無能扱いの聖職者は聖女代理に選ばれました

芳一

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【37】お願い

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「ロビン」

魔力を注ぐ額の掌はそのままに、グリファートは思わずロビンの名を呼んだ。
「大丈夫だ。俺がいるから、ゆっくり寝ていいよ」
「………。聖女、さま……」
グリファートの言葉にロビンは瞼を持ち上げて視線を向けた。
熱で潤んだ瞳はそれでもグリファートの姿をしっかりと映しているのか、ロビンはどこかホッとしたように小さく息を吐く。
「…お願い、聞いて…欲しくて……」
「お願い?」
握っていたロビンの手を今度こそベッドの中に戻しながらグリファートは問い返す。
「いいよ、どうした」
「…………」
ロビンは窺うようにグリファートを見上げた後、少し躊躇うように口を開いた。

「お母さん、と……お父さんは、」

言いかけて、しかしすぐに口を閉じてしまった。
前にロビンの両親について話をした時は彼らを明確に拒絶していたように見えたので、ロビンの口からその言葉が出てくるのは少し意外だった。
ロビンの表情に嫌悪や拒絶といったものはなく、どちらかと言えば不安の滲む迷子の子供のような顔をしている。
「…元気そう、だったよ」
生きる気さえどうでも良さそうだったリゼッタを元気、と言っていいかは正直わからないが、健康かと言う意味であれば少なくとも怪我や病に苦しんでいる様子はなさそうだった。
そんな彼らの姿を思い出しながらグリファートが告げれば、ロビンの大きな瞳が揺れた。

「……二人が気になる?」

暫く無言で、うろうろと視線を彷徨わせていたロビンはやがてこくりと頷いた。
ロビンの表情からして恐らく会いたいと言うわけではないのだろう。だが、元気そうだという言葉に反応したという事は、どう言う感情であれ彼らの安否が気になっているという事だ。
病に罹ると身体だけでなく心も弱まり、『心細い』という感情が強くなる。それも子供であれば尚のこと。
本来であれば傍にいてくれるべき母親の存在をロビンも無意識に求めたのかもしれない。

「聖女さま、もし。お願い……聞いてくれる、なら」
小さく小さく、油断すれば聞き逃してしまいそうなほどの声でロビンが言う。

「─────」


たった一言。
儚い願いを聞いたグリファートは僅かに目を見開き、それから頷いてみせた。
「必ず叶えよう」
だから今はおやすみ、と囁いたグリファートの言葉に頷くように、ロビンはゆっくりと瞼を閉じた。











あれからすぐ、毛布を持ってきたレオンハルトとジョフがロビンの部屋にやってきた。
結論から言えばグリファートは自身の力でもってロビンの熱を下げる事ができた。
普通の聖職者であれば半日、聖女であれば一瞬で治せたところを、グリファートは丸一日要した形にはなってしまったが。
とは言えこれでも早く治せたの方なのだろうとグリファートは考える。
瘴気の無いこの場所での治癒など、グリファートの力では雀の涙ほどのものしか施せない。一日どころか二日、最悪それ以上に掛かっていた可能性さえある。
恐らくは魔力保有量と共に増えた放出量のおかげだろう。加えて、魔力を増強した事も良い方向に働いたのかもしれない。
つまりは恥ずかしい思いをしてレオンハルトと魔力を交えた甲斐はあった、という事だ。

「今日は一日ジョフが学舎にいてくれるそうだから、何かあったらジョフに言うんだよ。俺とレオンハルトも早めに帰ってくるから」

ベッドの上、朝食を食べ終えたロビンがグリファートの言葉にこくんと頷く。
熱も完全に下がりロビンもいつもの調子に戻ったようだったが、再度体調を崩してもいけないからと少なくとも今日一日は安静にさせる事にしたのだ。
いつもはロビンに任せきりだった朝食も当然グリファートが作った。レオンハルトも手伝おうとはしていたのだが、以前本人が言っていたように何とも壊滅的な料理の腕前だったので早々に調理場から追い出す事になったのは言うまでもない。
そんなこんなでグリファートが一人、手際もさほど良いとは言えない中で何とか朝食を完成させたのである。

「ロビンのこと、頼むね」
「勿論に御座います。聖職者様もご無理をなさらぬよう……レオンハルト殿、頼みましたぞ」
「ああ」

グリファートに対する信用の無さが見える会話に思わず反論しそうになったが、グッと堪えて聞かなかった事にした。
言ったところで説得力がないと一蹴されるのが目に見えたというのもある。
「…行ってくるねロビン」
「聖女さま、獅子のお兄さん。いってらっしゃい」
グリファートはロビンの頭を撫でてから、レオンハルトと共に学舎を後にし鉱山へと向かった。
浄化を施した入り口から、いよいよ鉱山内部へと足を踏み入れる事になる。
レオンハルトの魔力壁に護られているとはいえ、危険地帯に身一つで赴く事に恐怖がないと言ったらそれは嘘になるだろう。
無理はせず、慎重に。少しでも危ういと感じたら引き返す。
グリファートは命を救うために無茶をするが、命を捨てたい訳ではないのだ。


