上 下
45 / 114
CASE2 お客様とヤカラの境界線

CASE2-13 「何故、伯爵様がハルマイラへ?」

しおりを挟む
 マイスが白獅子城に着いてから一週間後。
 朝食の席に着いていたフリーヴォル伯爵に、執事が銀の盆に載せた一枚の封筒を差し出した。

「……セバスチャン、ボクは今食事中だよ。そういう無粋なものは、後で――」
「恐れ入りますが、ご主人様。火急の使いとの事でございまして……」

 不機嫌そうに眉を顰める伯爵を前に、恐縮しながらも、執事セバスチャンは盆を引っ込めない。

「……火急? 一体、誰から――?」

 訝しげに首を傾げながらも、盆の上から封筒を取り上げ、裏返して封蝋を一瞥する。

「――!」

 その瞬間、彼の表情が一変した。

「……お兄様? それって、どなたからの書状ですの……?」

 彼の表情の変化に目ざとく気付いたカミーヌが、ちぎりかけのパンを持ったまま、心配そうな顔で兄に問いかける。
 伯爵は、カミーヌの方に視線を向けて安心させるように優しく微笑むが、その笑みはどこか不自然に引き攣っている。

「――いや、大丈夫だよ、カミーヌ。ちょっとした事だ……。カミーヌ、マイハニー、食事中だが、少し失礼するよ」
「伯爵様、私なら構いませんわ。お急ぎでしたら、その場でお開け下さいな」

 マイスは、たおやかな笑みを浮かべる。そんな彼女の様子を横目で睨んで、カミーヌも大きく頷く。

「も、もちろん、私も構いません! お兄様、ご遠慮なさらず!」
「……そうかい。すまないね、ふたりとも。――では、この場で失礼するよ」

 伯爵は、そう言って微笑むと、執事から金のペーパーナイフを受け取り、手にした封筒の封を切っていく。
 折られた便箋を開き、目を走らせる伯爵。――と、その表情が曇った。

「やれやれ……これは参ったね……」
「お兄様、何が書いてあったんですの?」

 不安げな顔になるカミーヌに、伯爵は苦笑して首を横に振ってみせる。

「いやいや。それ程心配する事もないよ。――ただ、ちょっとこれから、ハルマイラまで行かなければならないようだね……」
「ハ――?」
「……ハルマイラへ……ですか?」

 伯爵の言葉に目を剥くカミーヌと、訝しげな表情を浮かべるマイス。

「何故、伯爵様がハルマイラへ?」
「……お恥ずかしい話なのだが……どうやら、に、とある近衛騎士の不行跡が見咎められてしまった様なのだよ。で、その方がボクに、『一言言いたいから来い』とお呼び出しがかかった訳さ。――ボクは、王国の近衛騎士達を束ねる立場にあるからね……」

 そう軽く言い放つ伯爵だったが、その表情には気鬱な影が見受けられた。
 その話を聞いたカミーヌは、憤懣を隠さず、強い口調で言う。

「な――何ですの、その話は? お兄様を誰だと思っておりますの? ガイリア王家に代々仕えた名家中の名家、フリーヴォル家の当主にして、近衛騎士団総団長ですわよ! そんなお兄様を軽々に呼びつけようだなんて……そんな無礼者は、一体何者なんですの?」
「国王陛下……ではありませんよね? 勅令ならば、そんな封書一葉ではなくて、正式な勅使がおいでになるはずですものね」
「ご明察だよ、マイハニー」

 マイスの推察に、ニコリと笑って頷く伯爵。彼は便箋を丁寧に畳み直しながら答えた。

「この手紙の送り主は――一言で言えば、王国軍のオブザーバー的な御方でね。現役の頃には王国騎士の中でも抜群の実力と人望を備え、周囲から次期総騎士団長になる事を嘱望されていたものの、要職に就く事を善しとせず、五十歳で引退なさった――栄誉と同じくらいに地位を求める騎士達の中では、かなり偏く……変わり者の御仁だよ」

 伯爵は一旦言葉を切ると、卓上のグラスを飲み干し、再び言葉を継ぐ。

「有り難い事に、引退後も王国や騎士団の事を気にかけていらっしゃってね。度々、お気づきになった事を率直に伝えて頂けるのだけれど……。あまりにもをぶつけてこられるので、こちらとしては、少々耳が痛いというか、辟易するというか……」

