上 下
35 / 176
第三章 酒と泪と色事師と女将

ワイン樽とワイン蔵

しおりを挟む
 「お――――い! 誰だお前は! そこで何をやっている?」

 ふたりの傭兵が、馬車に近づいてくる。
 と、

「あら、こんにちは」

 馬車の御者台から降りたシレネが、にこやかに笑いながら、傭兵達に手を振った。

「お前は……て、何だ、シレネか」

 彼女の顔を見た髭面の傭兵が、少し警戒を解く。
 彼らは、サンクトルのシレネの居酒屋で飲むのが習慣で、彼女とも顔見知りだったからだ。

「……て、こんな所で何をしてるんだ、お前?」
「……この神殿の裏手に、ハテナシアカウサギの群れが棲んでたのよ。今日のメニューは、ウサギ肉の揚げ物にしようと思って獲りに来たんだけど……。もう逃げちゃったみたいね。まったく……ここはいい狩場だったのに、台無しよ!」
「いやいや。オレに文句を言われても困るぜ。文句は、ヒースの野郎とヒトブタチャーに言ってくれや」

 傭兵は、そう言って、髭面に下卑た笑いを浮かべた。

「つーか、神域で狩りしようなんて、お前も大概じゃねえか」
「私は、神様なんて信じてないからね。……あ、でも、酒と享楽の神ヤンバイムだけは信じてもいいかしら」

 シレネも、ニコリと微笑みを浮かべた。
 ――と、

「……そんな事言って、本当は違う目的だったんじゃないのか?」

 不審を隠さぬ声色でそう言ったのは、もう一人の傭兵、細い目をしたひょろ長い男の方だった。

「……あら、どういう意味かしら?」

 シレネは、内心ドキリとしたが、努めて平静を装う。
 細目の傭兵は、おもむろに馬車の荷台に乗り込むと、中を物色し始めた。

「ちょっと! アナタ何してんよ! 他人の馬車を勝手に漁らないでよ!」

 シレネの抗議の声を無視して、細目の傭兵は、中の荷物をひっくり返し始める。
 中の木箱を開け、中身を掻き出し、荷台の床を踵で蹴って、反響する音を確かめ……。
 そして、一番奥に置かれた大きな酒樽に手をかける――。
 慌てて、シレネが声を荒げる。

「ちょっと! それは開けないでよ! せっかく密封してるのに……開けちゃったら、ワインの風味が台無しよ!」
「おいおい! もうそれくらいにしとけ! 酒が台無しになるのは勘弁ならねえ!」

 酒が危うい事になると悟った髭面の傭兵が、慌てて声を上げて、細目の傭兵を止めた。
 細目の傭兵は、髭面を睨み、ふたりの間につかの間剣呑な空気が流れる。
 ――根負けしたのは、細めの傭兵だった。
 彼は、大きく溜息を吐くと、酒樽のフタに掛けた手を離して、

「……分かったよ」

 と、呟いて荷台から下りた。

「まったく――荷台がグチャグチャじゃない!」
「す、すまねえな、シレネ。コイツには、オレからキツく言っておくからよ……」

 なおも憤慨するシレネを、髭面が宥める。

「……そうだ! お詫びと言っちゃあなんだが、オレたちがお前さんをサンクトルまでエスコートしてやるよ」
「え? い、いや、結構よ。一人で帰れるから……」
「……先程、果無の樹海から、ケモノの雄叫びが聴こえてきた。恐らく、ハテナシクロヤシャオオザルの威嚇の声だ」

 細目の傭兵がボソリと言い、髭面がその言葉を継いだ。

「それで、オレ達が警戒で見回っていて、ここに居るお前を見つけた、ってワケだ!」
「……でも、平気よ」
「あの雄叫びを聴く限り、奴らはかなりの興奮状態のようだ。樹海の外に出て、人を襲う可能性も少なくない。……女一人で樹海沿いを通るのは危険すぎるぞ」
「ホラな! 遠慮するなよ。どうせ、オレ達もこれからサンクトルに戻るところなんだ。ついでに送ってってやるよ!」

 シレネは、彼らに聞こえない大きさで、小さく舌打ちをした後、ニコリと笑って頷いた。

「……じゃあ、お言葉に甘えさせて戴くわ」

 ◆ ◆ ◆ ◆

 サンクトルの街の歓楽街の一角。『飛竜の泪亭』と書かれた看板を掲げる小さな店。居酒屋の前で、護衛してくれたふたりの傭兵たちと別れたシレネは、裏庭に馬車を停めた。
 そして、慎重に周りの様子を窺ってから、荷台に小さく声をかける。

「……さ、もういいわよ。出てらっしゃい」

 ガタガタ……

 シレネの声がかかった途端、荷台の奥の酒樽が大きく揺れ始めた。

「……あ、ごめん。中からは出られないか……」

 そう呟くと、彼女は荷台に上り、酒樽のフタを取り外す。
 すると、

「ぷ、は――――ッ! 窒息するかと思った――!」

 中から、ジャスミンが飛び出してきた!

