164 / 215
第二部五章 応酬
鉄砲衆と徒歩男たち
しおりを挟む
「おおおおおおお――っ!」
武田軍は、地鳴りのような鬨の声を上げながら、一斉に前進し始めた。
彼らが目指すのは、言うまでもなく、丸太で組んだ馬防ぎの柵の向こう――斎藤軍の陣である。
「者ども、敵が来るぞ! 弾を込めよ!」
馬防ぎの柵の内側に並んだ鉄砲隊を束ねる斎藤軍の組頭が、夥しい土煙を立てて接近しつつある武田軍を鋭い目で見据えながら、配下の兵たちに向かって声を張り上げた。
その命を聞いた鉄砲隊の兵たちは、一斉に片膝をつき、射撃準備に取り掛かる。
そして、先端に火の点いた火縄を火挟みに挟み、柵の横木に銃身を乗せ、こちらへ向かってくる武田軍へと向けた。
「下知するまで撃つなよ! 確実に仕留められる距離まで、存分に引きつけるのだ!」
「「「は……はっ!」」」
組頭の声に、鉄砲足軽たちが上ずった声で応じる。
その声に緊張と恐怖の色が混じっている事を敏感に感じ取った組頭は、彼らを鼓舞しようと、殊更に大きな笑声を上げてみせた。
「はっはっはっ! そう案ずるな! こちらには馬防ぎの柵がある! 如何に武田の騎馬武者の脚が速かろうと強かろうと、この丸太の柵を越えて我が陣に押し入る事は出来ぬわ!」
そう、大音声で叫んだ組頭は、横一列に展開した鉄砲足軽たちの背後で天を衝くかのように林立している夥しい数の長柄槍を一瞥し、「あとは――」と続ける。
「貴様らの背後に控えた長柄槍隊が、鉄砲衆と共に、柵に阻まれて立ち往生した武田の猪武者どもを順繰りに突き殺していくだけよ! それを繰り返していくだけで、勝手に敵は壊滅するであろうぞ!」
「「「はっ!」」」
組頭の言葉に勇気づけられた鉄砲足軽たちの間から、先ほどよりも威勢の良い返事が返ってきた。
……無論、組頭の言葉は、些か楽観に過ぎるきらいはある。
だが、柵の立て杭は地面深く打ち込んでいるし、その前には浅いとはいえ空堀まで構築してあるのだ。
如何に武田兵と彼らの操る騎馬が強靭であっても、そうやすやすと抜かれる事は無かろう――彼は、そして斎藤軍の大半の者は、そう考えていた。
――だが、
「……妙だな」
ほどなく、組頭は、柵越しに見える敵の動きに、妙な違和感を覚えた。
「遅い……? 馬の脚を緩めたのか?」
最初は巻き上げる土埃で後続の姿が見えない程の速度で駆けていた武田軍が、柵から一町半 (約160メートル)ほどのところまで近づいたところで急激に速度を落とし、常足でゆったりと歩き始めたのだ。
「組頭様……撃ちますか……?」
斉射の命を待っていた鉄砲足軽のひとりが、火縄銃を構えたままで顔を巡らし、おずおずと尋ねてきた。
その問いかけに、組頭は彼に負けず劣らずの当惑の表情を浮かべながら頭を振る。
「い、いや……まだだ。待て」
彼の判断は尤もだ。
まだ、彼らと武田軍との間には一町 (約110メートル)ほどの距離がある。この距離で火縄銃を放っても命中率は然程期待できぬし、たとえ命中したとしても、致命の一撃までには至らない可能性が高い。
むしろ敵は、痺れを切らしたこちらが火縄銃を斉射するのを待っている可能性が高いだろう。斉射した鉄砲隊が次弾を装填するまでの隙に乗じて、一気に接近しようと目論んでいるのではないか――組頭はそう考えたのだ。
……だが、その考えは、武田軍の次なる動きによって即座に覆される。
「あ、あれは……?」
その光景を見た鉄砲足軽たちの間から、戸惑い混じりのどよめきが上がった。
突然、徒歩の男たちが数十名、依然としてゆっくりと歩を進める騎馬たちの間をすり抜けるようにして現れたのだ。
徒歩の男たちは、足軽というにはあまりにも軽装である。胴にこそ粗末な具足を纏ってはいたものの、いずれも着物の袖を襷で捲り上げて太い腕を剥き出しにしており、脚も素足に脚絆を付けただけだった。
手に持った得物も奇妙なもので、鉄砲はもちろん、長槍や弓ですらなく、その代わりに携えていたのは、鍬や鋤といった農作業に用いるような道具ばかりである。
更に奇妙な事に、緩やかに広がりながらいくつかの集団に分かれた男たちの何人かが、人の背丈ほどの長さで伐り落とした竹をいくつか束ね、円柱状にまとめたものを担いでいたのだ。
「な……何じゃ、あいつらは……?」
組頭は、戦場にそぐわない格好をした男たちの姿に、思わず当惑の声を上げる。
配下の鉄砲足軽たちも、思いもかけない光景に唖然としていた。
――と、その時、
“ドォンッ!”
突然、武田軍の方から、腹に響く陣太鼓の音が上がり、それに応じるように、鋤や鍬を携えた徒歩の男たちは、束ねた竹を楯のように前面に掲げた男を先頭にして、縦列に並ぶ。
そして、
“ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!”
と、一定の調子で連打され始めた陣太鼓の音に合わせるように、その隊形を保ったまま、斎藤陣の方へ向けて駆け始めた。
「な、何だぁっ?」
異様な光景を目の当たりにした組頭は、思わず驚愕の叫びを上げる。
――だが、すぐに我に返り、男たちが柵まで半町 (約55メートル)足らずの距離まで接近した事に気付くと、慌てて手にしていた刀を大きく頭上に掲げ、それから勢いよく振り下ろした。
「鉄砲、放てええぇ――っ!」
次の瞬間、彼の命を忠実に実行した鉄砲足軽たちが構える火縄銃から轟音が上がり、その銃口から一斉に銃弾が放たれる。
言うまでもなく、その狙いは、楯にした竹束にその身を隠し、無謀な突撃をかけてきた軽装の男たちだ。
柵に沿って並んだ二百丁近い火縄銃が一斉に火を噴いた事で、一帯は真っ黒な硝煙によって覆い尽くされ、視界は遮られる。
「火縄銃の威力を舐めるな、甲斐の山猿どもが! この至近距離では、そのような急造の楯など容易く貫通できるわ!」
垂れ込める黒煙の中で、組頭は自分が率いる鉄砲隊の戦果を疑わず、高らかに哄笑した。
――だが、
「く、組頭様ッ! や、奴ら……まだ――!」
「ッ?」
上ずった鉄砲足軽の声にハッとした組頭は、弾かれるように柵の外に目を向ける。
そして――、
「……なっ?」
硝煙の中から、先ほど見た時と変わらず隊列を保った男たちが姿を現したのを見て、思わず目を疑った。
「ば……バカな……ッ! 我が方の一斉射を受けたのに……全くの無傷だと……ッ?」
武田軍は、地鳴りのような鬨の声を上げながら、一斉に前進し始めた。
彼らが目指すのは、言うまでもなく、丸太で組んだ馬防ぎの柵の向こう――斎藤軍の陣である。
「者ども、敵が来るぞ! 弾を込めよ!」
馬防ぎの柵の内側に並んだ鉄砲隊を束ねる斎藤軍の組頭が、夥しい土煙を立てて接近しつつある武田軍を鋭い目で見据えながら、配下の兵たちに向かって声を張り上げた。
その命を聞いた鉄砲隊の兵たちは、一斉に片膝をつき、射撃準備に取り掛かる。
そして、先端に火の点いた火縄を火挟みに挟み、柵の横木に銃身を乗せ、こちらへ向かってくる武田軍へと向けた。
「下知するまで撃つなよ! 確実に仕留められる距離まで、存分に引きつけるのだ!」
「「「は……はっ!」」」
組頭の声に、鉄砲足軽たちが上ずった声で応じる。
その声に緊張と恐怖の色が混じっている事を敏感に感じ取った組頭は、彼らを鼓舞しようと、殊更に大きな笑声を上げてみせた。
「はっはっはっ! そう案ずるな! こちらには馬防ぎの柵がある! 如何に武田の騎馬武者の脚が速かろうと強かろうと、この丸太の柵を越えて我が陣に押し入る事は出来ぬわ!」
そう、大音声で叫んだ組頭は、横一列に展開した鉄砲足軽たちの背後で天を衝くかのように林立している夥しい数の長柄槍を一瞥し、「あとは――」と続ける。
「貴様らの背後に控えた長柄槍隊が、鉄砲衆と共に、柵に阻まれて立ち往生した武田の猪武者どもを順繰りに突き殺していくだけよ! それを繰り返していくだけで、勝手に敵は壊滅するであろうぞ!」
「「「はっ!」」」
組頭の言葉に勇気づけられた鉄砲足軽たちの間から、先ほどよりも威勢の良い返事が返ってきた。
……無論、組頭の言葉は、些か楽観に過ぎるきらいはある。
だが、柵の立て杭は地面深く打ち込んでいるし、その前には浅いとはいえ空堀まで構築してあるのだ。
如何に武田兵と彼らの操る騎馬が強靭であっても、そうやすやすと抜かれる事は無かろう――彼は、そして斎藤軍の大半の者は、そう考えていた。
――だが、
「……妙だな」
ほどなく、組頭は、柵越しに見える敵の動きに、妙な違和感を覚えた。
「遅い……? 馬の脚を緩めたのか?」
最初は巻き上げる土埃で後続の姿が見えない程の速度で駆けていた武田軍が、柵から一町半 (約160メートル)ほどのところまで近づいたところで急激に速度を落とし、常足でゆったりと歩き始めたのだ。
「組頭様……撃ちますか……?」
斉射の命を待っていた鉄砲足軽のひとりが、火縄銃を構えたままで顔を巡らし、おずおずと尋ねてきた。
その問いかけに、組頭は彼に負けず劣らずの当惑の表情を浮かべながら頭を振る。
「い、いや……まだだ。待て」
彼の判断は尤もだ。
まだ、彼らと武田軍との間には一町 (約110メートル)ほどの距離がある。この距離で火縄銃を放っても命中率は然程期待できぬし、たとえ命中したとしても、致命の一撃までには至らない可能性が高い。
むしろ敵は、痺れを切らしたこちらが火縄銃を斉射するのを待っている可能性が高いだろう。斉射した鉄砲隊が次弾を装填するまでの隙に乗じて、一気に接近しようと目論んでいるのではないか――組頭はそう考えたのだ。
……だが、その考えは、武田軍の次なる動きによって即座に覆される。
「あ、あれは……?」
その光景を見た鉄砲足軽たちの間から、戸惑い混じりのどよめきが上がった。
突然、徒歩の男たちが数十名、依然としてゆっくりと歩を進める騎馬たちの間をすり抜けるようにして現れたのだ。
徒歩の男たちは、足軽というにはあまりにも軽装である。胴にこそ粗末な具足を纏ってはいたものの、いずれも着物の袖を襷で捲り上げて太い腕を剥き出しにしており、脚も素足に脚絆を付けただけだった。
手に持った得物も奇妙なもので、鉄砲はもちろん、長槍や弓ですらなく、その代わりに携えていたのは、鍬や鋤といった農作業に用いるような道具ばかりである。
更に奇妙な事に、緩やかに広がりながらいくつかの集団に分かれた男たちの何人かが、人の背丈ほどの長さで伐り落とした竹をいくつか束ね、円柱状にまとめたものを担いでいたのだ。
「な……何じゃ、あいつらは……?」
組頭は、戦場にそぐわない格好をした男たちの姿に、思わず当惑の声を上げる。
配下の鉄砲足軽たちも、思いもかけない光景に唖然としていた。
――と、その時、
“ドォンッ!”
突然、武田軍の方から、腹に響く陣太鼓の音が上がり、それに応じるように、鋤や鍬を携えた徒歩の男たちは、束ねた竹を楯のように前面に掲げた男を先頭にして、縦列に並ぶ。
そして、
“ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!”
と、一定の調子で連打され始めた陣太鼓の音に合わせるように、その隊形を保ったまま、斎藤陣の方へ向けて駆け始めた。
「な、何だぁっ?」
異様な光景を目の当たりにした組頭は、思わず驚愕の叫びを上げる。
――だが、すぐに我に返り、男たちが柵まで半町 (約55メートル)足らずの距離まで接近した事に気付くと、慌てて手にしていた刀を大きく頭上に掲げ、それから勢いよく振り下ろした。
「鉄砲、放てええぇ――っ!」
次の瞬間、彼の命を忠実に実行した鉄砲足軽たちが構える火縄銃から轟音が上がり、その銃口から一斉に銃弾が放たれる。
言うまでもなく、その狙いは、楯にした竹束にその身を隠し、無謀な突撃をかけてきた軽装の男たちだ。
柵に沿って並んだ二百丁近い火縄銃が一斉に火を噴いた事で、一帯は真っ黒な硝煙によって覆い尽くされ、視界は遮られる。
「火縄銃の威力を舐めるな、甲斐の山猿どもが! この至近距離では、そのような急造の楯など容易く貫通できるわ!」
垂れ込める黒煙の中で、組頭は自分が率いる鉄砲隊の戦果を疑わず、高らかに哄笑した。
――だが、
「く、組頭様ッ! や、奴ら……まだ――!」
「ッ?」
上ずった鉄砲足軽の声にハッとした組頭は、弾かれるように柵の外に目を向ける。
そして――、
「……なっ?」
硝煙の中から、先ほど見た時と変わらず隊列を保った男たちが姿を現したのを見て、思わず目を疑った。
「ば……バカな……ッ! 我が方の一斉射を受けたのに……全くの無傷だと……ッ?」
33
お気に入りに追加
195
あなたにおすすめの小説
日は沈まず
ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。
また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
出撃!特殊戦略潜水艦隊
ノデミチ
歴史・時代
海の狩人、潜水艦。
大国アメリカと短期決戦を挑む為に、連合艦隊司令山本五十六の肝入りで創設された秘匿潜水艦。
戦略潜水戦艦 伊号第500型潜水艦〜2隻。
潜水空母 伊号第400型潜水艦〜4隻。
広大な太平洋を舞台に大暴れする連合艦隊の秘密兵器。
一度書いてみたかったIF戦記物。
この機会に挑戦してみます。
日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻
初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。
1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。
霧深き北海で戦艦や空母が激突する!
「寒いのは苦手だよ」
「小説家になろう」と同時公開。
第四巻全23話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる