好色一代勇者 〜ナンパ師勇者は、ハッタリと機転で窮地を切り抜ける!〜(アルファポリス版)

朽縄咲良

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プロローグその一 夜明け前――HEART of DESIRE

間男と女、そして亭主

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 「ジャスミン様……私は幸せですわ」

 夜というよりは既に朝に近い時間。ひんやりと肌を冷やす空気の中、街路樹の下で固く抱き合う男と女の間だけは、熱く濃厚な空間で満たされていた。
 ジャスミンの胸に顔をうずめていた女がつと顎を上げ、美術品の彫像の様に整った彼の顔を見上げる。そして、先程の情事の余韻の残る、形の良い唇を妖艶に綻ばせ、瞳をうっとりと潤ませる。

「ええ、今この瞬間、世界中で私が一番幸せですわ。断言できますわ」

 彼女は、自分の言葉をより確かなものとするように、そう繰り返す。
 そんな彼女に、彼女を抱き締めていた男――ジャスミンは優しく微笑みかけると、

「フフ……残念ながら違いますよ、マダム」

 そう、静かな声で答える。そして、彼の言葉に反論しようとした女の唇を己の唇で塞いだ。

「世界一幸せな人間は貴方の目の前にいるこの俺……。なにせ貴方とこうして素晴らしい朝を迎えられたのですから」
「ホントにお上手。でも嬉しい……」

 女は顔を綻ばせ、男の背中に腕を回した。

「ああ、このまま時が止まってくれたらいいのに……」

 ジャスミンも、女の腰にそっと手を回す。

「しばらく……このままでいましょう。朝日が昇るまでは」
「……嫌」
「――え?」

 意想外の女の言葉に、ジャスミンは思わず素で聞き返してしまった。が、直ぐに表情を引き締め、ほんの一瞬露にしてしまった素顔を覆い隠す。
 幸い、女には、彼の表情の変化は気づかれなかったようだ。やれやれと密かに胸を撫で下ろしたジャスミンは、彼女に優しく尋ねる。もちろん、自分の問いが否定されるのを確信して。

「…すみません。嫌でしたか。俺とこうしているのは」
「違うわ!」

 ジャスミンの言葉を女は強く否定した。またも予想外――いや、予想以上の相手の強い言葉に呆気にとられた彼の顔を、彼女はキッと睨みつける。
 彼女は、うっすらと目に涙を浮かべ、

「逆……。ずっとこうしていたい……。これからずっと……」

 そう叫び、ジャスミンの身体を強く抱き締めた。

「そうですか……」

 そう言って、そっと彼女の頭を撫でるジャスミンだが、心の中で思わず舌打ちをしていた。

 ――また、面倒な事になった。
 いつもだったら、もう今頃はねぐらに帰っている頃だというのに、今日の女はなかなか解放してくれない。大通りで声をかけて、バーで語らい、そのまま出逢い宿屋へ……という流れはいつもどおりだったが、出逢い宿屋を出てからも、女に粘られ続け、なかなか「後朝きぬぎぬの別れ」が出来ない。
 気づけば、もう日が昇りそうな時間だ。
 前にも3回ほど、今と同じ状況に陥った経験がある。そしてこんな時は大抵……、

「ねえ……、私と一緒に逃げて!」

 ほら、やっぱり。
 ていうか、たった一度だけベッドを共にしただけの仲だというのに、思い詰め過ぎだろ……。
 ああ、まったく。面倒くさい。
 と、ジャスミンは心の中で毒づいた。

 だが――もちろん彼は、自称「天下無敵の色事師」の矜恃にかけて、そんな心の中を相手に悟らせる愚は犯さない。

「逃げるって……。何処へです、マダム?」

 ジャスミンは、ゆっくり、優しく問いかける。こういった時は、あくまで冷静に対処するのが最善だ。

「何処でもいい! 私とあなたがずっと一緒にこうしていれる所よ!」

 即座に、彼の予想通りの返答が返ってきた。
 ジャスミンは優しい微笑を浮かべる。口の端から覗いた白い歯が、夜闇の中で透過光を放つ。
 彼は、右手で彼女の髪を優しく撫でながら、優しい声色で囁きかけた。

「マダムにそこまで想って頂けて……、俺にとっては身に余る光栄ですよ」
「ジャスミン……」
「でも、それは出来ません」

 そこで、口を閉じ、黒曜石を彷彿とさせる漆黒の瞳で、女の顔をじっと見つめる……3秒間。
 そして、口を開く。囁く様な幽かな声で。

「貴女は、俺の様な男には不釣合いな方です。貴女と俺は…そう、地を這いずる野鼠と大空でさえずる鳥ほどに住む世界が違うのです。今宵は、蒼月女神レムが戯れで、異なる世界の二人を引き合わせたに過ぎないのです……。夢の世界でね」

 そこで、言葉を切り、涙で潤んだ女の目から視線を外し、振り仰いで顔を東の空に向けた。
 東の空は、一面の濃紺から、徐々にその表情を明るくしようとしている。

「もう日が昇ります。もう俺も貴女も、現実の世界へ戻らなければならない。貴女はご主人の待つ家庭へ、そして俺は……」
「真っ暗な地獄の果てへ、な!」

 計算されたジャスミンの科白を遮ったのは、ドスの効いた濁声だった。

「――ッ!」

 その声を聞いたジャスミンは、ハッとした表情を浮かべると、直ぐに抱擁を解き、ゆっくりと背後を振り返る。
 闇の中から背の低い男が現れた。暗いので顔ははっきり見えないが、眼だけはギラギラと鈍い光を放ち、どす黒い殺気を込めてジャスミンの顔を睨みつけていた。

