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第一章 おくりねこ
第十七話 お別れと連絡先
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……と、その時、どこからかリズミカルな音が聞こえてきた。
「……あっ」
その音を耳にしたかなみさんが、ハッとした顔をして、手に持っていたハンドバッグからスマホを取り出す。どうやら、今の電子音は、かなみさんのスマホの着信音だったらしい。
「あの、すみません。ちょっと着信が……」
「あ、大丈夫っす。出て下さい」
少し困った顔をしておずおずと切り出したかなみさんに、俺は大きく頷いた。
それを受けて、かなみさんはぺこりと頭を下げると、スマホの液晶画面に表示された緑の通話ボタンをタッチし、そのまま耳に当てる。
「もしもし? ……うん、うん……あ、もうそんな時間? あ、うん、分かった。これから戻るよ……うん、じゃあね」
そんな短いやり取りの後で通話を切ったかなみさんは、申し訳ないという顔をして、俺に向かって頭を下げた。
「あの……三枝さん、すみません。もう、おじいちゃんの火葬が終わったみたいで、お父さんから『戻ってこい』って連絡が……」
「あ、そうだったんすね」
「それで……バス停までお見送りしようと思ってたんですけど、ちょっと時間が無くなっちゃって……申し訳ないんですけど、ここまでで……」
「あ! もちろん、ここまでで全然大丈夫っす!」
かなみさんの言葉に、俺は慌てて頭を上下に振る。
「いや、むしろ、ここまで見送って頂いて、ありがとうございました! ここからは、全然ひとりで行けるので、初鹿野さんは遠慮なく戻っちゃって下さい!」
そう早口で言いながら、俺はかなみさんに向けて何度も頭を下げた。その煽りを受けて大きく揺れるキャリーバッグの中から、怒声と悲鳴が混じった猫の鳴き声が聞こえたが、とりあえず聞こえなかった事にする。
俺の返事を聞いたかなみさんは、その綺麗な顔に柔らかな笑みを浮かべると、両手を前に組んで、深々と頭を下げた。
「……今日は、おじいちゃんのお葬式の為に、遠いところからわざわざお越し頂きまして、本当にありがとうございました」
「あ……いえ、とんでもないっす。こちらこそ……色々と気を遣ってもらっちゃって、ありがとうございました」
かなみさんの感謝の言葉を受けて、俺は慌てて、彼女に負けないくらい深く頭を下げる。
――と、かなみさんはおもむろにしゃがみ込み、俺が手に提げていたキャリーバッグに向かって微笑みかけた。
「……ハジちゃんも、来てくれてありがとね。良い子にしてて偉かったね」
「にゃあん!」
かなみさんの言葉に、キャリーバッグの中から嬉しそうな声で答えるハジさん。
一方の俺は、今日のハジさんの数々の所業を思い返し、(良い子……だったかぁ?)と首を捻る。
そんな俺の内心など知らぬかなみさんは、キャリーバッグの中に向かって軽く手を振ると、膝を伸ばして立ち上がった。
「……じゃあ、そろそろ失礼します。お気をつけて帰って下さいね」
「あ……は、はい」
かなみさんが浮かべた、まるで春の穏やかな陽射しのような温かな笑顔を目の当たりにして胸が高鳴るのを感じながら、俺はぎこちなく頷く。
そして、無意識に口が動いた。
「あ、あの……初鹿野さん……! も、もしよろしかったら――」
『連絡先を教えて頂けませんか?』と続けて言いかけた俺だったが、すんでのところでブレーキがかかり、慌てて手で口を覆う。
そんな俺の様子を見たかなみさんが、訝しげに首を傾げた。
「? 何でしょうか?」
「あ……い、いや……その……」
訊き返された俺は、返答に詰まって、グルグルと目線を中空に巡らせる。
そして、
「あ、あの……お、お元気で……って」
という、至極無難でヘタレな答えをチョイスした。
かなみさんは、一瞬キョトンとした表情を浮かべてから、ニコリと笑って頷き返してくれた。
「はい! 三枝さんもお元気で!」
「あ、ハイ……ドモ」
