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第十三章 無数の糸は、如何にして絡まり合うのか
第十三章其の壱拾陸 密約
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真夜中のキヤフェ王城主殿――。
寝間着姿のミアン王国国王イドゥン一世は、贅の限りを尽くした内装があしらわれた自身の居室で、豪奢な長椅子に寝転がって、マタタビ酒を呷っていた。
彼の前に置かれたローテーブルの上には、空になったマタタビ酒の壺がゴロゴロと転がり、酒の肴である干し魚の残骸が載った皿が重ねて積み上がっている。
「――げっぷぅ……」
イドゥンは、空になったゴブレットを乱暴にローテーブルの上に置くと、その横にある酒壺を持ち上げる。
が、既に酒壺が空になってしまっている事に気が付くと、顔を歪めて舌打ちする。
そして、忌々しげに呼び鈴のノブを掴み、乱暴に振ろうとした瞬間――、
「――あまり深酒はしない方が宜しいのではなくって? 陛下……」
「――ッ!」
不意にかけられた艶めかしい女の声に顔を強張らせたイドゥンは、慌てて身を起こして背後を振り返る。
そして、開け放たれた窓の前で、月の光を背後に浴びて立っている黒い影に気が付くと、酒灼けした声を僅かに震わせた。
「い、いつからそこに居た? インセツト……!」
「インセクトですわ、陛下」
イドゥンの言葉をからかうような口調で訂正しながら、まるで毒蜘蛛を思わせる禍々しい意匠の漆黒の装甲を纏ったひとりの人影が、ヒールの靴音を高らかに響かせながら無遠慮に室内へと侵入する。
そして、強張った身体をソファの背もたれに押し付けているイドゥンの事を立ったまま見下ろしながら、その人影は言葉を継いだ。
「――アームドファイターインセクト・ブラックウィドウです。いい加減、覚えて頂けると嬉しいですわ」
「わ……分かった……すまぬ」
黒い影――アームドファイターインセクトの言葉に、イドゥンはぎこちなく頭を下げる。
すっかり怯えた様子のイドゥンの姿に「フン……」と鼻を鳴らしたインセクトは、更にツカツカと足音を立てて部屋を横切ると、天蓋の付いた大きなベッドの縁に腰を下ろした。
そんな彼女に向け、すっかり酔いが醒めた様子のイドゥンがおずおずと口を開く。
「……す、すべて、貴様の指示通りにしたぞ」
「……」
「ドリューシュに兵を任せ、オシス砦のホムラハヤテと共に、お前の仲間を討ち滅ぼすよう命じた。と、討伐隊は、数日中にはキヤフェを発つだろう」
「――そうですか」
イドゥンの言葉に対し、インセクトは無感動な声で応えた。
素っ気ない反応に怪訝な表情を浮かべたイドゥンが、おずおずと彼女に問いかける。
「……本当に良かったのか?」
「何がですか?」
「い、いや……」
問いに問いで返されたイドゥンは、しどろもどろになりつつ、言葉を舌に乗せる。
「お、お前たちも、森の悪魔のひとりなのだろう? な……なのになぜ、自分の仲間を害そうとする我らに味方しようとするのだ?」
「ふふ……」
イドゥンの問いかけに、インセクトは微かな笑い声を上げながら、艶めかしい素振りで足を組み替えた。
そして、微かに首を傾げながら答える。
「それは――邪魔だからですわ。森に居る“オチビト”達が……」
「じゃ……邪魔?」
唖然とした表情を浮かべて訊き返すイドゥンに向けて、インセクトは大きく頷いてみせる。
「そう、邪魔なのです。あのように、矮小な能力しか持ち合わせていない未熟者たちなど」
そう言うと、彼女はそのマスクに付いた八つのアイユニットを光らせた。
「この異世界に存在していていい人間は、あの方……そして、この私だけ。他の、未だ“石棺の破壊”などという下らぬ妄執に囚われたままの有象無象どもに、存在価値など無いのですよ」
「……」
すっかり自分の吐く言葉に陶酔した様子のインセクトを、イドゥンはまるで薄気味の悪いものを見ているような目を向ける。
