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第三章 酒と泪と色事師と女将
女と遭難者
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鬱蒼と生い茂る、太い幹の木々の間を縫いながら、草を掻き分け進んでいくのは、ひとりの女だった。
年はまだ若く、背中くらいまである、軽くウェーブのかかった茶色の髪を一つに束ね、動き易い革製の上着とズボンを着ていた。
彼女は、紫色の瞳をキョロキョロと地面に巡らせ、しきりに何かを探している。
「……あ、あったあった」
彼女は、そう独りごちると、しゃがみ込んだ。ベルトに提げたナタを手にして、地面を掘る。
「何だ、ベニコドンテタケか……」
掘り出した紅い茸を確認して、薄いそばかすが特徴的な顔を曇らせて肩を落としたが、
「……まあ、ソテーにすれば美味しいし」
と、気を取り直して、肩から提げた籠に茸を放り込んだ。
「やっぱり、果無の樹海といっても、こんな端っこじゃあんまりいい食材は採れないな……」
もう少し、奥に行けば、目当てのヒロカサカラスタケが採れるだろうか――。女は、腰に結わえ付けた太いロープを引っ張ってみる。――まだ、少し余裕がありそうだ。
「あと200エイムくらいは行けそうかな……?」
彼女は、ひとり頷くと、更に樹海の奥へと入っていこうとして――
ふと、足を止める。
「……何かが……」
彼女は、身を屈め、耳をそばだてる。
「…………」
……何かが……近付いてくる?
彼女は、静かにナタを構える。武器としては心許ないが、彼女の得手武器は、あいにくと今は手元に無い。――もっとも、仮に手元にあったところで、木々が生い茂る樹海の中では、彼女の得物は十分に力を発揮できないだろう。
そうしている間にも、物音は徐々に近付いてくる。
「…………」
女は、物音の主の襲来に備えて、静かに呼吸と心拍を整える。
音は、だんだんハッキリと聴こえてくる。……草を掻き分けながら、走っている足音の様だ。――しかも、二つ分。
彼女は緊張する。最悪1対2で立ち向かわねばならない。しかも、相手が何者かは……解らない。ハテナシクロキツネならまだいいが、『樹海のハンター』と異名をとり、街道にもしばしば出没して旅人を襲う、狡猾なマンイーター・グレイ・ウルフのつがいだったりしたら、かなり面倒だ……。
――と、彼女の耳は、足音以外の音を捉えた。
「……れ! ……く!」
「……人の――声?」
彼女は、驚き、狼狽えた。
ここは東端とはいえ、人の侵入を拒む、果無の樹海のまっただ中だ。女のいる、正にここが、人が樹海に足を踏み入れて無事に戻れる限界点なのだ。その更に遥か奥から、生きた人間が現れるなんて事は――あり得ない。
(……迷える亡霊の類……か?)
――それに対する聖水も用意はしてある……が、アンデッド系の敵に対する戦いは、あまり経験が無い。
ナタを握る掌が、じっとりと汗をかくのを感じながら、微かな兆候も見逃さぬ様、目と耳に神経を集中させる。
「…………れ! 早く!」
「……って! もう……待っ――!」
一層ハッキリした音が耳に届いた。
――若い……男の声?
彼女がそう確信した瞬間、
目の前の藪から、二つの影が飛び出した!
