田中天狼のシリアスな日常

朽縄咲良

文字の大きさ
上 下
1 / 73
第一章 田中天狼のシリアスな日常・集結編

田中天狼のシリアスな序章

しおりを挟む
 そこは、歯医者の待合室。
 暖色系の壁紙には可愛らしいどうぶつのイラストがあしらわれ、優しくフレンドリーな雰囲気を醸し出そうとしていたが、その必死の工夫も空しい。超音波の様なドリルの音と、治療を受けている子供たちの阿鼻叫喚の叫び声のフルコーラスが鳴り響き、順番待ちの人間の心胆を容赦なく凍らせている。
 俺は、雑誌を捲りながら、順番を待っている。
 もう高校一年生。気障っぽく足を組み替えながら、その年齢に相応しい余裕ある態度を周囲の小学生には見せていたが、掌はじっとりと嫌な汗をかいている。

(ここは……どうだろう? 腕は確か……かな?)

 せわしなく雑誌のページをめくるが、雑誌の中身は全く頭に入ってこない。ただひたすらに、今日が初診のこの歯医者に対する僅かな期待と、大いなる不安が渦を巻き、頭の中が洗濯機のようになっていた。
 前に通っていた、腕の確かなベテランの歯医者は、俺を大いに悩ませている奥歯の病巣を根絶してくれる前に、非情にも悠々自適のリタイヤ生活に突入してしまった。……ま、何だかんだと理由をつけて、通院するのを避け続けた俺にも若干の責任がある事は否定しない……完全に自業自得ですすみません。
 出来れば、もう歯科医院とは一生関わりあいたくない所だったが、奥歯を蝕むミュータンス菌達は、日夜掘削工事に明け暮れ、俺に決して安寧を許さず――その苛烈極まる攻撃は、遂に我慢のハードルを飛び越してしまった。
 そして、俺が奥歯の激痛にのたうち回りながら、数多ある歯科医から選び出したのが、この、外観がファンシーでこじんまりとした街角の歯医者だったのだ――。

「ふぎゃああああぁぁぁぁぁぁ!」
「だいじょぉーぶ、痛くないよぉ。ほーら、大きなお口であーんして」
「ぐぎゃああぁぁぁぁっ! やめてぇぇぇ! おうちにかえりたいよおおおお!」
「ほーら、怖くないよ~。…………ちょっとだけチクッとするけどね……」
「いやああああああっ! 痛いのいやあああああああああああああ!」

 診察室からの幼い患者の断末魔が耳を打ち、思わず耳を押さえたくなる衝動に駆られる。口の中はカラカラに乾いていた。

 ――今ならまだ間に合う。

 俺は敢然と決意した。
 ――帰ろう。

「えー、次の方……」

 読み止しの雑誌を棚に戻し、踵を返して玄関へ向かおうとした所で、恰幅の良い受付の中年女性が、手元の診察表を捲りながら野太い声で処刑執行宣告をする。
 次は――俺だ。
 俺は観念し、名を呼ばれるのを待つ……。

「次の方、えーと、田中……」

(ま、いいや。そうだよな、虫歯は早く治した方がいいに決まってるし、案外すぐ終わるかもしれないし、ここの歯医者さんはブラックジャック並の腕前で全然痛くないかもしれないし、もしかしたら俺の気のせいかもしれないし実はものすごい自然治癒力を発揮して治ってるかもしれないしそもそも……)

「……田中……て……てん……?」

 俺がものすごい勢いで脳内をポジティブシンキングで埋め尽くそうとしている間、何故か名前は呼ばれなかった。

「えー……と、田中……てんろう? さん?」

 あー、はいはいそう来たか。
 皮肉気に口元を歪めると、俺は看護師に手を上げる。

「あのー、それ俺です」
「……あ、た、田中さん、診察室へどうぞ」

 看護師はほっとした表情を見せると、診察室という名の修羅場への扉を開けた。
 俺は頷くと、扉へ進み、看護師の横を通り過ぎる時、さりげなく口を開いた。

「……あ、ちなみに俺の名前は、しりうすです。田中天狼シリウス
「……へ? あ……」

 『鳩が豆鉄砲を食らった』とはああいう顔の事を言うのだろう。目を白黒させる看護師の前を通り過ぎ、俺は診察室せんじょうに足を踏み入れ、

「うわ~……こりゃ酷い。よくここまでほっといたもんだねぇ……」

 と、歯科医に呆れられながら、骨伝導で脳内にダイレクトで響くドリルの音と、焦げた歯の臭いに悶絶しながら、色々な事を後悔し、呪詛するのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ファンファーレ!

ほしのことば
青春
♡完結まで毎日投稿♡ 高校2年生の初夏、ユキは余命1年だと申告された。思えば、今まで「なんとなく」で生きてきた人生。延命治療も勧められたが、ユキは治療はせず、残りの人生を全力で生きることを決意した。 友情・恋愛・行事・学業…。 今まで適当にこなしてきただけの毎日を全力で過ごすことで、ユキの「生」に関する気持ちは段々と動いていく。 主人公のユキの心情を軸に、ユキが全力で生きることで起きる周りの心情の変化も描く。 誰もが感じたことのある青春時代の悩みや感動が、きっとあなたの心に寄り添う作品。

私の隣は、心が見えない男の子

舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。 隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。 二人はこの春から、同じクラスの高校生。 一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。 きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

冬の水葬

束原ミヤコ
青春
夕霧七瀬(ユウギリナナセ)は、一つ年上の幼なじみ、凪蓮水(ナギハスミ)が好き。 凪が高校生になってから疎遠になってしまっていたけれど、ずっと好きだった。 高校一年生になった夕霧は、凪と同じ高校に通えることを楽しみにしていた。 美術部の凪を追いかけて美術部に入り、気安い幼なじみの間柄に戻ることができたと思っていた―― けれど、そのときにはすでに、凪の心には消えない傷ができてしまっていた。 ある女性に捕らわれた凪と、それを追いかける夕霧の、繰り返す冬の話。

AGAIN 不屈の挑戦者たち

海野 入鹿
青春
小3の頃に流行ったバスケ漫画。 主人公がコート上で華々しく活躍する姿に一人の少年は釘付けになった。 自分もああなりたい。 それが、一ノ瀬蒼真のバスケ人生の始まりであった。 中3になって迎えた、中学最後の大会。 初戦で蒼真たちのチームは運悪く、”天才”がいる優勝候補のチームとぶつかった。 結果は惨敗。 圧倒的な力に打ちのめされた蒼真はリベンジを誓い、地元の高校へと進学した。 しかし、その高校のバスケ部は去年で廃部になっていた― これは、どん底から高校バスケの頂点を目指す物語 *不定期更新ですが、最低でも週に一回は更新します。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...