彼女の満面の笑みに再びドキリとしつつ、モヤモヤするものを感じながら、俺はぎこちなく頭を下げる。
そして、後ろに束ねた髪を揺らしながら小走りで斎場に戻っていくかなみさんの後姿を、しばらくの間、ぼんやりと見送っていた。
「……おい。いつみゃでボーっと突っ立っとるニャ。さっさと帰らんかい」
「あ、うん」
苛立ち混じに急かすハジさんの声に、ようやく我に返った俺は、慌てて踵を返して、バス停に向かって歩き始める。
そんな俺に、ハジさんがキャリーバッグの中から話しかけてきた。
「どうじゃ? 良い娘じゃろ、ワシの孫は?」
「……うん」
自慢げなハジさんの声に、俺は素直に頷く。
その返事を聞いたハジさんは、ますます嬉しそうに言葉を継いだ。
「じゃろ~? 赤ん坊の頃から素直で、本当に可愛い子じゃったんニャ。あの信一郎のアホの血を引いているとは思えんくらいじゃわい」
「そうだな……アンタの血を引いてるなんて、とても信じられないよ」
「おいコラ」
俺の切り返しに、憮然とした声が上がる。
……と、少しして、ややトーンを落とした声が続いた。
「あぁ……一応言っとくがにゃ」
「……なに?」
「――あの娘には、手を出すニャよ?」
「ぶふぅっ?」
ハジさんの言葉に、俺は思わず噎せる。
「て……手を出すなって……ひょ、ひょっとして、かなみさんの事か?」
「他に誰が居るニャ。つか、何シレっとワシの孫を名前で呼んでるんニャ、このムッツリ!」
「だ、誰がムッツリだ、この因業爺ィ!」
非難めいたハジさんの言葉に、ムキになって言い返す俺。
……と、
「ママ―、あのおにいちゃん、カバンさんとおはなししてるよ~?」
「シッ! 見ちゃいけません!」
という、道ですれ違った親子連れの会話が耳に入り、慌てて口を噤み、素知らぬ顔で歩くスピードを速めた。
そして、早歩きしながら、ぼそりと独り言ちる。
「……『手を出すな』って言われなくても、もう出せないよ。だって……もう、あの娘と会う機会なんて、二度と無いだろうし……さ」
俺は、あの時彼女から連絡先を訊く勇気が無かった事を深く悔やみながら、深い深い溜息を吐くのだった……。
「……あっ」
その音を耳にしたかなみさんが、ハッとした顔をして、手に持っていたハンドバッグからスマホを取り出す。どうやら、今の電子音は、かなみさんのスマホの着信音だったらしい。
「あの、すみません。ちょっと着信が……」
「あ、大丈夫っす。出て下さい」
少し困った顔をしておずおずと切り出したかなみさんに、俺は大きく頷いた。
それを受けて、かなみさんはぺこりと頭を下げると、スマホの液晶画面に表示された緑の通話ボタンをタッチし、そのまま耳に当てる。
「もしもし? ……うん、うん……あ、もうそんな時間? あ、うん、分かった。これから戻るよ……うん、じゃあね」
そんな短いやり取りの後で通話を切ったかなみさんは、申し訳ないという顔をして、俺に向かって頭を下げた。
「あの……三枝さん、すみません。もう、おじいちゃんの火葬が終わったみたいで、お父さんから『戻ってこい』って連絡が……」
「あ、そうだったんすね」
「それで……バス停までお見送りしようと思ってたんですけど、ちょっと時間が無くなっちゃって……申し訳ないんですけど、ここまでで……」
「あ! もちろん、ここまでで全然大丈夫っす!」
かなみさんの言葉に、俺は慌てて頭を上下に振る。
「いや、むしろ、ここまで見送って頂いて、ありがとうございました! ここからは、全然ひとりで行けるので、初鹿野さんは遠慮なく戻っちゃって下さい!」
そう早口で言いながら、俺はかなみさんに向けて何度も頭を下げた。その煽りを受けて大きく揺れるキャリーバッグの中から、怒声と悲鳴が混じった猫の鳴き声が聞こえたが、とりあえず聞こえなかった事にする。
俺の返事を聞いたかなみさんは、その綺麗な顔に柔らかな笑みを浮かべると、両手を前に組んで、深々と頭を下げた。
「……今日は、おじいちゃんのお葬式の為に、遠いところからわざわざお越し頂きまして、本当にありがとうございました」
