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第八章 装甲戦士たちは、何を求めるのか

第八章其の壱 齟齬

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  ◆ ◆ ◆ ◆

 「はぁ……はぁ……はぁ……っ」

 背中を押さえながら明るい大通りを駆けてきた男は、青ざめた顔でキョロキョロと周囲を見回すと、目に留まったビルとビルの隙間へと身を滑り込ませた。
 そのまま数メートル奥まで進んだ男は、積み上げられていた青いポリバケツの陰へと隠れる。
 そして、荒い息を懸命に押し殺しつつ、ポリバケツの裏から顔を半分だけ出し、じっと表通りの様子を窺った。
 彼が身を潜ませてから程なく、数人が全力疾走する足音が近づいてくる。

「――おい! どこに行った!」
「巡査長! 自分はあっちを探します!」
「――よし! お前は無線で応援を呼べ!」
「交機にもですか?」
「……いや! まだ、そこまでは――」

 そんな叫び声と共に、青い制服の上に紺色の防弾チョッキを纏った数人の警察官の姿が、ビルの隙間から一瞬見えた。

「……っ!」

 それを見るや、男は慌てて顔を引っ込め、ポリバケツの裏にへばりつく。

「…………」

 彼はそのままの格好で息を止め、表通りの喧騒に耳をそばだてるが――、

「……行ったか……」

 足音が遠ざかっていって、聞こえなくなったのを確認すると、安堵の息を吐いた。
 ――と、

「――痛ッ……!」

 安心すると同時に、背中を襲う鋭い痛みも思い出した男――仁科勝悟は、苦しげに顔を顰める。
 恐る恐る、左手を背中に伸ばすと、着ているコンビニバイト先の制服がバックリと裂けていて、何やら粘つく液体で濡れているのが分かった。
 背中に回した左手を、僅かに射し込むネオンサインの光に翳して見る。
 ――その掌は真っ赤な血で染まっていた。

「うっ……!」

 それを見た勝悟は、激しいショックを受け、くぐもった悲鳴を上げる。気が遠くなりかけるが、こんなところで気を失っては危ないと思い、唇を強く噛んで必死に意識を保つ。

「ふぅ……ふぅ……」

 ドクドクと、耳を塞ぎそうなほどに喧しく鳴る鼓動を早く宥めすかそうと、取り敢えず呼吸を整えてみた。

「ふぅ…………ふぅ…………」

 ――だんだんと、弾んでいた呼吸が落ち着きを取り戻してきたが、それと入れ替わるように、背中の痛みは強まってくる。
 彼はくぐもった呻き声を上げながら、その身体をくの字に折り、汚いアスファルトの上でうつ伏せになった。
 コンビニから全速力で逃げてきたせいで熱を帯びた身体に、アスファルトの冷たい感触は不快ではなく――むしろ気持ちが良い。
 そんな快い感触に身を委ねながら、

(……くそっ!)

 彼は、心の中で激しく毒づいた。

(何で……何で、俺が……こんな目に……!)

 勝悟は、血でぬめる左手をグッと握りしめ、その拳でアスファルトを思い切り叩きつける。

(俺は……クソクレーマーに絡まれてたグエンくんを助けようと、対応を代わっただけなのに……それが、どうして……こんな事に……っ!)

 思わず、獣のように叫び散らしたくなる衝動を必死で抑え、勝悟は強く噛んだ唇の端から一筋の血を流しながら、右手の方に目を移した。
 彼の右手は――

 刃先から鍔元まで、赤黒い血がべったりとついたバタフライナイフをしっかりと握りしめていた――。

 ◆ ◆ ◆ ◆

「うわああああぁッ!」

 うなされていたハヤテは、悲鳴のような絶叫を上げながら、粗末な寝床から跳ね起きた。

「はぁッ……はぁッ……ハァッ……!」

 しばらくの間、顔を両手で覆い、荒い息を吐いていたが、

「……ふぅ……」

 ようやく落ち着くと、上着の袖で額に浮かんだ脂汗を拭い、それから慌てて背中に手を回す。

「――夢か……」

 先ほど見た光景とは違い、背中に触れた左掌に何も付いていないのを確かめた彼は、大きな溜息を吐いた。
 ぼんやりと古い板張りの天井を見上げながら、先ほど見た夢の内容を思い返したハヤテは、訝しげに眉を顰める。

(何だったんだ、今の夢は……? 前の夢の……続き?)

 ――最後に夢を見たのは、ミアン王国の近衛兵によって捕らえられ、収監された王宮の牢の中でだった。

(あの時は、あのクレーマーの男に背中を刺されたところで目が覚めたんだったな……)

 今日見た夢の中で、ハヤテ――仁科勝悟――は、背中を刺されていた。
 普通に考えれば、前回の夢の続きだという事になるのだが――色々と理解に苦しむ点がある。
 まず一点は――、

(……何で俺は、警察から逃げていたんだ?)

 ――背中を刺されたのは、ハヤテの方なのだ。
 あの警察官たちは、同僚のグエンの通報に応じて駆けつけてきた者たちなのだろう。
 だったら、何故……あの警察官たちは、勝悟を刺したクレーマーの男ではなく、のだろうか?

「それに……」

 ハヤテはそう呟くと、自分の右手を見つめ、先ほど見た夢の最後のシーンを思い出す。

(……何で俺が、あの血塗れのナイフを握っていたんだ……?)

 ――普通に考えれば、銀色のバタフライナイフの刃に纏わりついた乾きかけの血液は、クレーマーが勝悟の背中を刺した時に付いたもの……即ち、自分の血だろう。
 だが……ハヤテは、

「あの血は……俺のものじゃない……」

 そう口にした瞬間、

「うっ……! げっ、がふっ……!」

 気分が悪くなったハヤテは、その場にくずおれ、鳩尾を押さえて激しく嘔吐えずいた。
 しかし、暫く床に蹲っていても、猛烈な吐き気とは裏腹に、その口からは粘つく唾しか出てこない。

「……はぁ……はぁ……」

 彼は、荒い息を吐きながらも、頭を激しく振った。
 ぼんやりと霧に覆われたように判然としない、自分の過去の記憶をハッキリさせようとしたのだ。
 ハヤテが“仁科勝悟”だった、この世界に堕ちる前の日本での記憶を――。

「……ダメだ」

 だが、眉を顰めた彼は、失望に満ちた声を上げた。
 やはり……夢で見た事以外の記憶を思い出す事は出来ない。

「ふぅー……」

 身を起こして板張りの床の上で胡坐をかいたハヤテは、浮かぬ顔で深く細い息を吐いた。
 ――前に見た記憶と、今日見た記憶
 その間に、ふたつの記憶の齟齬を埋める記憶があるはずなのに、それをどうしても思い出せない。

 それが、この上なく歯がゆかった。
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