「――!」
「――!」
彼女は、反射的にナタを振りかぶって大きな方の影に飛びかかろうとして――、
「え――ッ? ひ、人……?」
「ま――待った! 敵じゃない!」
影から放たれた言葉は、明らかに生きている人間のそれだった。
彼女は、驚愕で目を丸めながらも、振り上げたナタを下げて、胸の前で構えた。
「……アナタ達……、人間なの?」
警戒を解く事はせず、女は、二人の姿を睨め回す様に観察する。
背の低い男は、まだ少年と言っていい若さだった。伸びてフワリとした金髪で、分厚いメガネを掛けている。その身に纏う神官服と、額の真新しい『アッザムの聖眼』から、彼がまだ神官となって間もない事が分かる。
背の高い男は、とても整った顔立ちの、茶色い髪に黒曜石の様な輝く瞳を持つ男だった。口の回りには、伸びた無精髭を生やしているが、それも彼の秀麗な見目を損なうものではなく、むしろ引き立ててさえいた。
ふたりとも、着ているものはあちこちほつれ、破け、汚れていた。特に、背の高い方の男の纏う神官服に至っては、胸元が横に切り裂かれており、どす黒い血痕が付着している。
二人は互いに、埃まみれの顔を見合わせた後、背の高い方の男が口を開いた。
「――ああ、俺たちは紛れもなく、生きた人間さ。逆に、聞きたいんだけど……君こそ、人間か?」
「……は? も、もちろんそうよ。私も、人間」
「……本当にぃ? そう見せかけた亡霊とかってオチじゃ……?」
「失礼ね!」
なおも疑う男達に憤慨する。
「私の名前は、シレネ。サンクトルの町で、居酒屋をやってるわ。今日も、店で出す料理の食材を採りに――」
「「!」」
シレネの言葉を聞いたふたりの男は、驚愕の表情を浮かべた。
「ちょ――ちょっと、待って下さい! 貴女、今、『サンクトルの町で居酒屋を開いている』……って仰いましたか?」
「え――? え、ええ……。言ったけど……それがどうし――」
「「やっっっっったあああああああああっ!」」
シレネが頷くと、ふたりは歓声を上げて、抱き合って喜んだ。
「え……え? 何?」
状況が分からず混乱するシレネ。
「これって……これって、夢じゃないですよね……!」
「当たり前だろ! 夢でたまるかよ!」
「ぼ……僕たち……遂に抜けたんですね……果無の樹海を……!」
「そうだよ! 俺たちはやり遂げたんだよ! チクショー、何が『一度入ったら、二度と出られない』だ! ちゃんと生きて出られたぞこのヤロー!」
「……あの。喜んでるところ悪いんだけど。アナタ達が何者か、聞かせてもらって、いいかしら?」
ふたりが喜ぶ間、蚊帳の外だったシレネが、おずおずと口を挟む。
ふたりの男は、やっと我に返り、抱き合っている事に気付くと、慌てて離れた。
「……あ、あの。僕はパームと申します。チュプリの城下町から出てすぐ、この果無の樹海に迷い込んでしまって……ずっと彷徨っていた訳でして――」
「はあ――?」
今度はシレネが驚愕する番だった。
「チュプリ出てすぐ――って、じゃあ、アナタ達はこの果無の樹海を殆ど横断してきた、って事なの?」
「――ええ、まあ」
「嘘!」
シレネは、パームの言葉を真っ向から否定した。
「そんな事、出来る訳無いでしょ! 『果無の樹海』は、今までたった一人――伝説の冒険家・コドンテしか、横断に成功した者はいないのよ! アナタ達みたいな人たちが――」
「……と、その話はそこまでだ」
「……!」
シレネの言葉を遮ったのは、背の高い茶髪の男だった。
年はまだ若く、背中くらいまである、軽くウェーブのかかった茶色の髪を一つに束ね、動き易い革製の上着とズボンを着ていた。
彼女は、紫色の瞳をキョロキョロと地面に巡らせ、しきりに何かを探している。
「……あ、あったあった」
彼女は、そう独りごちると、しゃがみ込んだ。ベルトに提げたナタを手にして、地面を掘る。
「何だ、ベニコドンテタケか……」
掘り出した紅い茸を確認して、薄いそばかすが特徴的な顔を曇らせて肩を落としたが、
「……まあ、ソテーにすれば美味しいし」
と、気を取り直して、肩から提げた籠に茸を放り込んだ。
「やっぱり、果無の樹海といっても、こんな端っこじゃあんまりいい食材は採れないな……」
もう少し、奥に行けば、目当てのヒロカサカラスタケが採れるだろうか――。女は、腰に結わえ付けた太いロープを引っ張ってみる。――まだ、少し余裕がありそうだ。
「あと200エイムくらいは行けそうかな……?」
彼女は、ひとり頷くと、更に樹海の奥へと入っていこうとして――
ふと、足を止める。
「……何かが……」
彼女は、身を屈め、耳をそばだてる。
「…………」
……何かが……近付いてくる?
彼女は、静かにナタを構える。武器としては心許ないが、彼女の得手武器は、あいにくと今は手元に無い。――もっとも、仮に手元にあったところで、木々が生い茂る樹海の中では、彼女の得物は十分に力を発揮できないだろう。
そうしている間にも、物音は徐々に近付いてくる。
「…………」
女は、物音の主の襲来に備えて、静かに呼吸と心拍を整える。
音は、だんだんハッキリと聴こえてくる。……草を掻き分けながら、走っている足音の様だ。――しかも、二つ分。
彼女は緊張する。最悪1対2で立ち向かわねばならない。しかも、相手が何者かは……解らない。ハテナシクロキツネならまだいいが、『樹海のハンター』と異名をとり、街道にもしばしば出没して旅人を襲う、狡猾なマンイーター・グレイ・ウルフのつがいだったりしたら、かなり面倒だ……。
――と、彼女の耳は、足音以外の音を捉えた。
「……れ! ……く!」
「……人の――声?」
彼女は、驚き、狼狽えた。
ここは東端とはいえ、人の侵入を拒む、果無の樹海のまっただ中だ。女のいる、正にここが、人が樹海に足を踏み入れて無事に戻れる限界点なのだ。その更に遥か奥から、生きた人間が現れるなんて事は――あり得ない。
(……迷える亡霊の類……か?)