「こら! 大きな声を出したら、お隣さんに聴こえちゃうでしょ! 静かにしてなさい!」

 慌てて小声で窘めながら、もう一つの酒樽のフタを開ける。

「……う、うう……お酒の匂いが……気持ち悪い……」

 こちらからは、青ざめた顔のパームが口を押さえながら、ヨロヨロと這い出してきた。
 そんなふたりに、シレネは微笑みかける。

「……サンクトルへようこそ、と言ってあげるべきかしら?」
「……ご丁寧にどーも」

 そう答えたジャスミンは、荷台から飛び降りると、周りを見回した。

「ここが、自由貿易都市サンクトルか! バルサ王国東部最大の都市とか言う割には、しみったれてるなぁ……」
「……アンタ、歓楽街の小さな居酒屋の裏庭に、何を期待してんのよ……」

 呆れ顔のシレネ。そんな彼女に、パームは深々と頭を下げる。

「シレネさん……本当にありがとうございます。あの傭兵達からも匿って頂いて……」
「結構ギリギリだったけどね……酒樽のフタに手をかけられた時は、もうダメかと思ったわ……今思い出しても、胸がドキドキする……」
「……ひとえに、太陽神アッザムのご加護です」

 パームは、そう言うと、西に傾き始めた太陽に向かって、祝詞を上げ始める。

「ふーん……。私は、単にあなた達の運が強かっただけだと思うけどね……。大猿の時といい……」
「そうだな。どうせ神に祈るのなら――」

 ジャスミンは、そう言うと、荷台に積まれていたワインボトルの栓を開け、ラッパ飲みで一呷りした。

強運と賭け事の神バウザムに乾杯!」
「――ちょ、あなた! いつの間に……!」
「ぷはぁ~っ! 堪らねえ~! かれこれ……二ヶ月ぶりだぁ! 五臓六腑に染み渡らぁ!」

 感動の余り、目を潤ませるジャスミン。
 その嬉しそうな姿を見ると、シレネは、彼が勝手にワインをくすねた事を咎める事が出来なくなってしまった。

「もう……!」

 シレネは、溜息をつくと、裏庭の奥にある建物の小さな扉の鍵を開ける。

「……二人とも、コッチよ」

 シレネは、手招きをして、扉の奥へ入るよう促す。
 ジャスミンとパームは、顔を見合わせて、シレネの後に続いて、建物の中に入っていった。

「……」

 ――シレネが後ろ手で建物の扉を閉めると、建物の中は真っ暗……ではなく、淡い光が辺りをぼんやりと照らし出す。

「……なるほど。夜光虫を集めたカゴを照明代わりに……」

 感心するパーム。シレネは微笑む。

「ロウソクやランタンだと、温度が上がるし、酸素も使ってしまうから。これ夜光虫が、冷温を求められるワイン蔵には一番適してるなのよ」
「確かに……これは凄いな!」

 ジャスミンもいたく感心した。尤も、

「コレ、シュフク産赤ワインの56年! これは、クシュルムナ産白……お! 貴腐ワインの傑作、『エフナティブの泪』まであるじゃねえか! ここはまるで……プレミアワインの宝石箱や~!」

 違う所で感心していた……。

「――取り敢えず、ほとぼり冷めるまで、ココに隠れていなさい。後で毛布とか持ってくるから」

 シレネは、ジト目でそう言うと、扉を開けて外に出た。
 そんな彼女の背中に、パームがおずおずと声をかける。

「あ……シレネさん、い、いいんですか? 僕たちを匿ってるのがバレてしまったら、貴女にも迷惑が……」
「そう思うんだったら、この蔵の中で大人しくしててね。……あ、そこのワインは勝手に呑まないでよ。ウチの大切な商品なんだからね」
「……大人しくしてるから、ちゃんとしたベッドのある部屋の方がいいなぁ~。俺はワインじゃないんだからさ」
「ダーメ」

 不平を言うジャスミンを、シレネは、けんもほろろに突き放し、いたずらっぽく笑ってウインクしてみせた。

「生憎だけど、同じ屋根の下に若い男をふたりも泊めるほど、警戒心の無い女じゃないのよ、私」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

異世界で穴掘ってます!

KeyBow
ファンタジー
修学旅行中のバスにいた筈が、異世界召喚にバスの全員が突如されてしまう。主人公の聡太が得たスキルは穴掘り。外れスキルとされ、屑の外れ者として抹殺されそうになるもしぶとく生き残り、救ってくれた少女と成り上がって行く。不遇といわれるギフトを駆使して日の目を見ようとする物語

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

転生弁護士のクエスト同行記 ~冒険者用の契約書を作ることにしたらクエストの成功率が爆上がりしました~

昼から山猫
ファンタジー
異世界に降り立った元日本の弁護士が、冒険者ギルドの依頼で「クエスト契約書」を作成することに。出発前に役割分担を明文化し、報酬の配分や責任範囲を細かく決めると、パーティ同士の内輪揉めは激減し、クエスト成功率が劇的に上がる。そんな噂が広がり、冒険者は誰もが法律事務所に相談してから旅立つように。魔王討伐の最強パーティにも声をかけられ、彼の“契約書”は世界の運命を左右する重要要素となっていく。

ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる

街風
ファンタジー
「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜

駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。 しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった─── そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。 前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける! 完結まで毎日投稿!

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...