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骨延長

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「アンタさ‥、いい加減少しは働いて家にお金入れたらどうなの?パパとママだってアンタの事アタシに愚痴ってきてウザいのよ。だから早く出っててくれない?」

 怒涛の勢いで捲し立てた声が妙に残響して家中へと言い放たれる。

 声の主は十代前半か或いはそれよりも幼い印象を受ける容貌の少女から。

 両側頭部へと結えられた長髪が特筆すべき点だろうか。

 否、それに加えて思わず見た者が目を見張るのは、その煌びやかな色彩の髪だ。

 透き通る様な金色の流れる長髪は、傍目に見てもこれが脱色や染色などではなく、歴とした生粋のブロンドヘアーである事を示している。

 大変美しい。

 更には北欧出身である為に、色素の薄い肌の色が、その金髪に映えて殊更に美を彩る。

 そんな少女の顔立ちはというと、やはり前述した外見を裏切らずにまるでこれに比例でもするかの様に端正だ。

 スッと通る鼻梁の上にはパッチリと開いた二重瞼の大きな瞳。

 今に苛立たしげに噛み締められている薄桃色の唇とて、何処か艶やかに色気が漂う程。

 何処からどう見ても凡そ隙という言葉に一切が当て嵌まらない正真正銘の美少女だ。

 けれどもその印象とはかけ離れた口汚い言葉が、次の瞬間には口とされる。

「あと一つ言い忘れてたけど、アンタみたいなキモオタにアタシが役割を与えてあげるわ」

 自らのツインテールに結えられた長髪を指先で弄びながら少女は言う。

「今週中にだけど、トルコに旅行行く事になってるから。ホントはアンタになんかついて来てほしくなんかないけど、ママからちゃんと伝えろって言われてるから一応言っとく」

 そうして彼女は自らの要件を済ませると、それだけを言い残してその場を後とした。

「‥返事も無しとかホントキモい‥。クズね」

 廊下に歩を進ませながらも、少女はあからさまに家中へと聞こえる様大声で独りごちる。

 そして階段を降りてリビングへと足を運ばせる。

「あら、エレン。翔太にはちゃんと言っておいてくれた?」

 美しい少女の碧眼が自らへと声を与えた人物を捉える。

「‥うんママ。けど本当にあの豚も連れて行くっていうの?だってせっかくの家族の旅行なのに、あんなクズも一緒だなんてアタシおかしくなりそう‥」

 エレンと呼ばれた金髪碧眼の少女は、至極辟易とした面持ちを露わとした。


「もう‥、そんな事言ったらダメでしょう?お兄ちゃんなんだから‥。それに、あなたは目的があってトルコに行くのだから、お兄ちゃんと一緒に行動しなさいね。お母さんはパパと周るから」