「あ……いえ、とんでもないっす。こちらこそ……色々と気を遣ってもらっちゃって、ありがとうございました」
かなみさんの感謝の言葉を受けて、俺は慌てて、彼女に負けないくらい深く頭を下げる。
――と、かなみさんはおもむろにしゃがみ込み、俺が手に提げていたキャリーバッグに向かって微笑みかけた。
「……ハジちゃんも、来てくれてありがとね。良い子にしてて偉かったね」
「にゃあん!」
かなみさんの言葉に、キャリーバッグの中から嬉しそうな声で答えるハジさん。
一方の俺は、今日のハジさんの数々の所業を思い返し、(良い子……だったかぁ?)と首を捻る。
そんな俺の内心など知らぬかなみさんは、キャリーバッグの中に向かって軽く手を振ると、膝を伸ばして立ち上がった。
「……じゃあ、そろそろ失礼します。お気をつけて帰って下さいね」
「あ……は、はい」
かなみさんが浮かべた、まるで春の穏やかな陽射しのような温かな笑顔を目の当たりにして胸が高鳴るのを感じながら、俺はぎこちなく頷く。
そして、無意識に口が動いた。
「あ、あの……初鹿野さん……! も、もしよろしかったら――」
『連絡先を教えて頂けませんか?』と続けて言いかけた俺だったが、すんでのところでブレーキがかかり、慌てて手で口を覆う。
そんな俺の様子を見たかなみさんが、訝しげに首を傾げた。
「? 何でしょうか?」
「あ……い、いや……その……」
訊き返された俺は、返答に詰まって、グルグルと目線を中空に巡らせる。
そして、
「あ、あの……お、お元気で……って」
という、至極無難でヘタレな答えをチョイスした。
かなみさんは、一瞬キョトンとした表情を浮かべてから、ニコリと笑って頷き返してくれた。
「はい! 三枝さんもお元気で!」
「あ、ハイ……ドモ」
彼女の満面の笑みに再びドキリとしつつ、モヤモヤするものを感じながら、俺はぎこちなく頭を下げる。
そして、後ろに束ねた髪を揺らしながら小走りで斎場に戻っていくかなみさんの後姿を、しばらくの間、ぼんやりと見送っていた。
「……おい。いつみゃでボーっと突っ立っとるニャ。さっさと帰らんかい」
「あ、うん」
苛立ち混じに急かすハジさんの声に、ようやく我に返った俺は、慌てて踵を返して、バス停に向かって歩き始める。
そんな俺に、ハジさんがキャリーバッグの中から話しかけてきた。
「どうじゃ? 良い娘じゃろ、ワシの孫は?」
「……うん」
自慢げなハジさんの声に、俺は素直に頷く。
その返事を聞いたハジさんは、ますます嬉しそうに言葉を継いだ。
「じゃろ~? 赤ん坊の頃から素直で、本当に可愛い子じゃったんニャ。あの信一郎のアホの血を引いているとは思えんくらいじゃわい」
「そうだな……アンタの血を引いてるなんて、とても信じられないよ」
「おいコラ」
俺の切り返しに、憮然とした声が上がる。
……と、少しして、ややトーンを落とした声が続いた。
「あぁ……一応言っとくがにゃ」
「……なに?」
「――あの娘には、手を出すニャよ?」
「ぶふぅっ?」
ハジさんの言葉に、俺は思わず噎せる。
「て……手を出すなって……ひょ、ひょっとして、かなみさんの事か?」
「他に誰が居るニャ。つか、何シレっとワシの孫を名前で呼んでるんニャ、このムッツリ!」
「だ、誰がムッツリだ、この因業爺ィ!」
非難めいたハジさんの言葉に、ムキになって言い返す俺。
……と、
「ママ―、あのおにいちゃん、カバンさんとおはなししてるよ~?」
「シッ! 見ちゃいけません!」
という、道ですれ違った親子連れの会話が耳に入り、慌てて口を噤み、素知らぬ顔で歩くスピードを速めた。
そして、早歩きしながら、ぼそりと独り言ちる。
「……『手を出すな』って言われなくても、もう出せないよ。だって……もう、あの娘と会う機会なんて、二度と無いだろうし……さ」
俺は、あの時彼女から連絡先を訊く勇気が無かった事を深く悔やみながら、深い深い溜息を吐くのだった……。
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