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第三章 メタルギニャ・ソリッド
第三十一話 作戦と役割
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――そんな会話をハジさんと交わしてから数日経った日曜日の夕方、
「……やるか」
「は……はい……!」
エアコンも無い蒸し暑い自分の部屋の中で、俺とハジさんは緊張の面持ちで頷き合った。
珍しくチョコンと両脚を揃えて座るハジさんが、その黄色い瞳を爛々と光らせながら、俺に尋ねかける。
「で……かなみの奴は、家に居るんじゃニャ?」
「は、はい……」
ハジさんの問いかけに、俺はおずおずと頷いた。
「昼間は出かけてたみたいだけど、さっき帰って来たみたいっす。その後、ドアを開けた音とかは聞こえてないんで、まだ202号室に居るかと……」
「ニャるほど……」
俺の答えを聞いたハジさんは、満足げに頷くと、すっくと立ち上がる。
「確かに、ワシの耳でもドアが開く音は聞こえニャかったから、おミャえさんの言う通りなんじゃろうニャ」
そう言いながら、頭の上の大きな三角耳をピクピクと動かしたハジさんは、くるりと踵を返し、部屋の奥へと歩を進めた。
そして、窓の前で立ち止まると、俺の方に振り返り、すまし顔で顎をしゃくってみせる。
「ニャら、始めるとするかニョ。開けてくれ」
「あっ、ハイ」
ハジさんの声に慌てて頷いた俺も立ち上がり、言われた通りに窓を開けた。
「どうぞ……」
「うミュ」
俺の声に鷹揚に頷きながら、ハジさんは悠然と歩を進め、土埃の溜まった狭いベランダへ出る。
そして、もう一度俺の方に振り返ると、念を押すように言った。
「じゃ……この前打ち合わせた手筈通りに、ニャ」
「了解っす」
“作戦参謀”であるハジさんの言葉に頷いた俺は、確認を兼ねて、この前打ち合わせした“作戦”の内容を復唱する。
「これから、ベランダ伝いに202号室の窓まで行ったハジさんが、お孫さんを呼んで中へ入れてもらって――」
「そっから三十分……いや、一時間くらい経ってから、おミャえさんが『ワシを迎えに来た』という体でかなみの部屋に入り込むんじゃ」
と、俺の言葉を引き継ぐように言ったハジさんが、俺の部屋の押し入れを指……肉球で指し示した。
「ほれ……202号室にも、こことおニャじ場所に押し入れが付いとるからニャ。ワシが、かなみの注意を逸らしてやっとるウチに、おミャえさんが押し入れの天井裏に隠しとるアレをゲットして……ミッションコンプリートにゃ。どうじゃ、カンタンじゃろ?」
「カンタン……っすかねぇ?」
ケロッとした顔で言い切るハジさんを前に、俺は訝しげに首を傾げる。
「いくら、ハジさんがお孫さんの注意を引き付けるって言っても、こんな六畳一間の狭い部屋の中で気付かれずに押し入れの中に入るのって無理くさくないっすか?」
「ええいっ! 何を今更怖気づいとるんじゃいッ?」
気弱になった俺に、ハジさんは怒りを露わにして、全身の毛を逆立たせた。
「良く言うじゃろうが! 『為せば成る 為さねば成らぬ 何事も』とな! 水戸黄門だか何だかが言った言葉じゃったか?」
「いや……多分違うような……?」
捲し立てたハジさんの言葉に、俺は曖昧にツッコミを入れた。『為せば成る』は、確か……上杉よう……よう……下の名前は忘れちゃったけど、上杉ナントカさんの名言だったはず……。
「え、ええいッ! そんニャ事はどうでもいいんじゃ!」
ハジさんは、誤魔化すように声を荒げ、てしてしと薄汚れたベランダの床を叩く。
「とにかくっ! 行動せねば、作戦は一歩も前に進まん! つべこべ言わずにやるニャ!」
そう言い捨てたハジさんは、俺の答えも聞かずにぴょんとジャンプし、ベランダの柵の上に着地し、首を巡らして俺の事を見ると、有無を言わさぬ口調で言った。