鉱山の入り口までやってきたグリファートとレオンハルトは一度互いに顔を見合わせて頷き合うと、意を決したように鉱山内部へと歩き出した。
鉱山内には採掘のために常夜灯が所々に設置してあったようなのだが、瘴気の噴出が起きたせいなのだろう今はその灯りも殆ど意味を為していないようだ。
薄暗く、足場も良いとは言えない中をレオンハルトがグリファートの前に出る形で進んでいく。
「…この辺りか」
鉱山の中ほどまで進んだところでレオンハルトが足を止めた。
ここまで来ると瘴気も今までとは比べ物にならないほどに澱んでいて、鼻が曲がりそうなほどの異臭が立ち込めている。所々にあった分岐路は落盤したのか塞がっており、地盤は液状化により変形してしまったらしい。
本来の状態とは違う酷い有様に思わず息を呑む。
「いつ崩壊してもおかしくないね、これは」
「ああ。長居はしない方がいい」
「そうだね」
グリファートはレオンハルトの言葉に頷くと、すぐに膝をつき祈りを捧げるように手を組んだ。沈み込む地面の感触に、よもや底が抜けたりしないだろうなと妙な不安を覚えてしまう。
グリファートはひとつ息を吐いて気持ちを整えると、過ぎる不安を振り払うように体内を巡る魔力に意識を向けた。
掌に感じる熱と同時に息苦しさと不快感が容赦なく襲いかかってくる。

(…ッ、やっぱり…魔力を増強しても、これは苦しい、なぁ…っ)

身体を蝕む名状し難い瘴気の穢れ。以前に比べれば幾らかましにも思えるが、猛毒に近い瘴気を浴びた魔力核はミシミシと悲鳴を上げている。
気を緩めれば手放してしまいそうな意識を何とか繋ぎ止めながら、グリファートは掌に集中させた魔力を吐き出すように放出した。

「…ッ、は」

弾け飛ぶ光と同時にグリファートの視界にもチカチカと星が飛ぶ。
知らずきつく目を瞑っていたせいでふらりと頭が揺れたが、背後からすぐさま支えてくれたレオンハルトのおかげで倒れ込まずには済んだ。
「…っ、聖職者様」
「ッだい…じょう、ぶ…だよ」
グリファートの言葉にレオンハルトは物言いたげな視線を向けてくる。
事実思ったよりもグリファートの身体に負担はなかったのだが、レオンハルトからするととても大丈夫には見えないのだろう。
グリファートは小さく苦笑いを浮かべると、余力がある事を証明するように自らの力で立ち上がった。
辺りを確認してみれば、変形した地盤や側壁はそのままながらも瘴気による澱みはすっかり消え去っている。心なしか先ほどより視界も明るい。

「聖職者様」
「大丈夫だって。君に嘘を吐くと面倒だから本当のことしか言わない事にしたんだよ」
「………それならいいんだがな」

普段のグリファートであれば言い訳の暇もなく意識を手放している。
それが今はしっかりと意識があるばかりか、支えられずとも立ち上がる事ができたのだから、レオンハルトもグリファートの言葉を受け入れるしかないのだろう。
聖女級の魔力量なのであろうレオンハルトの魔力と交じっただけの事はあるのだな、とグリファートは口には出さず改めて感心した。
何ならもう一回くらい浄化できそうだと、何気なく考えたと同時。大きな手でがしりと腕を掴まれる。
「何を考えてる」
「え。い、いや…別に何も考えてな…」
「ジョフに言われただろ、過信はするなと」
「わ、わかってるってば。君が思うような事はしないよ」
一瞬頭に過っただけで二度目の浄化をしようなどとは断じて思っていない。
魔力を増強し体調も万全とはいえ、立て続けに浄化を行えばまず間違いなく魔力飢えを起こすだろうし、グリファートとて無茶をしてレオンハルトの魔力を無駄に消費したいわけではないのだ。
それに、どれほど時間がかかるかわからないと思われた鉱山の浄化が、たった二日目でここまで進んだのである。急ぐ必要なんてない。

「ロ、ロビンも待ってるしもう戻ろうよ。ね?」
「…そうだな」

胡乱気な目を向けるレオンハルトに何も言えず、グリファートはそそくさと学舎に戻る事にした。
そんな少しの気まずさと、浄化を済ませた安堵感が気を緩ませてしまったのかもしれない。
鉱山内に入って来た時と同じようにレオンハルトが前を、グリファートがその後ろをついて歩き出した───その時だった。

グリファートの背後で何かがミシッと軋む音と、ベキベキベキと剥がれるような嫌な音が同時に聞こえる。


「────ッ伏せろ聖職者様!!」

落盤だ。
そう気付いて振り返った時には、轟音と共に角張った岩の一部が天井部分から崩れ落ちグリファートの眼前に迫ってきていた。
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