけた鍋のスープをかき混ぜながら、赤毛の若い女は、優しい声でお願いする。
「はーい、姉様!」
玄関の扉の向こうから、元気な声が上がった。
少しして、両手一杯に薪束を抱えた8歳くらいの少女が、頭に沢山の雪粒を載せて、建て付けの悪い扉をこじ開けて屋内へ入る。
「お待たせ、姉様!」
「……そんなに沢山はいらなかったけど……でも、ありがとうね」
姉は苦笑しながら、優しくお礼を言って、少女の炎色の髪の上に付いた白い雪を払ってやる。
「でも、ジャスが言ってたわよ。『大は小を兼ねる』って!」
「ま、確かにそうね。ジャス君の言う通りかもしれないわね」
姉は、妹の言う事に軽く頷いて、優しく微笑む。
「ジャス君は確か10歳だったかしら……。さすがに物知りよね」
「でも! アイツ、やってる事はまだ全然ガキだよ! アザレアの方がずっとおねえさんよ!」
「えー? アザリーも、まだまだお子ちゃまよ」
姉は、無邪気な妹の言い分に顔を綻ばせた。アザレアは、不満そうにぷうと頬を膨らませる。
姉は膨らんだ頬を突っついて、また微笑んだ。
「ほら、そうやってすぐ頬を膨らませちゃう所が、お子ちゃまの証拠よ」
「もうっ! 姉様ったら!」
「ごめんごめん」
怒って、たしたしとゲンコツで叩いてくるアザレアを軽くいなして、姉はほったらかしにしてしまっていた竈に向き直る。
「じゃあ、早速……て、あら……」
「火……消えちゃったね」
竈の火は、二人がじゃれ合っている内に、すっかり消えてしまった。
「ごめんなさい、ロゼリア姉様……。アザレアが――」
「大丈夫よ。ちょっと待ってて」
しょげる妹の頭を優しく撫でて、ロゼリアはニッコリと笑う。
アザレアの持ち込んできた薪をいくつか竈に放り込んで、その内一本の薪を両手で握り、目を閉じる。
そして、息を吸い込み、
『火を統べし フェイムの息吹 命の炎 我が手に宿り 全てを燃やせ』
と、聖句を詠唱する。――次の瞬間、彼女の手にした薪が真紅の炎に包まれた。
ロゼリアは、火の点いた薪を竈に投げ込むと、パチパチと爆ぜる音を立てながら、瞬く間に竈の中は赤い炎で満ちた。
「……凄いなあ、姉様は。あっという間に火を点けられるんだもんねぇ……」
傍らでその様子を眺めていたアザレアが、感心した様子で呟く。
「あなたも、キチンと練習すれば出来るようになるわよ」
妹の呟きに、苦笑してロゼリアは返した。
姉の言葉に、アザレアは再び頬を膨らませる。
「ダメだよ……アザレアはサイノーが無いから……姉様みたいな火術士にはなれないよ……」
「そんな事無いわ。アザリーには、私なんかより、ずっと恵まれた才能があるのよ。上手く出来ないのは、マジメに練習していないから」
「……そうかなぁ?」
首を傾げるアザレアの肩をポンと叩くと、優しく微笑みかけるロゼリア。
鍋をかき混ぜ、匙で一口掬って、味見をすると満足げに頷いた。
「よし、美味しい! アザリー、お皿を用意してちょうだい」
「はーい、姉様!」
ロゼリアの言葉に元気いっぱいに返事をするアザレア。
木製の平皿に、ロゼリア特製のタボ芋のスープがよそわれる。
二人は、ガタガタと揺れるテーブルにスープ皿を並べ、椅子に掛けて手を合わせた。
「「天上におわします、お父様、お母様、今日も守ってくれてありがとう。――いただきます」」
ぐ~……
「……お腹が鳴っちゃった」
アザレアが顔を赤らめる。
ロゼリアは、思わず吹き出す。
「あらあら。じゃあ、早く食べましょう」
「はーい!」
――二人の、貧しいながらも楽しい食事の時間。
ロゼリアとアザレア。この瞬間、二人は間違いなく、この世で一番幸せな二人だった――。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
完結【真】ご都合主義で生きてます。-創生魔法で思った物を創り、現代知識を使い世界を変える-
ジェルミ
ファンタジー
魔法は5属性、無限収納のストレージ。
自分の望んだものを創れる『創生魔法』が使える者が現れたら。
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。
そして女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。
安定した収入を得るために創生魔法を使い生産チートを目指す。
いずれは働かず、寝て暮らせる生活を目指して!
この世界は無い物ばかり。
現代知識を使い生産チートを目指します。
※カクヨム様にて1日PV数10,000超え、同時掲載しております。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる