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第二部四章 衝突

突撃と供

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 保科正俊の号令が下った瞬間、彼に付き従った保科隊の兵たちは一斉に万雷の如く鬨を上げ、先ほど諏訪衆が破った斎藤陣の柵の綻びに向けて駆け始めた。

「ええい、前を開けよ! そこを退け! お主ら諏訪衆は、一先ず退いて、崩れた体勢を立て直せ!」

 疾駆する保科隊の先頭に立った正俊は、斎藤軍の銃撃を受けて浮足立っている諏訪衆に叱咤混じりの指示を与える。
 老将の力強い声を耳にした諏訪衆たちは、それまでの狼狽と混乱からようやく脱し、彼の指示に従うべく馬首を返して、柵の前から退いた。
 保科隊の騎馬兵たちは、巧みに手綱を繰りながら、退しりぞく諏訪衆の間をすり抜けるようにして柵へと近付いていく。
 と、その時、

 “ダダダダダダ――ンッ!”

 新手の接近に気付いた柵内の斎藤兵が、保科隊目がけて一斉に火縄銃を撃ちかけた。

「ヒヒ――ンッ!」
「ぐぅッ!」
「あぁっ!」

 正俊の後方を駆けていた騎馬の数体が、短い嘶きのような叫びを上げながらどうと倒れ、その背に乗っていた兵が地面へ投げ出され、くぐもった苦鳴を上げる。
 だが、正俊は落馬した兵たちを一顧だにせず、ひたすら前だけを見据えて叫んだ。

「落馬した者は構うな! 今は、敵陣の中に入り込む事だけを考え、ひたすらに馬を駆けさせるのだ! 陣の内側に入り込んで乱戦に持ち込めば、鉄砲は役には立たぬ!」

 配下の兵たちにそう告げた正俊は、鞭代わりに手槍の穂で乗騎の尻を打つ。

「ヒ、ヒ――ンッ!」

 主から強かに尻を打たれた馬は、甲高い鳴き声を上げながら地面を蹴り、柵の前に掘られた浅い空堀を一気に跳び越した。

「どけぇい!」

 着地した勢いを殺さず一気に敵陣の内に侵入した正俊は、鋭い声を上げながら、行く手を遮る敵方の足軽を手槍で一突きする。
 そして、胸から血飛沫を上げて斃れる足軽の骸には目もくれず、敵兵の群れの中に馬ごと駆け入ると、六尺の手槍を軽々と振って敵を蹴散らした。
 彼の後に続いて空堀を越えてきた保科隊の武者たちも、敵陣に侵入はいるや三々五々に分かれ、斎藤軍のただ中へと勇敢に躍り込んでさんざんに暴れ回る。

「ぐああっ!」
「ぎゃあ!」
「むぐぅ……!」

 柵の内側のあちこちで、斎藤兵たちの悲鳴と断末魔が上がった。

「て、鉄砲足軽どもは下がれ! 槍隊は前へ出よ!」
「敵は小勢ぞ! 囲んで馬から引きずり降ろしてしまえ! 畏れる事は無い!」

 斎藤軍の組頭が、上ずった声で足軽たちを叱咤する……が、そう容易く言葉通りにははならない。
 何せ、今暴れ回っているのは、武田家の将の中でも『槍弾正』と称えられる保科弾正忠正俊に率いられ、数々の激戦を生き残ってきた百戦錬磨の猛者たちだ。
 斎藤軍も決して弱兵ではないものの、武田軍の中でも精鋭のひとつに数えられる保科隊を相手取るには些か力不足だといえた。

「……良し」

 大きく輪を描くように馬を駆けさせながら、手当たり次第に手槍を振るっていた手を一瞬休め、周囲で存分に戦う配下の姿を一瞥した正俊は満足げに頷き、彼らに向けて叫んだ。

「ここは任せた! その調子で敵兵を撹乱させ、残った諏訪衆が速やかに退却できるようにたすけつつ、この脱出路ばしょを保持しておけ! ――ワシは、敵陣の奥深くまで攻め込んで立ち往生しておるであろう小原丹後らのたわけどもを引きずり戻してくる!」
「はっ! お任せ下され!」

 自分の声に威勢よく応えた配下に大きく頷いた正俊は、最も自分の近くにいた数騎に共に来るよう目配せする。
 そして、いざ小原継忠の元に向かおうと、馬の腹を蹴りかけたが――、

「父上! 拙者もお供仕ります!」
「む――」

 唐突に背後からかけられた若々しい声を聞きつけると、振り返りながら大きくかぶりを振った。

「――千次郎! お前はならぬ!」
何故なにゆえにならぬので御座りますかっ?」

 正俊の制止に険しい声を上げたのは、彼の三男である保科千次郎正月まさあきである。
 つい先日元服したばかりで、まだ幼さが残る顔にありありと不満を浮かべている息子の顔を睨みつけながら、正俊は厳しい声で答えた。

「此度が初陣のお前には、荷が勝ちすぎる! だから、ここで諏訪衆の事を――」
「あまりそれがしの事を侮りなさいますな、父上!」

 正俊の言葉に、正月は怒気を露わにして言い返す。
 そして、打ちかかってきた敵兵の喉を突き抜きながら怒鳴った。

「初陣など関係ありませぬ! この保科千次郎正月、父上のお供も満足に務められぬような軟弱者に見えまするかッ?」
「まだ戦場いくさばの事を碌に知らん青二才の分際で、一丁前の口を叩くでないわッ!」

 生意気な事を言う正月を一喝した正俊だったが、その一方で彼の青い意気込みを好ましくも感じ、僅かに口元を綻ばせた。
 彼は、自分目がけて飛来してきた矢を手槍で叩き落とすと、馬首を返し、背中越しに息子へ告げる。

「……もしも遅れるような事があらば、ワシの息子といえどそのまま捨て置くからな! 分かったかッ!」
「……はっ! もちろん、それで構いませぬ!」

 正俊の言葉を聞いた正月は、パッと顔を輝かせて大きく頷いた。
 そんな息子の返事を聞いて、ニィっと口の端を上げた正俊は、傍らに控える武者たちが僅かに頷くのを確めて、小さく頷き返す。
 そして、敵兵の鮮血で濡れた長槍を高く掲げ上げ、付き従う正月たちに向けて大音声だいおんじょうで叫んだ。

「これより、敵陣に深入りした小原丹後たちの首根っこを捕まえて連れ戻しに行く! 千次郎に申した通り、遅れる者は誰であろうと置いていく――無論、それはワシ自身も例外ではない!」
「――っ!」

 決然とした正俊の言葉に、正月らは更に顔を引き締める。
 そんな彼らの気合を背中で感じながら、正俊は馬の横腹を思い切り蹴りつけた。

「では、参る! ――皆、死ぬでないぞ!」
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