 そう言うと苦笑いを浮かべ、「まあ、悪い方ではないよ」と、言葉を締めた。
 カミーヌは、伯爵の話を聞いて不安そうな表情を浮かべる。ここまで鬱々して落ち込んだ様子の兄を見るのは、初めてだった。
 伯爵は、そんな彼女に拘泥する余裕も無いのか、そそくさとナプキンで口元を拭くと、椅子から立ち上がった。

「――では、大変申し訳無いのだが、ボクはここで失礼するよ。あ、マイハニーは引き続き、ゆるりと過ごすといい。カミーヌ、ボクが出掛けた後のマイハニーのお相手を頼むよ」
「は――はあっ? な、何故私が、この女狐の面倒を見ないといけないんですの?」

 伯爵の言葉に激しく反発するカミーヌ。伯爵は困った顔で、彼女を説得しようと口を開くが、

「――伯爵様、差し支えなければ、私もハルマイラまでお連れ頂けないでしょうか?」

 そう言って、マイスが手を挙げた。
 彼女の言葉に、伯爵は目を丸くし、カミーヌの目が吊り上がる。

「も、もちろん差し支えないよ! 寧ろ、願ってもない! マイハニーと一緒に馬車で二人旅出来るなんて――」
「そ、そんな事は赦されませんわ! ダイサリィ! 下民の分際で、お兄様の馬車に相乗りしようなんて、何て図々しい事を!」

 歓喜に弾む伯爵の声を遮ったカミーヌの金切り声が、広い部屋に響いた。
 マイスは、穏やかな微笑みを浮かべて、カミーヌの方に顔を向けた。

「ひ――!」

 振り返ったマイスの顔を見たカミーヌの喉から潰れた蛙の様な声が漏れる。
 彼女に向けられたマイスの表情は、とても穏やかな微笑だったが、その細められた深紫の瞳には、極北のブリザードをも凌駕しそうな冷たい光が宿っていた。
 気圧されて、椅子ごと後退あとずさるカミーヌにもう一度微笑みかけたマイスは、伯爵の方へと向き直った。

「……さすがに、一週間も店を空けてしまっておりますので、そろそろ戻りたいと思いまして……厚かましいお願いだとは重々承知の上で、お願い申し上げたいのですが……」
「あ、ああ! もちろん構わないよ! ……しかし、“アリエテルタの大戦槌”の修復の方は大丈夫なのかい?」

 満面に喜色を湛えながらも、ふと思い出したように問いかける伯爵。マイスはその問いに対して、大きく頷いて答えた。

「ええ、そちらはご心配なく。ハアトネスツに任せておけば、全く心配ありませんわ」
「おお、それなら安心だね! じゃあ、早く支度をして、昼前には出掛けよう! ボクたちのへ!」
「そ――そんな事はさせませぇんわ!」

 年甲斐もも無くはしゃぐ伯爵の狂喜乱舞に水を差したのは、カミーヌだった。
 彼女は、顔を引き攣らせながら、自分を指さして叫んだ。

「今回のハルマイラ行き……この私も同行させて頂きますわッ!」
「え――ッ?」

 思いもかけぬ妹の言葉に、伯爵は愕然とし、慌てて彼女を押し止めようと、口を開く。

「そ――それはダメだよ、カミーヌ! お前は、ボクが留守の間、この白獅子城を守っていてくれないと――」
「そんな事はどうでもいいです! 私は、お兄様の身が心配で――」
「あら、それは楽しそうですわ! 是非、一緒に参りましょう、カミーヌ様!」
「ま――マイハニーッ?」

 伯爵の言葉は、今度はマイスによって遮られた。彼女は、ゴキゲンな顔で、捲し立てる。

「カミーヌ様がご一緒して頂けるのならば、私も嬉しいですわ! 女同士でお話ししたい事もたくさんございますし! あ、そうそう。カミーヌ様は、オクトル焼きってご存知でいらっしゃいますか? ……あら、ご存知ない! じゃ、一緒に食べに行きましょう。美味しいんですよ~♪」

 そして、伯爵に向き直ると、上目遣いで、じっと顔を見つめる。

「……宜しいですよね? は・く・しゃ・く?」

 ――そう言って、マイスが片目を瞑ってみせた途端、伯爵の鼻の下がだらしなく伸びた。

「あ……ああ、もちろんだとも! キミが望むのなら、カミーヌの同行を許可しよう! 良かったな、カミーヌ!」
「……え、えと……ええ……まあ……?」

 有頂天にはしゃぐ伯爵と、狐につままれたような釈然としない表情のカミーヌを前に、

(……フッフッフッ、計算通り!)

 と、穏やかな微笑みを浮かべながら、心の中でガッツポーズを取るマイスであった。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

私はただ自由に空を飛びたいだけなのに!

hennmiasako
ファンタジー
異世界の田舎の孤児院でごく普通の平民の孤児の女の子として生きていたルリエラは、5歳のときに木から落ちて頭を打ち前世の記憶を見てしまった。 ルリエラの前世の彼女は日本人で、病弱でベッドから降りて自由に動き回る事すら出来ず、ただ窓の向こうの空ばかりの見ていた。そんな彼女の願いは「自由に空を飛びたい」だった。でも、魔法も超能力も無い世界ではそんな願いは叶わず、彼女は事故で転落死した。 魔法も超能力も無い世界だけど、それに似た「理術」という不思議な能力が存在する世界。専門知識が必要だけど、前世の彼女の記憶を使って、独学で「理術」を使い、空を自由に飛ぶ夢を叶えようと人知れず努力することにしたルリエラ。 ただの個人的な趣味として空を自由に飛びたいだけなのに、なぜかいろいろと問題が発生して、なかなか自由に空を飛べない主人公が空を自由に飛ぶためにいろいろがんばるお話です。

落第錬金術師の工房経営~とりあえず、邪魔するものは爆破します~

みなかみしょう
ファンタジー
錬金術師イルマは最上級の階級である特級錬金術師の試験に落第した。 それも、誰もが受かるはずの『属性判定の試験』に落ちるという形で。 失意の彼女は師匠からすすめられ、地方都市で工房経営をすることに。 目標としていた特級錬金術師への道を断たれ、失意のイルマ。 そんな彼女はふと気づく「もう開き直って好き放題しちゃっていいんじゃない?」 できることに制限があると言っても一級錬金術師の彼女はかなりの腕前。 悪くない生活ができるはず。 むしろ、肩身の狭い研究員生活よりいいかもしれない。 なにより、父も言っていた。 「筋肉と、健康と、錬金術があれば無敵だ」と。 志新たに、生活環境を整えるため、錬金術の仕事を始めるイルマ。 その最中で発覚する彼女の隠れた才能「全属性」。 希少な才能を有していたことを知り、俄然意気込んで仕事を始める。 採取に町からの依頼、魔獣退治。 そして出会う、魔法使いやちょっとアレな人々。 イルマは持ち前の錬金術と新たな力を組み合わせ、着実に評判と実力を高めていく。 これは、一人の少女が錬金術師として、居場所を見つけるまでの物語。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】帝国滅亡の『大災厄』、飼い始めました

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
 大陸を制覇し、全盛を極めたアティン帝国を一夜にして滅ぼした『大災厄』―――正体のわからぬ大災害の話は、御伽噺として世に広まっていた。  うっかり『大災厄』の正体を知った魔術師――ルリアージェ――は、大陸9つの国のうち、3つの国から追われることになる。逃亡生活の邪魔にしかならない絶世の美形を連れた彼女は、徐々に覇権争いに巻き込まれていく。  まさか『大災厄』を飼うことになるなんて―――。  真面目なようで、不真面目なファンタジーが今始まる! 【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう ※2022/05/13  第10回ネット小説大賞、一次選考通過 ※2019年春、エブリスタ長編ファンタジー特集に選ばれました(o´-ω-)o)ペコッ

3521回目の異世界転生 〜無双人生にも飽き飽きしてきたので目立たぬように生きていきます〜

I.G
ファンタジー
神様と名乗るおじいさんに転生させられること3521回。 レベル、ステータス、その他もろもろ 最強の力を身につけてきた服部隼人いう名の転生者がいた。 彼の役目は異世界の危機を救うこと。 異世界の危機を救っては、また別の異世界へと転生を繰り返す日々を送っていた。 彼はそんな人生で何よりも 人との別れの連続が辛かった。 だから彼は誰とも仲良くならないように、目立たない回復職で、ほそぼそと異世界を救おうと決意する。 しかし、彼は自分の強さを強すぎる が故に、隠しきることができない。 そしてまた、この異世界でも、 服部隼人の強さが人々にばれていく のだった。

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む

家具屋ふふみに
ファンタジー
 この世界には魔法が存在する。  そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。  その属性は主に6つ。  火・水・風・土・雷・そして……無。    クーリアは伯爵令嬢として生まれた。  貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。  そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。    無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。  その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。      だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。    そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。    これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。  そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。 設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m ※←このマークがある話は大体一人称。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈 
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

処理中です...