「分かったニャ? 一時間したら、かなみの部屋まで迎えに来るんじゃ! 良いなっ?」
「あ、はい……まあ、分かりました」
「……頼りない返事じゃのう」
俺の覇気の無い返事に不安げな表情を浮かべたハジさんだったが、くるりと前を向くと、細いベランダの柵の上を伝って202号室の方へと向かった。
足を滑らせたりしたらどうしよう……と心配する俺をよそに、ハジさんは尻尾で器用にバランスを取りながら、幅が十センチも無い細いベランダ柵の上を危なげない足取りでピョコピョコと歩いていく。
そして、203号室のベランダを無事に通過し、目的の202号室のベランダへ到達した。
「……」
ベランダ窓から半分だけ身を乗り出し、固唾を呑んで見守っている中、ハジさんは窓を前脚で叩き始めながら、
「ミャ~……ミャ~……」
と、何だか少し切ない響きの声で啼き始める。
それから数十秒後、カラカラ~という軽やかな音を立てながら、202号室のガラス窓が開くと同時に、
「わあ、ハジちゃん。遊びに来てくれたの?」
「ミャアァ~」
嬉しそうなかなみさんの声と、もっと嬉しそうなハジさんの鳴き声が俺の耳に届いた。
角度的に、俺の方からはその様子は見えないが、ふたりの愉しそうな様子が声からもありありと感じられる。
「え? 入るの? うん、いいよー! じゃあ、ちょっとだけお部屋で遊ぼ!」
「みゃあ~」
……どうやら、ハジさんは首尾よくかなみさんの部屋に入り込む事が出来たらしい。
再びカラカラという音が鳴ってベランダ窓が閉まる音を聞いた俺も、半分だけ出していた首を引っ込めた。
「……さて、と」
窓の鍵を閉めた俺は、そう呟いて息を吐く。
これから一時間くらいしたら、今度は俺の番だ。
帰ってこないハジさんを迎えに来たという体裁で、202号室を訪れ、そのまま上がり込むのが、俺に与えられた役割。
上がり込む……202号室に――かなみさんの部屋に――若い女性が一人で住んでいる部屋に……!
うぅ……そう考えたら、何だか急に緊張してきた……。
「……やるか」
「は……はい……!」
エアコンも無い蒸し暑い自分の部屋の中で、俺とハジさんは緊張の面持ちで頷き合った。
珍しくチョコンと両脚を揃えて座るハジさんが、その黄色い瞳を爛々と光らせながら、俺に尋ねかける。
「で……かなみの奴は、家に居るんじゃニャ?」
「は、はい……」
ハジさんの問いかけに、俺はおずおずと頷いた。
「昼間は出かけてたみたいだけど、さっき帰って来たみたいっす。その後、ドアを開けた音とかは聞こえてないんで、まだ202号室に居るかと……」
「ニャるほど……」
俺の答えを聞いたハジさんは、満足げに頷くと、すっくと立ち上がる。
「確かに、ワシの耳でもドアが開く音は聞こえニャかったから、おミャえさんの言う通りなんじゃろうニャ」
そう言いながら、頭の上の大きな三角耳をピクピクと動かしたハジさんは、くるりと踵を返し、部屋の奥へと歩を進めた。
そして、窓の前で立ち止まると、俺の方に振り返り、すまし顔で顎をしゃくってみせる。
「ニャら、始めるとするかニョ。開けてくれ」
「あっ、ハイ」
ハジさんの声に慌てて頷いた俺も立ち上がり、言われた通りに窓を開けた。
「どうぞ……」
「うミュ」
俺の声に鷹揚に頷きながら、ハジさんは悠然と歩を進め、土埃の溜まった狭いベランダへ出る。
そして、もう一度俺の方に振り返ると、念を押すように言った。
「じゃ……この前打ち合わせた手筈通りに、ニャ」
「了解っす」
“作戦参謀”であるハジさんの言葉に頷いた俺は、確認を兼ねて、この前打ち合わせした“作戦”の内容を復唱する。
「これから、ベランダ伝いに202号室の窓まで行ったハジさんが、お孫さんを呼んで中へ入れてもらって――」
「そっから三十分……いや、一時間くらい経ってから、おミャえさんが『ワシを迎えに来た』という体でかなみの部屋に入り込むんじゃ」
