上 下
175 / 206
第十三章 無数の糸は、如何にして絡まり合うのか

第十三章其の壱拾陸 密約

しおりを挟む
 真夜中のキヤフェ王城主殿――。
 寝間着姿のミアン王国国王イドゥン一世は、贅の限りを尽くした内装があしらわれた自身の居室で、豪奢な長椅子に寝転がって、マタタビ酒を呷っていた。
 彼の前に置かれたローテーブルの上には、空になったマタタビ酒の壺がゴロゴロと転がり、酒の肴である干し魚の残骸が載った皿が重ねて積み上がっている。

「――げっぷぅ……」

 イドゥンは、空になったゴブレットを乱暴にローテーブルの上に置くと、その横にある酒壺を持ち上げる。
 が、既に酒壺が空になってしまっている事に気が付くと、顔を歪めて舌打ちする。
 そして、忌々しげに呼び鈴のノブを掴み、乱暴に振ろうとした瞬間――、

「――あまり深酒はしない方が宜しいのではなくって? 陛下……」
「――ッ!」

 不意にかけられた艶めかしい女の声に顔を強張らせたイドゥンは、慌てて身を起こして背後を振り返る。
 そして、開け放たれた窓の前で、月の光を背後に浴びて立っている黒い影に気が付くと、酒灼けした声を僅かに震わせた。

「い、いつからそこに居た? インセト……!」
「インセトですわ、陛下」

 イドゥンの言葉をからかうような口調で訂正しながら、まるで毒蜘蛛ギュヂを思わせる禍々しい意匠の漆黒の装甲を纏ったひとりの人影が、ヒールの靴音を高らかに響かせながら無遠慮に室内へと侵入する。
 そして、強張った身体をソファの背もたれに押し付けているイドゥンの事を立ったまま見下ろしながら、その人影は言葉を継いだ。

「――アームドファイターインセクト・ブラックウィドウ黒後家蜘蛛です。いい加減、覚えて頂けると嬉しいですわ」
「わ……分かった……すまぬ」

 黒い影――アームドファイターインセクトの言葉に、イドゥンはぎこちなく頭を下げる。
 すっかり怯えた様子のイドゥンの姿に「フン……」と鼻を鳴らしたインセクトは、更にツカツカと足音を立てて部屋を横切ると、天蓋の付いた大きなベッドの縁に腰を下ろした。
 そんな彼女に向け、すっかり酔いが醒めた様子のイドゥンがおずおずと口を開く。

「……す、すべて、貴様の指示通りにしたぞ」
「……」
「ドリューシュに兵を任せ、オシス砦のホムラハヤテと共に、お前の仲間森の悪魔を討ち滅ぼすよう命じた。と、討伐隊は、数日中にはキヤフェここを発つだろう」
「――そうですか」

 イドゥンの言葉に対し、インセクトは無感動な声で応えた。
 素っ気ない反応に怪訝な表情を浮かべたイドゥンが、おずおずと彼女に問いかける。

「……本当に良かったのか?」
「何がですか?」
「い、いや……」

 問いに問いで返されたイドゥンは、しどろもどろになりつつ、言葉を舌に乗せる。

「お、お前も、森の悪魔のひとりなのだろう? な……なのになぜ、自分の仲間を害そうとする我らに味方しようとするのだ?」
「ふふ……」

 イドゥンの問いかけに、インセクトは微かな笑い声を上げながら、艶めかしい素振りで足を組み替えた。
 そして、微かに首を傾げながら答える。

「それは――邪魔だからですわ。森に居る“オチビト”達が……」
「じゃ……邪魔?」

 唖然とした表情を浮かべて訊き返すイドゥンに向けて、インセクトは大きく頷いてみせる。

「そう、邪魔なのです。あのように、矮小な能力しか持ち合わせていない未熟者たちなど」

 そう言うと、彼女はそのマスクに付いた八つのアイユニットを光らせた。

「この異世界に存在していていいは、あの方……そして、この私だけ。他の、未だ“石棺の破壊”などという下らぬ妄執に囚われたままの有象無象どもに、存在価値など無いのですよ」
「……」

