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第一部四章 会戦

修羅と若武者

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 「が……がはあ……!」

 またひとりの足軽兵が、断ち割られた陣笠の隙間から鮮血を噴きながら、河原の砂利の上に斃れる。
 それを見た周りの兵達は、顔を青ざめさせてジリジリと後ずさり、包囲した円の径を少し広めた。

「くくく……これで、終わりか? 先程までの威勢はどうした? ……まだワシの首は繋がったままだぞ!」

 その円の中央で、血と泥にまみれた顔を歪めながら、びっしりと周囲を取り囲む武田兵達を嘲笑するのは、村上義清であった。
 だが、彼が纏う鎧は、あちこちが裂け、破れ、裁ち切られ、ドクドクと流れ続ける自身の鮮血で真っ赤に染め塗られている。
 と、

「……! ゴブッ! ガハ……ッ!」

 義清は突然口を押さえ、激しく噎せて咳き込んだ。手指の間から、どろりと粘つく赤黒い血が滴り落ちる。
 それを見た武田軍の組頭が、目を剥いて、手にした刀を義清に向けて伸ばし、上ずった声で叫ぶ。

「え――ええい! 彼奴あやつはもう死に体じゃ! 何を躊躇する? 大将首を取り、手柄とする絶好の好機ぞ! 者ども、掛かれぇい!」

 その声に触発されたかのように、数人の足軽と武士が、取り囲む輪から飛び出て、義清に向けて突っ込んでいく。

「ウオオオオオオオオオオオオッ!」

 己を奮い立たせるかのような雄叫びと共に、足軽が長槍を突き出した。

「――ぬんっ!」

 義清は、その長槍の穂先が自分の身体に突き刺さる直前に、素早く身を翻した。そして、伸び切った槍の柄を掴むと、思い切り引っ張る。

「ぬわっ……! ギャッ!」

 突き出した槍を引っ張られた為、つられて前方へと蹈鞴を踏んだ足軽が悲鳴を上げる。その胸板には、長槍を引っ張ると同時に繰り出された、義清の手槍が深々と突き刺さっていた。

「う、うおおおっ!」

 足軽を屠った際に生じた隙を逃すまいと、具足を纏った徒武者が三尺 (約90cm)の野太刀を振り上げて、義清に躍りかかった。
 徒武者は、義清の脳天目がけて、渾身の力を込めて野太刀を振り下ろす。遠心力を加えた斬撃で、義清を縦に斬り裂こうとしたのだ。

「……ッ!」

 それに対して、義清は先程刺し貫いた足軽の身体を己の方に引き寄せ、その死骸を抱きかかえて、その影に潜むように身を低くする。

 グシャッ――

 野太刀が頭蓋骨を砕き斬った鈍い音が、辺りに響いた。
 ――が、野太刀の刃がめり込んだのは、義清ではなく、数瞬前に彼が抱きかかえた足軽の頭だった。

「な――ッ?」

 その事に気が付いた武者は、慌てて野太刀を引き抜こうとするが、それよりも、足軽の死骸の後ろから繰り出された、義清の手槍の穂が彼の喉元を貫くの方が早かった。
 武者は、己の喉から噴き出す真っ赤な血飛沫ちしぶきに、信じられないとでも言いたげに目を丸くしながら、力無く崩れ落ちる。
 が、

「う――うおオオオッ!」

 別の武者が、腰の太刀を引き抜き、義清の手槍の柄を真ん中で断ち切る。

「! ちぃっ!」

 手槍を折られた義清は舌打ちをするや、即座に手槍の柄を投げ捨てると、腰に差した打刀の柄を握り、鯉口を切る。
 そして、素早く刀を抜き放つや、斬りかかってくる武者の斬撃を鍔元で受けた。
 鍔迫り合いで、一瞬、義清の動きが止まる。

「ああああああっ!」
「――! ぐぅっ!」

 ぶすりという嫌な音と共に、義清の顔が苦痛に歪んだ。鍔迫り合いで生じた隙をついた足軽の長槍が、彼の脇腹に突き立ったからだ。
 槍の穂先は、色糸おどしの鎧を貫き、彼の臓腑を傷つけた。
 さすがに堪らず、義清は片膝をつく。
 体勢を崩した義清あいてにとどめの一撃を見舞うべく、鍔迫り合いをしていた武者は、彼の刀を弾き上げると、義清を袈裟懸けに斬らんと、太刀を大きく振り上げた。
 振り上げられた白刃が太陽の光を反射して、ギラリと剣呑な光を放つ。

「――覚悟ッ!」
「舐めるなァッ!」

 義清は吼えると、脇腹に刺さった槍を強引に引き抜く。そして、猛然と地を蹴り、刀を振り上げた武者に飛びかかった。
 不意を衝かれた武者は、刀を振り上げた体勢のまま仰向けに倒れる。
 倒れた武者の上に馬乗りになった義清は、すかさず両脚で武者の腕を封じた。
 そして、激しく暴れる武者の顔面を左手で押さえると、素早く腰の脇差しを抜く。そして、陽の光を反射して煌めく白刃を彼の首筋に宛がうと、一気に横に引いた。
 武者の喉元から噴き出す血飛沫が、義清の顔と身体を真っ赤に染め上げる。
 首を掻き切られた武者は、湧き立つ泡や甲高い笛の音のような音を立てながら、手足を狂ったようにばたつかせていたが――やがて動かなくなった。
 そして、義清は、肩で息を吐きながら、ユラリと立ち上がる。
 ――全身を朱に染め上げたるその姿は、正に修羅の如く。
 武田兵は、その凄絶な姿に気を呑まれ、一言も発せずに、遠巻きに彼を凝視するだけであった。
 そんな不気味な静寂の中、義清は身体をふらつかせながら、脇差しを鞘に納め、落ちていた己の刀を拾い上げる。
 そして、再び周囲を見回し、臆病で脆弱な武田兵を嘲り嗤ってやろうと口を開こうとしたその時――、

「――村上左近衛少将義清殿とお見受けする」

 まだ若いながらもよく通る、凜とした声が彼に向かってかけられ、彼の言葉を遮った。

「……?」

 訝しげな表情で、彼は己の名を呼んだ男の姿を探す。と、声の主はすぐに見つかった。取り巻く敵兵の中から、豪奢な具足を纏ったひとりの男が、十文字槍を携え、こちらに向かってゆっくりと歩いてきたからだ。
 兜の下の、まだ少年の面影を残した顔は青白く、緊張で強張っている。が、その目は覇気に満ち、ギラギラとひかっていた。
 義清は、彼に向かって正対すると、刀の切っ先を相手に向け、静かに訊ねる。

「……貴殿は? ――名を伺おう」
「――拙者は」

 若武者もまた、手にした十文字槍を義清の胸に擬しながら、義清の誰何に答える。

「――拙者は、武田六郎次郎信豊。武田家が副将・武田左馬助信繁の嫡子にござる。――村上殿、貴殿との一騎討ちを所望いたし申す!」
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