無能扱いの聖職者は聖女代理に選ばれました

芳一

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【32】恐れ

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情事の熱を残したシーツを手早く取り換える。身綺麗にしたグリファートをベッドに寝かせたレオンハルトは、そっとベッドの淵に腰掛けた。
静かに寝息を立てるグリファートの表情は穏やかだ。
眠っている男を起こさないよう恐る恐るといった風に頬に触れれば、掌からじわりと温度が伝わる。
その生きているとわかる確かな温もりに、レオンハルトはホッと安堵の息を吐いた。

(……あれは、何だったんだ)

鉱山の浄化を試みたグリファートは魔力の放出と共に倒れた。
どこかでそんな予感を抱いていたレオンハルトの行動は早く、倒れゆく男の身体を自らの腕ですぐさま支えた。そして、感じた違和感に酷く狼狽したのだ。


触れたグリファートの肌は酷く冷たかった。


他人ひとより少しばかり体温が低いだとか、血行不良であるだとか、そういった次元の話ではない。これまでレオンハルトが嫌になるほど触れてきた、救えなかった者たちと同じ異常な冷たさだったのである。
必死に名前を呼んでも反応はなく、ゆっくりと閉じていこうとする瞼に心臓が嫌な音を立てた。
グリファートの身体から力が抜けていく。
呼吸が小さくなっていく。
温度が失われていく。


(肝が冷えたなんて、もんじゃない)

ゾッとした。レオンハルトの目の前で、グリファートが今にも息絶えてしまいそうだった。
それから学舎にどうやって帰ってきたかはあまり覚えていない。ただ必死にグリファートの名前を呼んでいた。
行かないでくれ、と魂を引き止めるように。何度も、何度も。死へと向かっているこの男を救わなければと、ただそれだけだった。

そんなレオンハルトの切なる願いが届いたのか、グリファートは目を覚ました。
そこからのレオンハルトの行動は早かった。
魔力飢えを起こしている様子のグリファートに性急に口付ける。一刻も早くと、そんな思いで魔力を注いだ。
体温を確かめるように掌を這わせながら口付けていけば、少しずつではあるがグリファートの身体に温もりが戻ってきているような感覚があった。

その後もレオンハルトはグリファートの身体に熱を灯し続けた。
口付け、掌を這わせ、魔力を含んだ白濁を奥の奥へと惜しみなく注ぎ込む。
グリファートはあまりの快感に最後は泣いてしまっていたようだったが、それでもレオンハルトは離す気にはなれず、男の体温が完全に戻った頃に漸くその身を解放して息を吐いた。



グリファートが眠るベッドに腰掛けたまま、レオンハルトは頭を抱えるように項垂れる。
生きた心地がしなかった。あまりに恐ろしくて、呼吸も忘れるほどだった。

(今までこんな事はなかったが…高濃度の瘴気を吸い込んだ影響、か?)

わからない。だが、こんな事はもうごめんだ。
レオンハルトは思い出すとまた震えそうになる身体を何とか叱咤して、眠るグリファートの頬をそっと撫ぜた。




◆◆◆◆

グリファートが目を覚ましたのは日が昇ってから随分と経った頃だった。
思い瞼を押し上げれば、視界の隅で慌てたように動く影が見える。
「聖職者様!」
そう言って顔を覗き込んできたのはレオンハルトだった。その顔には随分と疲れが滲んでいるように見える。
苦しげに顔を歪ませるレオンハルトを見て、どこか怪我でもしているのかとグリファートは問おうとしたが、喉が乾いてうまく声が出せず噎せてしまった。
レオンハルトはそれを見るや否や、サイドテーブルに置いてあったのであろうコップに注がれた水を手に取る。

「んっ……」

レオンハルトは水を口に含むと、躊躇いもなくグリファートに口移しをした。
口内で僅かに温くなった水が喉奥へと流し込まれる。
こくん、こくん…と少しずつそれを飲み干していけばそっと唇が離された。
「大丈夫か、聖職者様」
「あ……ん、うん……」
まさか口移しで水を与えられるとは思わず、グリファートは動揺したままぎくしゃくと頷いた。
レオンハルトとしてはグリファートをただ心配しての行動だったのかもしれないが、された方としては非常に恥ずかしい。それもレオンハルトが当たり前のようにしてきたから余計にだ。
そんなグリファートの動揺に気付く様子もなく、レオンハルトはコップをサイドテールに戻すと「食事は摂れそうか」と問うてきた。
聞かれ、腹が減っている事に気付く。
「あー…じゃあ。少し、だけ……」
「わかった」
レオンハルトはそう言うと足速に部屋を出て行った。ロビンに食事を作って貰いに行ったのだろう。
そうして一人残されたグリファートと言えば、甲斐甲斐しいレオンハルトに困惑するばかりだった。治癒や浄化を施して倒れた事など今までもあったろうに、今回に限ってどうしたと言うのか。
確かに鉱山の瘴気は今までと違い凶悪だったが、魔力を放出した瞬間に身体を苛む苦しみからは解放された。今も、これといって身体に影響は出ていないように思う。

(魔力飢えは、起こしたけどね………)

魔力飢えを起こすと酩酊したように自分が自分でなくなるが、無常にも記憶はしっかりと残っている。今回はまた酷く乱れてしまった自覚があった。
一度頭に思い浮かべてしまったら先ほどの疑問などどこへやら。
グリファートは一人顔を赤くして悶々とベッドで丸くなった。


暫くして戻ってきたレオンハルトから食事を受け取り、遅めの朝食を摂った。温かな卵スープとかぼちゃのパイ、瑞々しい果物に腹が満たされていく。
用意して貰った食事を済ませて食器を片付けようとしたが、無理をするなとレオンハルトに言われベッドへ寝かされた。
「無理はしてないんだけど……」
「アンタのそれは当てにならない」
「………怒ってる?」
「………」
もしや知らず獅子の逆鱗に触れてしまったか、とグリファートは恐る恐る問いかけてみたのだが、レオンハルトは怒りというよりもどこか複雑な顔をしてみせた。

「そういうわけじゃ、ない」

珍しくも目を伏せて言うレオンハルトにグリファートは首を傾げる。
怒っているのかと聞いてはみたものの、本人が言うようにそういうわけではないのだろう。
だがどこか苛立っているような、焦っているような、もどかしさを抱えているように思えてしまう。
自分が寝ている間に何かあったのか、とグリファートの頭に小さな可能性が過った。
「俺、また丸一日くらい寝てた?」
「いや、三日だ」
「三日!?」
驚いて思わず上半身を起こそうとしたが、レオンハルトによって肩を押されベッドに逆戻りした。
まさか三日も目を覚さなかったとは。それはレオンハルトもグリファートに「無理をするな」と言うわけである。

「…ジョフを呼んでくる。一度診て貰った方がいい」
「え…」

そう告げて再び部屋を出て行くレオンハルトの背を、グリファートは呆然としながら見送った。
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