――それに対する聖水も用意はしてある……が、アンデッド系の敵に対する戦いは、あまり経験が無い。
ナタを握る掌が、じっとりと汗をかくのを感じながら、微かな兆候も見逃さぬ様、目と耳に神経を集中させる。
「…………れ! 早く!」
「……って! もう……待っ――!」
一層ハッキリした音が耳に届いた。
――若い……男の声?
彼女がそう確信した瞬間、
目の前の藪から、二つの影が飛び出した!
「――!」
「――!」
彼女は、反射的にナタを振りかぶって大きな方の影に飛びかかろうとして――、
「え――ッ? ひ、人……?」
「ま――待った! 敵じゃない!」
影から放たれた言葉は、明らかに生きている人間のそれだった。
彼女は、驚愕で目を丸めながらも、振り上げたナタを下げて、胸の前で構えた。
「……アナタ達……、人間なの?」
警戒を解く事はせず、女は、二人の姿を睨め回す様に観察する。
背の低い男は、まだ少年と言っていい若さだった。伸びてフワリとした金髪で、分厚いメガネを掛けている。その身に纏う神官服と、額の真新しい『アッザムの聖眼』から、彼がまだ神官となって間もない事が分かる。
背の高い男は、とても整った顔立ちの、茶色い髪に黒曜石の様な輝く瞳を持つ男だった。口の回りには、伸びた無精髭を生やしているが、それも彼の秀麗な見目を損なうものではなく、むしろ引き立ててさえいた。
ふたりとも、着ているものはあちこちほつれ、破け、汚れていた。特に、背の高い方の男の纏う神官服に至っては、胸元が横に切り裂かれており、どす黒い血痕が付着している。
二人は互いに、埃まみれの顔を見合わせた後、背の高い方の男が口を開いた。
「――ああ、俺たちは紛れもなく、生きた人間さ。逆に、聞きたいんだけど……君こそ、人間か?」
「……は? も、もちろんそうよ。私も、人間」
「……本当にぃ? そう見せかけた亡霊とかってオチじゃ……?」
「失礼ね!」
なおも疑う男達に憤慨する。
「私の名前は、シレネ。サンクトルの町で、居酒屋をやってるわ。今日も、店で出す料理の食材を採りに――」
「「!」」
シレネの言葉を聞いたふたりの男は、驚愕の表情を浮かべた。
「ちょ――ちょっと、待って下さい! 貴女、今、『サンクトルの町で居酒屋を開いている』……って仰いましたか?」
「え――? え、ええ……。言ったけど……それがどうし――」
「「やっっっっったあああああああああっ!」」
シレネが頷くと、ふたりは歓声を上げて、抱き合って喜んだ。
「え……え? 何?」
状況が分からず混乱するシレネ。
「これって……これって、夢じゃないですよね……!」
「当たり前だろ! 夢でたまるかよ!」
「ぼ……僕たち……遂に抜けたんですね……果無の樹海を……!」
「そうだよ! 俺たちはやり遂げたんだよ! チクショー、何が『一度入ったら、二度と出られない』だ! ちゃんと生きて出られたぞこのヤロー!」
「……あの。喜んでるところ悪いんだけど。アナタ達が何者か、聞かせてもらって、いいかしら?」
ふたりが喜ぶ間、蚊帳の外だったシレネが、おずおずと口を挟む。
ふたりの男は、やっと我に返り、抱き合っている事に気付くと、慌てて離れた。
「……あ、あの。僕はパームと申します。チュプリの城下町から出てすぐ、この果無の樹海に迷い込んでしまって……ずっと彷徨っていた訳でして――」
「はあ――?」
今度はシレネが驚愕する番だった。
「チュプリ出てすぐ――って、じゃあ、アナタ達はこの果無の樹海を殆ど横断してきた、って事なの?」
「――ええ、まあ」
「嘘!」
シレネは、パームの言葉を真っ向から否定した。
「そんな事、出来る訳無いでしょ! 『果無の樹海』は、今までたった一人――伝説の冒険家・コドンテしか、横断に成功した者はいないのよ! アナタ達みたいな人たちが――」
「……と、その話はそこまでだ」
「……!」
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