そして、恐る恐るといった様子で、彼女に声をかけた。
「で……ここまでお前たちに協力したのだ。私からの頼みは、聞き届けてもらえるのだろうな?」
「頼み? ……あぁ」
イドゥンの問いかけに、一瞬首を傾げかけたインセクトだったが、すぐに思い出した様子で頷くと、乾いた嘲笑い声を上げる。
「ふふ……もちろん、分かっておりますわ。我々は、決して石棺には手を出しません」
「い……いや……もうひとつの……」
「あぁ……気になるのは、そっちの方ですか……」
躊躇いがちに紡がれるイドゥンの言葉の先を察したインセクトは、呆れたと言わんばかりに肩を大げさに竦めた。
「まったく……さても御立派な王様ですわね。この世界の存亡に関わるという石棺の事よりも、ご自身の保身の方が大切ですか……」
「う……うるさい!」
嘲笑交じりのインセクトの言葉に苛立ちながら、イドゥンは声を荒げる。
「ど……どうなのだ! も、もし、あの頼みを聞けぬというのであれば、私と貴様たちの密約は白紙だ! ただちに、我が軍の総力を以て、貴様とあの男を――!」
「“殺す”……ですか?」
「――ッ!」
「――やってごらんなさいな。やれるものならね」
「う……ッ!」
インセクトの漆黒の身体から、やにわにどす黒い殺気が放たれた。
その凄まじい威に当てられたイドゥンは、夥しい恐怖に囚われ、その身をブルブルと震わせる。
――と、
インセクトは口元に手の甲を当て、肩を震わせながら笑い始めた。
「……ふふ、冗談ですよ、陛下。そんなに怯えないで宜しくてよ」
「お……怯えて……など……」
「ご安心を。もちろん、約束は守りますわ。我々は、あの事に関して、決して口外いたしません」
「……っ」
インセクトの言葉を聞いたイドゥンは、緊張が一気に解けた様子で、力無く長椅子に身を埋める。
そんなイドゥンを、八つの眼で見下しながら、彼女は冷ややかに言葉を継いだ。
「――前王を弑し奉ったのが、装甲戦士ジュエルではなく、他ならぬ彼の息子――王太子イドゥンであった事は……ね」
寝間着姿のミアン王国国王イドゥン一世は、贅の限りを尽くした内装があしらわれた自身の居室で、豪奢な長椅子に寝転がって、マタタビ酒を呷っていた。
彼の前に置かれたローテーブルの上には、空になったマタタビ酒の壺がゴロゴロと転がり、酒の肴である干し魚の残骸が載った皿が重ねて積み上がっている。
「――げっぷぅ……」
イドゥンは、空になったゴブレットを乱暴にローテーブルの上に置くと、その横にある酒壺を持ち上げる。
が、既に酒壺が空になってしまっている事に気が付くと、顔を歪めて舌打ちする。
そして、忌々しげに呼び鈴のノブを掴み、乱暴に振ろうとした瞬間――、
「――あまり深酒はしない方が宜しいのではなくって? 陛下……」
「――ッ!」
不意にかけられた艶めかしい女の声に顔を強張らせたイドゥンは、慌てて身を起こして背後を振り返る。
そして、開け放たれた窓の前で、月の光を背後に浴びて立っている黒い影に気が付くと、酒灼けした声を僅かに震わせた。
「い、いつからそこに居た? インセツト……!」
「インセクトですわ、陛下」
イドゥンの言葉をからかうような口調で訂正しながら、まるで毒蜘蛛を思わせる禍々しい意匠の漆黒の装甲を纏ったひとりの人影が、ヒールの靴音を高らかに響かせながら無遠慮に室内へと侵入する。
そして、強張った身体をソファの背もたれに押し付けているイドゥンの事を立ったまま見下ろしながら、その人影は言葉を継いだ。
「――アームドファイターインセクト・ブラックウィドウです。いい加減、覚えて頂けると嬉しいですわ」
「わ……分かった……すまぬ」
黒い影――アームドファイターインセクトの言葉に、イドゥンはぎこちなく頭を下げる。
すっかり怯えた様子のイドゥンの姿に「フン……」と鼻を鳴らしたインセクトは、更にツカツカと足音を立てて部屋を横切ると、天蓋の付いた大きなベッドの縁に腰を下ろした。
