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第一章 おくりねこ

第十五話 費用と折半

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 「ところで、話は変わるけどさ――」

 という信一郎さんの一言で、それまで和気藹々としていた座敷の間の空気がガラリと変わった。
 まるでマンガで良くある表現の様に、『シィィ……ン』という擬音が、座敷の間の中空に浮かび上がるのがアリアリと見えるようだった。
 
「「「「……」」」」

 公三郎さんも司乃さんも、その他の座敷に居合わせた親戚一同もピタリと口と手を止め、固唾を呑んだ様子で信一郎さんに注目する。
 俺も、全く事情が解らないながらも、緊迫した空気を敏感に感じ取り、みんなと同じように信一郎さんの顔を見上げた。
 俺の隣に座ったかなみさんの顔は見えなかったが、多分俺と同じような表情を浮かべているのだろう。
 ……唯一の例外は、みんなの注意が逸れた事で、これ幸いとばかりにテーブルの上に前脚を乗せ、首を伸ばして皿の上に残っていたマグロの切り身を一心不乱にがっついているハジさんだった。
 だが、そんな意地汚いネコの所業にも誰ひとりとして気付く様子は無く、ただただ緊張した面持ちで、信一郎さんの次の言葉を聞き逃すまいと神経を集中させているようだ。
 ……と、

「な……何だよ兄貴。急に改まってよ……」

 痺れを切らした様子で口を開いたのは、公三郎さんだった。
 そんな公三郎さんの声に頷き、手に持っていたグラスを呷って、中のビールを一気に飲み干した信一郎さんは、ゲップともため息ともつかない息を吐いてから、ようやく口を開く。

「実はな……今日の、今回の葬式でかかった費用の事なんだけどな」
「「……!」」

 信一郎さんの言葉を聞いた瞬間、座敷の空気が更に鋭く……まるで、真冬の冷気を帯びたように冷たくなった。
 そんな冷たい雰囲気の中で、信一郎さんが言いづらそうに言葉を継ぐ。

「その……お前たちの家にも、少し持ってもらいたくって……」
「はぁっ?」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 信一郎さんの言葉を聞いた瞬間、公三郎さんと司乃さんが血相を変えて素っ頓狂な声を上げた。
 こめかみに青筋を浮かべた公三郎さんは、目を飛び出さんばかりに剥きながら怒鳴る。

「何でだよ! ふ、普通、そういうカネは、喪主の兄貴が出すもんじゃねえのかよっ?」
「そ、そうよ! アタシたち、お香典だって渡したじゃない? なのに、どうしてお葬式代まで出さなきゃいけないのッ?」
「そうだそうだ! なにも、全額兄貴の自腹って訳でも無えだろ? 普通は香典とか本人の遺産とかで賄うモンじゃねえのかよ?」
「……んだよ」

 公三郎さんと司乃さんの、激しい炎のような抗議に僅かに俯いた信一郎さんは、ふぅと大きく息を吐いて、ぼそりと答えた。

「――足りないんだよ。……というか、ほぼ無い」
「「は――?」」

 信一郎さんの暗い声に、公三郎さんと司乃さんは愕然とする。

「た、足りないって……金が?」
「……ああ」
「い、いや、そんな事ぁ無えだろ? さすがに生命保険とか――」
「……、自分が死んだ後に入る金なんかの為に、毎月マジメに保険金を払うと思うか?」
「う……」

 公三郎さんは、信一郎さんの答えに絶句する。
 と、次は司乃さんが口を開いた。

「で、でも! だったら、貯金とか……」
「この前、親父が死んだアパートに行って、通帳とか探して確認したけど……ほとんど空だったよ、口座……」
「だ、だったら、お父さんの住んでた家に残った家財道具とかを売り払って――」
「……あの家の中の家財道具を全部売っても、二束三文にしかならないさ。……むしろ、逆に処分代を取られる方だと思う……」

 と、司乃さんの問いに虚ろな笑いを浮かべながら答えた信一郎さんは、その場にどっかと腰を下ろし、手酌でコップに注いだビールを一気に呷ると、再び大きな溜息を吐く。

「まあ……薄々そうじゃないかとは思ってたけどな。そんな貯えがあるなら、あんな朽ちかけたボロアパートなんかに住んでないだろうし」

 ……おい、その朽ちかけたボロアパートに現在進行形で住んでいる人がここに居るんですけど。
 俺は、信一郎さんの発言に思わずムッとするが、その不満を口にする事は我慢した。下手に口出しして、この雰囲気最悪の兄弟会議に巻き込まれたくは無いし……。

「……」

 ふと周囲を見回すと、三兄弟以外の親戚さんたちも、俺と同じ心境だったらしい。
 信一郎さんの話が、自分には直接降りかからない内容だと判断した様子で、心なしかホッとした顔をして、談笑に戻っていた……下手に目立って火の粉が飛んでこないよう、コソコソと声を潜めながらだが。
 そんな現金な親戚さんたちの態度を見て、思わず失笑を漏らしかけた俺だったが、

(……あっ!)