 すっかり自分の吐く言葉に陶酔した様子のインセクトを、イドゥンはまるで薄気味の悪いものを見ているような目を向ける。
 そして、恐る恐るといった様子で、彼女に声をかけた。

「で……ここまでお前たちに協力したのだ。私からの頼みは、聞き届けてもらえるのだろうな?」
「頼み? ……あぁ」

 イドゥンの問いかけに、一瞬首を傾げかけたインセクトだったが、すぐに思い出した様子で頷くと、乾いた嘲笑わらい声を上げる。

「ふふ……もちろん、分かっておりますわ。我々は、決して石棺には手を出しません」
「い……いや……もうひとつの……」
「あぁ……気になるのは、そっちの方ですか……」

 躊躇いがちに紡がれるイドゥンの言葉の先を察したインセクトは、呆れたと言わんばかりに肩を大げさに竦めた。

「まったく……さても御立派な王様ですわね。この世界の存亡に関わるという石棺の事よりも、ご自身の保身の方が大切ですか……」
「う……うるさい!」

 嘲笑交じりのインセクトの言葉に苛立ちながら、イドゥンは声を荒げる。

「ど……どうなのだ! も、もし、あの頼みを聞けぬというのであれば、私と貴様たちの密約は白紙だ! ただちに、我が軍の総力を以て、貴様とあの男を――!」
「“殺す”……ですか?」
「――ッ!」
「――やってごらんなさいな。
「う……ッ!」

 インセクトの漆黒の身体から、やにわにどす黒い殺気が放たれた。
 その凄まじい威に当てられたイドゥンは、夥しい恐怖に囚われ、その身をブルブルと震わせる。
 ――と、
 インセクトは口元に手の甲を当て、肩を震わせながら笑い始めた。

「……ふふ、冗談ですよ、陛下。そんなに怯えないで宜しくてよ」
「お……怯えて……など……」
「ご安心を。もちろん、約束は守りますわ。我々は、に関して、決して口外いたしません」
「……っ」

 インセクトの言葉を聞いたイドゥンは、緊張が一気に解けた様子で、力無く長椅子に身を埋める。
 そんなイドゥンを、八つの眼で見下しながら、彼女は冷ややかに言葉を継いだ。

「――前王を弑し奉ったのが、装甲戦士アームド・ファイタージュエル、他ならぬ彼の息子――王太子イドゥンあなたであった事は……ね」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

【R18】異世界なら彼女の母親とラブラブでもいいよね!

SoftCareer
ファンタジー
幼なじみの彼女の母親と二人っきりで、期せずして異世界に飛ばされてしまった主人公が、 帰還の方法を模索しながら、その母親や異世界の人達との絆を深めていくというストーリーです。 性的描写のガイドラインに抵触してカクヨムから、R-18のミッドナイトノベルズに引っ越して、 お陰様で好評をいただきましたので、こちらにもお世話になれればとやって参りました。 (こちらとミッドナイトノベルズでの同時掲載です)

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

練習船で異世界に来ちゃったんだが?! ~異世界海洋探訪記~

さみぃぐらぁど
ファンタジー
航海訓練所の練習船「海鵜丸」はハワイへ向けた長期練習航海中、突然嵐に巻き込まれ、落雷を受ける。 衝撃に気を失った主人公たち当直実習生。彼らが目を覚まして目撃したものは、自分たち以外教官も実習生も居ない船、無線も電子海図も繋がらない海、そして大洋を往く見たこともない戦列艦の艦隊だった。 そして実習生たちは、自分たちがどこか地球とは違う星_異世界とでも呼ぶべき空間にやって来たことを悟る。 燃料も食料も補給の目途が立たない異世界。 果たして彼らは、自分たちの力で、船とともに現代日本の海へ帰れるのか⁈ ※この作品は「カクヨム」においても投稿しています。https://kakuyomu.jp/works/16818023213965695770

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...