と、俺の言葉を引き継ぐように言ったハジさんが、俺の部屋の押し入れを指……肉球で指し示した。
「ほれ……202号室にも、こことおニャじ場所に押し入れが付いとるからニャ。ワシが、かなみの注意を逸らしてやっとるウチに、おミャえさんが押し入れの天井裏に隠しとるアレをゲットして……ミッションコンプリートにゃ。どうじゃ、カンタンじゃろ?」
「カンタン……っすかねぇ?」
ケロッとした顔で言い切るハジさんを前に、俺は訝しげに首を傾げる。
「いくら、ハジさんがお孫さんの注意を引き付けるって言っても、こんな六畳一間の狭い部屋の中で気付かれずに押し入れの中に入るのって無理くさくないっすか?」
「ええいっ! 何を今更怖気づいとるんじゃいッ?」
気弱になった俺に、ハジさんは怒りを露わにして、全身の毛を逆立たせた。
「良く言うじゃろうが! 『為せば成る 為さねば成らぬ 何事も』とな! 水戸黄門だか何だかが言った言葉じゃったか?」
「いや……多分違うような……?」
捲し立てたハジさんの言葉に、俺は曖昧にツッコミを入れた。『為せば成る』は、確か……上杉よう……よう……下の名前は忘れちゃったけど、上杉ナントカさんの名言だったはず……。
「え、ええいッ! そんニャ事はどうでもいいんじゃ!」
ハジさんは、誤魔化すように声を荒げ、てしてしと薄汚れたベランダの床を叩く。
「とにかくっ! 行動せねば、作戦は一歩も前に進まん! つべこべ言わずにやるニャ!」
そう言い捨てたハジさんは、俺の答えも聞かずにぴょんとジャンプし、ベランダの柵の上に着地し、首を巡らして俺の事を見ると、有無を言わさぬ口調で言った。
「分かったニャ? 一時間したら、かなみの部屋まで迎えに来るんじゃ! 良いなっ?」
「あ、はい……まあ、分かりました」
「……頼りない返事じゃのう」
俺の覇気の無い返事に不安げな表情を浮かべたハジさんだったが、くるりと前を向くと、細いベランダの柵の上を伝って202号室の方へと向かった。
足を滑らせたりしたらどうしよう……と心配する俺をよそに、ハジさんは尻尾で器用にバランスを取りながら、幅が十センチも無い細いベランダ柵の上を危なげない足取りでピョコピョコと歩いていく。
そして、203号室のベランダを無事に通過し、目的の202号室のベランダへ到達した。
「……」
ベランダ窓から半分だけ身を乗り出し、固唾を呑んで見守っている中、ハジさんは窓を前脚で叩き始めながら、
「ミャ~……ミャ~……」
と、何だか少し切ない響きの声で啼き始める。
それから数十秒後、カラカラ~という軽やかな音を立てながら、202号室のガラス窓が開くと同時に、
「わあ、ハジちゃん。遊びに来てくれたの?」
「ミャアァ~」
嬉しそうなかなみさんの声と、もっと嬉しそうなハジさんの鳴き声が俺の耳に届いた。
角度的に、俺の方からはその様子は見えないが、ふたりの愉しそうな様子が声からもありありと感じられる。
「え? 入るの? うん、いいよー! じゃあ、ちょっとだけお部屋で遊ぼ!」
「みゃあ~」
……どうやら、ハジさんは首尾よくかなみさんの部屋に入り込む事が出来たらしい。
再びカラカラという音が鳴ってベランダ窓が閉まる音を聞いた俺も、半分だけ出していた首を引っ込めた。
「……さて、と」
窓の鍵を閉めた俺は、そう呟いて息を吐く。
これから一時間くらいしたら、今度は俺の番だ。
帰ってこないハジさんを迎えに来たという体裁で、202号室を訪れ、そのまま上がり込むのが、俺に与えられた役割。
上がり込む……202号室に――かなみさんの部屋に――若い女性が一人で住んでいる部屋に……!
うぅ……そう考えたら、何だか急に緊張してきた……。
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