 信一郎さんたちが交わす話が他人事ではない――むしろ、限りなく当事者に近い人……もとい、の存在を思い出し、慌ててテーブルの上に視線を向けた。

「……」

 ……マグロの切り身を存分に堪能した様子のハジさんは、大きな耳をピンと立てて、じっと三人の会話に聞き耳を立てている様子だった。
 幸い、まだ堪忍袋の緒は切れていないようだったが、ゆっくりと左右に揺らしている尻尾が、いつもの二倍くらい膨らんでるところを見ると、怒りが閾値いきちを超えるのはもうすぐっぽい……。

「じゃ、じゃあ! 今回集まった香典で賄えばいいじゃねえかよ! つか、そもそもは、その為の香典だろ?」
「だから、それでも足りないんだっつーの!」

 ハラハラする俺をよそに、三兄弟の会議は、だんだんと“口喧嘩”へと変わっていく。

「そりゃ、もっとたくさんの参列者が来たんならアテにも出来るけどさぁ。これっぽっちじゃ、坊さんのお布施代にも足りないんだよ。……その上、実の息子のクセして、たった一万円しか包んでこない親不孝者もいるしなぁ!」
「わ、悪いかよ! あのクソ親父に払う香典なんて、そんなもんで十分だろうが! ……つか、四ケタじゃないだけありがたいと思ってほしいんもんだぜ、まったくよぉ」
「……まあ、公三郎の言う事も、少しは分かるわよねぇ」

 と、苦笑を浮かべた司乃さんが、興奮して捲し立てる公三郎さんの肩を持つ。

「正直、実の娘じゃなかったら、アタシも来たくなかったもん。……いっそ、お葬式なんて最初からしなかった方が良かったんじゃないの? 正直言って、しがらみ無しでお父さんのお葬式に出たいなんていう人、いないでしょう」
「そういう訳にいかんだろうが……」

 司乃さんの言葉に、渋い顔でかぶりを振る信一郎さん。

「これでも、なるべく安く済ませようとはしたんだぞ。ネットで最安の斎場を調べたり、その中でも一番割安だった平日コースの今日を選んだり……」
「……ニャにぃ?」
「……!」

 信一郎さんの言葉に応じるように上がった低い声を耳にした俺は、ギョッとしてテーブルの上に目を移した。
 悪い予感の通り、ハジさんは全身の毛を逆立て、今にも三人に飛び掛からんばかりの前傾体勢を取っていた。

(ヤバい……!)

 一刻も早くハジさんをこの場から離さないと、怒りで何を仕出かすか分からない……そう直感した俺は、慌てて彼の身体に向けて手を伸ばす。
 ――と、そんな俺の耳に、信一郎さんが継いだ言葉が飛び込んできた。

「なあ……お前ら、頼むよ。ちょっとは助けてくれ。ウチは色々と物入りなんだよ。娘のかなみが大学に行く為の学費とかもあるしさ――」
「信一郎ぉぉぉっ! キサミャあああああ――!」
「は、ハジさんッ! ダメ――!」

 信一郎の言葉と、遂に心のダムが決壊したハジさんの絶叫と、彼が暴れ出すのを阻止しようとする俺の懇願の叫び――

 バアアアアアアアアンッ!

 ……それは、唐突に上がった凄まじい衝撃音によって遮られた。

「「「「「――ッ!」」」」」

 けたたましい音に、思わず体を硬直させ、息を呑む俺たち。
 皆を一瞬で黙らせた衝撃音の主は――かなみさんだった。
 彼女は、思いっ切りテーブルに打ちつけた手のひらをゆっくりと上げながら、信一郎さんたちの顔をじろりと睨みつけると、

「……あの」

 と、感情を押し殺した低い声で静かに言う。

「もう、三枝さんがお帰りになる時間みたいなんで、私、バス停まで送っていきますね」
「へ? お、俺……?」

 不意に自分の名が出てきた事に驚く俺。
 すると、かなみさんは俺の方に顔を向け、軽く片目を瞑ってみせた。……どうやら、『話を合わせて下さい』というアイコンタクトらしい。

「じゃ、行きましょ、三枝さん」
「あ……え、えと……」
「行・き・ま・しょ?」
「「……ッ!」」

 ニッコリと微笑みながら、有無を言わさぬとばかりに一音区切りで紡がれたかなみさんの言葉に、俺とハジさんは思わず息を呑み――、

「アッ、ハイ……!」
「にゃ、ニャアイ……!」

 まるでロックバンドのヘッドバンキングのように、激しく首を縦に振ったのだった……。
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