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第一章 異世界に堕ちし者は、何を目指すのか

第一章其の壱拾壱 世界

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 乾いた音を立てて、木のペンが床に落ちた。黒いインクが床を汚すが、その事に気を留める者は誰もいない。
 牛島はニコリと笑うと、紙のような顔色で呆然としているハヤテの肩をポンポンと叩いた。

「ようやくご理解頂けたようだね。結構」
「……」
「じゃあ……次は、この世界について教えてあげようか」

 そう言いながら、牛島はハヤテの傍らから離れ、元の場所に座り直す。
 そして、咳払いをひとつすると、落ち着いた声で言葉を継いだ。

「……君も薄々は察しているだろうけど、この世界は、私達が元いた日本――世界ではない。俗に言う“異世界”って所らしい」
「……」
「まあ――『所』っていうのは、正直、私達もそこまで詳しく知っている訳じゃないからなんだけどね」

 彼はそう言うと、懐からボロボロになった一冊のノートを取り出す。
 広げたノートの黄ばんだ紙の上には、細かい字がビッシリと書き込まれていた。

「――これは、私がこの世界にから得た情報を書き記したメモ帳……元は小説のネタ帳なんだけど、まあそれは置いておいて……。とにかく、私が今まで集めた情報から言えるのは、『この世界の生態系は、地球のそれとは似て非なるものだ』って事だね」
「……似て非なる?」
「お、やっと現実を受け入れて、ちょっとは元気が出てきたかね? リアクションがあった方が、説明にも張り合いが出るから助かるよ」

 顔を上げたハヤテに微笑みを向けた後、牛島はメモ帳に目を戻す。

「……より正確に言うと、地球の生態系とは、の生態系といったところかな?」
「べ……別の方向に進化していった結果?」
「例えば、この世界には、ドラゴンに酷似した爬虫類が存在している。地球とは違って、巨大化という方向に進化の舵を切ったトカゲのようだね」
「恐竜の生き残りなんじゃないの? トカゲだし」

 牛島の説明に口を挟んできたのは、健一だった。
 だが、その言葉に、牛島は苦笑しながら首を横に振る。

「健一くんのいた頃は、恐竜はトカゲだと言われていたけどね、最近の説では、爬虫類ではなく哺乳類の仲間だというのが有力なんだよ。鳥の祖先だとも言われているしね」
「え、ウソだろ? 本当かい、カオル?」
「……オレに訊くなや! んな事知らねえに決まってんだろうが!」
「「それもそうだね」」
「ハモんなッ!」

 こめかみに青筋を立てた薫が声を荒げるが、意にも介さず、牛島は言葉を続けた。

「……他にも、地球では見られないような種類の生物が多数生息している事が確認できているけど、最も大きな違いはね――」

 牛島はそこで一旦言葉を切り、一呼吸をつくと、とっておきの言葉を紡いだ。

「この世界には、ホモ・サピエンス……つまり、んだ」
「人間が……いない……?」

 牛島の言葉に、ハヤテは大きく目を見開く。
 その反応に薄っすらと笑みを浮かべた牛島は、満足げに顎髭を撫でた。

「そう。――で、その代わりに、この世界の“知的生命体”として存在しているのが」

 牛島は、腕を伸ばし、扉の向こうを指さして言った。

「――あの時、君と一緒に居た彼女と同じ、猫獣人たちなのさ」
「な……ッ?」
「ああ、君は実にいい反応をしてくれるね」

 牛島は顔を綻ばせ、口元に手の甲を当て、クックッと笑う。
 ――と、
 ハヤテの腕が伸び、牛島の襟元を掴んだ。

「! てめえっ!」

 それを見た薫が血相を変えて立ち上がりかけるが、牛島は軽く片手を挙げてそれを制した。
 そして、胸倉を掴まれたまま、怪訝そうに首を傾げる。

「……どうしたんだい、疾風く――」
「ふ――フラニィをどうした! 答えろ!」
「……ぷ、ははははは!」

 血相を変えて、自分の襟首を締め上げるハヤテを見下しながら、牛島は心底愉快そうな笑い声を浴びせた。
 次の瞬間、目にも留まらぬ速さで彼の両腕が動き、ハヤテの身体は強かに床へと叩きつけられる。

「が――っ!」
「この驚愕の事実の数々を続けざまに目の当たりにしながら、真っ先にあの猫獣人の安否を気にかけるとは、なかなか良いじゃないか! ――案外、君の正体は、本物の“正義の味方”なのかもしれないね!」
「――ぐっ!」

 腕を締め上げられて床に押さえつけられたハヤテは、身じろぎも出来ずに呻き声を上げるだけだったが、その目は爛々と輝き、牛島の不遜な顔を睨めつけている。
 だが、そんなハヤテの眼光にも怯まず、牛島は嗜虐的な笑みを浮かべて言った。

「――安心したまえ。彼女は無事だよ」
「ぶ……無事だと……?」
「――今は、もう一棟の小屋の中でおやすみ頂いているがね。、我々は彼女に危害を加えるつもりはない。……何せ、あのは、大切なだからね」
「こ……交渉……材料?」
「ああ」

 牛島は頷くと、ハヤテを拘束する手を放す。
 そして、ハヤテがヨロヨロと起き上がるのを待ってから、静かに口を開いた。

「彼女と言葉を交わしたのなら、既に聞いているのかもしれないけど、この森の向こうには“ミアン王国”という国があるらしくてね。猫獣人たちの国だ。で、あの白猫の少女は、その国王の娘なんだ」
「……聞いた。それが……どうだという――」

 ハヤテは途中で言いかけるが、ある事に思い当たり、顔色を変える。
 彼は、僅かに口元を戦慄かせながら、牛島に問い質した。

「まさか……、“交渉材料”というのは――?」
「……」

 ハヤテの問いかけに、牛島は黙ったままだった。
 ……が、その口元に浮かんだ冷たい微笑が、その答えを何よりも雄弁に語っていた。
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