「誰だ、おめえ、みてえなツラしてやがるな、オイ」
「さて、どちら様でしょうか?」

 とぼけながらも、その答えには大体見当がついていた。さりげなく周囲を見回すと、街路樹の間、石畳の道の両側から、数人の黒い影がこちらへ近付いてくるのが確認できる。

「オレはコイツの旦那だぁ! ナメてんじゃねえぞ、ゴルア!」

 そう叫ぶと、男は懐からナイフを取り出して、勢いよく鞘から抜き放つ。
 それを見た背後の女は、「ヒッ!」と蛙が潰された様な声をあげる。

「まあまあ、そんな物騒なものをひけらかすのは止めて下さい。奥様も怯えてらっしゃいますよ」

 ジャスミンは穏やかな微笑みを湛えながら、敵意が無い事を示す為に両手を挙げて、鈍く光るナイフをブンブンと振り回す相手を宥める。が、そんな言葉如きで彼を宥められる状況では到底無かった。

「殺おおおおぉぉす!」

 男はそう喚くと、体の前にナイフを構え、突進してきた。

「うわっと!」

 ジャスミンは足がすくんで動けない女を抱え、まるで社交ダンスを踊るかのような格好で、すんでのところでナイフを避けた。必殺の一撃を躱された男は、勢い余って蹈鞴たたらを踏む。
 男は振り向いた。その顔は正に悪鬼羅刹の形相。目は血走り、こめかみには太い血管が浮き上がり、破裂しそうだ。
 いっそ破裂してしまえば面倒が無いのに……、とジャスミンは思う。

「まあまあ、事情を説明しますから、落ち着いて……」

 彼は、女を庇いつつゆっくりと男に歩み寄る。一定の距離は保ち、不意の攻撃にも対処できる様充分に留意しながら。
 その一方で、目を巡らせ、脱出経路を見出そうとする。が、間もなく、周りが十数人の男たちによって囲まれた事を認識する。女連れでは突破できそうも無い……。

「てめえ……。このモブ様の女房に手ぇ出しやがって……! その綺麗なお顔をズタズタにして、そしたら全身をなますに切り刻んでやる……」

 そう毒づくと、男は再びナイフを構える。
 もう一度うまく避けられるか……。顔にはおくびにも出さないが、ジャスミンの頭の中では、様々なプランが提案・検討され、そして否定される大会議を展開中だった。
 その時、

「アナタ! ごめんなさい。許して!」

 ジャスミンの背後から女が飛び出した。
 彼女はモブにむしゃぶりつき、涙を流しながら叫んだ。

「愛しているわ、アナタ。本当に……」
「おい! 放せ! オマエ、何をいまさら言ってる!」
「ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい! 今日は本当にどうかしてたの、私……」

 女はモブに抱きついたまま、ジャスミンを指差した。

「私は……そう! この男に騙されたの! お酒を飲まされて……、無理矢理だったのよ! 私、アナタをこんなに愛しているのに!」
「なんだと? おい! そうなのか?」
「私を信じて……お願い」

 そう言って、女はモブの唇に自分の唇を重ねた。
 ふたりの濃厚な接吻を、ジャスミンは半ば呆気にとられて、見つめる事しかできない。
 30秒ほども続けていただろうか、やっと顔を離した二人はじっと見つめあった。

「愛しているわ、アナタ」
「あ、ああ……」
「私を信じてくれる?」
「あ、ああ……」

 そしてまた熱い抱擁。

(これは、ハッピーエンド……なのかなぁ?)

 一人蚊帳の外のジャスミンはそんな事をボーっと考えていた。ここは一つ拍手でもして、ふたりに祝福の言葉でもかけたほうがいいのだろうか? 真剣に悩む。
 周りを見回すと、彼を取り囲んでいるならず者たちも、この超展開には戸惑いを隠せない様子だ。
 まあ、無理も無い。
 先ほどまでの緊迫した雰囲気は、地平の彼方へ吹き飛んでしまった。
 ふと気づくと、辺りが大分明るくなってきた。東の空が真っ赤に染まっている。
 ジャスミンとならず者たちは、お互いに当惑した顔を見合わせる。

(もういいのかな?)
(まあ……丸く収まった感じではあるが……)
(誰か聞いてみろよ)
(え――俺は勘弁。下手に喋りかけたら、刺されるだろ、この状況……)
(じゃあ……おい、色男。オマエが聞け!)
(え、俺? ……マジで?)
(てめえしかいねえだろうが。元凶なんだから、責任取れや)
(えー、そりゃそうだけどさぁ)
(うるせえ! ガタガタ言ってねえで、早くしろや! オレはもう眠いんだよ!)
(もう、分かりましたよ……)

 ――以上のようなやり取りを、彼らとの刹那のアイ・コンタクトで交わし、ジャスミンはやれやれと嘆息した。
 彼は、恐る恐る、固く互いを抱きしめ合って、自分たちの世界に浸っている二人に近付き、恐る恐る話しかける。

「あの~、お取り込み中スミマセン……」

 帰っていいですか?と、尋ねようとしたジャスミンの目の前を、銀色の鈍い光が一閃した。

「てめえ、オレの女房によくも手ぇ付けてくれたな、刻むぞ、ゴルア!」
「うわ! やっぱりまだ終わってなかったんすか!」
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