そんな彼女に向け、すっかり酔いが醒めた様子のイドゥンがおずおずと口を開く。
「……す、すべて、貴様の指示通りにしたぞ」
「……」
「ドリューシュに兵を任せ、オシス砦のホムラハヤテと共に、お前の仲間を討ち滅ぼすよう命じた。と、討伐隊は、数日中にはキヤフェを発つだろう」
「――そうですか」
イドゥンの言葉に対し、インセクトは無感動な声で応えた。
素っ気ない反応に怪訝な表情を浮かべたイドゥンが、おずおずと彼女に問いかける。
「……本当に良かったのか?」
「何がですか?」
「い、いや……」
問いに問いで返されたイドゥンは、しどろもどろになりつつ、言葉を舌に乗せる。
「お、お前たちも、森の悪魔のひとりなのだろう? な……なのになぜ、自分の仲間を害そうとする我らに味方しようとするのだ?」
「ふふ……」
イドゥンの問いかけに、インセクトは微かな笑い声を上げながら、艶めかしい素振りで足を組み替えた。
そして、微かに首を傾げながら答える。
「それは――邪魔だからですわ。森に居る“オチビト”達が……」
「じゃ……邪魔?」
唖然とした表情を浮かべて訊き返すイドゥンに向けて、インセクトは大きく頷いてみせる。
「そう、邪魔なのです。あのように、矮小な能力しか持ち合わせていない未熟者たちなど」
そう言うと、彼女はそのマスクに付いた八つのアイユニットを光らせた。
「この異世界に存在していていい人間は、あの方……そして、この私だけ。他の、未だ“石棺の破壊”などという下らぬ妄執に囚われたままの有象無象どもに、存在価値など無いのですよ」
「……」
すっかり自分の吐く言葉に陶酔した様子のインセクトを、イドゥンはまるで薄気味の悪いものを見ているような目を向ける。
そして、恐る恐るといった様子で、彼女に声をかけた。
「で……ここまでお前たちに協力したのだ。私からの頼みは、聞き届けてもらえるのだろうな?」
「頼み? ……あぁ」
イドゥンの問いかけに、一瞬首を傾げかけたインセクトだったが、すぐに思い出した様子で頷くと、乾いた嘲笑い声を上げる。
「ふふ……もちろん、分かっておりますわ。我々は、決して石棺には手を出しません」
「い……いや……もうひとつの……」
「あぁ……気になるのは、そっちの方ですか……」
躊躇いがちに紡がれるイドゥンの言葉の先を察したインセクトは、呆れたと言わんばかりに肩を大げさに竦めた。
「まったく……さても御立派な王様ですわね。この世界の存亡に関わるという石棺の事よりも、ご自身の保身の方が大切ですか……」
「う……うるさい!」
嘲笑交じりのインセクトの言葉に苛立ちながら、イドゥンは声を荒げる。
「ど……どうなのだ! も、もし、あの頼みを聞けぬというのであれば、私と貴様たちの密約は白紙だ! ただちに、我が軍の総力を以て、貴様とあの男を――!」
「“殺す”……ですか?」
「――ッ!」
「――やってごらんなさいな。やれるものならね」
「う……ッ!」
インセクトの漆黒の身体から、やにわにどす黒い殺気が放たれた。
その凄まじい威に当てられたイドゥンは、夥しい恐怖に囚われ、その身をブルブルと震わせる。
――と、
インセクトは口元に手の甲を当て、肩を震わせながら笑い始めた。
「……ふふ、冗談ですよ、陛下。そんなに怯えないで宜しくてよ」
「お……怯えて……など……」
「ご安心を。もちろん、約束は守りますわ。我々は、あの事に関して、決して口外いたしません」
「……っ」
インセクトの言葉を聞いたイドゥンは、緊張が一気に解けた様子で、力無く長椅子に身を埋める。
そんなイドゥンを、八つの眼で見下しながら、彼女は冷ややかに言葉を継いだ。
「――前王を弑し奉ったのが、装甲戦士ジュエルではなく、他ならぬ彼の息子――王太子イドゥンであった事は……ね」
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