 母は頬へと片手を当てて困った表情のままにそう言う。

 エレンはまたかと思う。

 自身の母はあまりに過保護に過ぎて息が詰まるのだ。

 それが娘である自らにだけ向くのであればいいが、あの引きこもりにまで及ぶのは果たして如何なものか。

 だが、ここで反論しようものなら長々と説教を垂れられるのも不可避。

 であれば特段荒波を立てずに回避するのが妥当。

 旅行先であるトルコの現地でもあのクズと共に居なければならないのは癪だが致し方ない。

 もしも何かあった時の囮には申し分無いし、肉盾にでもしてやろうか。

 そう思考を巡らせたエレンは、自らの腰に両手を当てて、ため息を吐く。

「わかったわママ。そうね、確かに海外を女の身一つで歩くのは危険だわ」

 多少オーバーリアクションながらも、身振り手振りで納得した様に演技する。

 それが返答としては最善だし、これ以上小言を言われる心配も無い。

「ふふ‥そうね。それもあるけれど、この機会にちゃんとお兄ちゃんとも仲良くなってくれたらママ、とっても嬉しいわ」

 エレン同様に倣い、純粋な色彩のこれまた美しい金髪が揺れる。

 彼女の母はやはり当然容姿に恵まれている。

 遺伝子において例外なのは唯一家族内では兄だけだ。

 機嫌良さげに話すそんな母を傍目に、エレンは未だ部屋から出てくる兆しすらも無い自らの兄の姿を思わず想起して、心底から唾棄した。


 *





「いい?アンタはただアタシに着いてくるだけでいいの。わかった?」

 甲高い何処かヒステリックな声が、景観も良く本日はお日柄も快晴な、美しい街並みへと響いては聞こえた。

 けれども辺りには背の高い人々が行き交う為、小柄なエレンの今し方に口とした言葉は一笑に伏されるばかり。

 恐らくは身長が低いが故に、子供の癇癪だと思われている。

 そう彼女の兄である翔太はホッと胸を撫で下ろす。

 傍目に見てもエレンはとても高身長とは言えない。

 だからこそ今も目立たずに行動出来るのだ。

 これが日本であればそうはいかない。

 ただでさえ自らの妹の容姿は人目を惹く。

 更には自己主張が激しいと来たら、まるで見てくださいとでも言っている様なものだ。

 所謂客寄せパンダである。

 好奇の視線に充てられるのは、元来出無精であると同時に引きこもり。

 加えて人見知りの激しい性格の内気な翔太には御免被りたい問題に他ならない。

 だがその心配も杞憂であった。

 何故ならばここは海外だ。
 
 今風にいえばトルコNow。

 そう、翔太とその妹であるエレンはといえば現在、家族と共にトルコ旅行へと訪れていた。

 故にこの場には日本のスケールとは異なり多くの人種が居合わせている。

 無論昨今ではグローバル化が進んでいる日本も侮れないが、同所と比較しては雲泥の差。

 正に多様性である。

 だが、そうして浸っていたのも束の間のこと。

 次の瞬間には、そんな塩梅に国外への感慨へと感嘆する翔太の感動を打ち破る声が有る。

「ちょっと聞いてるの?ハァ‥もういいわよ。早くアタシ、イリザロフ受けたいから。行くわよ」

 自らの金色の長髪をかきあげて言う。

 するとやけに丈の短いスカートを翻したエレンは、踵を返して同所から歩み出す。

「お、おい。何処行くんだ?」

 そんな風に、我先にと一歩踏み出したエレンへと翔太は問いを投げかける。

「アンタバカぁ?地図すらまともに見れないなんて、とんだ無能ね。アンタが兄だなんてわたしの人生において最大の汚点よ」

 そう言い捨てたエレンは、翔太を置いて行くのも意に介さずに同所を後としてしまう。

「ちょっと待ってくれよ‥」

 その背にまるで追い縋る様にして、翔太は今まで起動していた携帯端末の電源を落とすと同時に肩も落とした。


 *



「ホント、良い先生で良かったわ。これでアタシもチビとはおさらばね。そうよこのアタシがあのクソオス共なんかと同じなわけないじゃ無い」

 そう誰に言うでもなく口汚い調子に吐き散らかすエレンは、今現在病室のベッドに腰掛けている。

 そして何やら端末を起動して、どうやらsnsでもしているらしい。

 そんな自らの妹を眺めて翔太は内心気が気では無かった。

「イリザロフ法だなんて便利な手術があって本当に良かったわぁ。まぁそこら辺にいる日本のクソオスジャップなんかじゃ、お金も無いしこれすら出来ないんだけど‥。けどアタシは女の子でしかも美少女で、あいつらと全然違うから比べること自体が烏滸がましいわね」

 そう、自らの妹であるエレンは本日イリザロフ法という手術を受けるのだ。

 そしてこれが翔太の悩み事の種であった。

 というのもこのイリザロフ法は、手法自体に不備は無いらしい。

 けれども、どうやらその腕前の程はピンからキリまであり、執刀医による影響が大きく、術後へと反映される様だ。

 その為自らの妹の身体が悲惨な事にならないかが、如何にも兄である翔太には不安だった。

「ちょっとお兄ちゃん。アタシのスイッターフォローするの止めてくれない?」

 だが珍しくも翔太をお兄ちゃん呼びで機嫌が良いエレンは、ずっとこの調子ときているから苦言を呈するのも憚られるといった塩梅だろうか。

「あ、うん。ごめん」

 だから翔太は、さりげない風を装い、婉曲な言い回しで問うてみる。

「後さ聞きたい事があるんだけど、良いかな?」

 如何にして妹から情報を聞き出すか。

 それが難題だ。

「ん~?何?」

 だがそんな兄の心中など知る由も無く、まるで対称的な様子でエレンは楽観的にも液晶画面に視線を落としている。

「実は僕もそのイリ何ちゃらってやつに興味があるから、先生について教えてほしい」

 嘘八百である。

 口から出まかせも良いところだ。

 だが、少なくともこうして共感を得て情報を引き出すのは初歩の初歩。

 そして案の定エレンは端末から一瞬だけ面を上げた。

 そして言う。

「はぁ?アンタはその顔からして無理でしょ。幾ら身長高くなっても素材がダメなら何しても無駄だと思うけど‥。まぁでも特別に教えてあげてもいいわよ」

 何処か大上段にも得意げに、エレンは圧倒的上から目線でとんでも無い事を言い切って見せた。

 失礼にも程がある。

 思い掛けない不意打ちに対し、受けたその傷で挫けそうになるが寸前で耐える。

 そんな翔太は抉られた心の傷を隠して頷いて見せた。

「ありがとう」

 そうした塩梅に会話へと無事に持ち込めた翔太は、やはり何処か自身ありげに知識をひけらかすエレンの言う所のイリザロフ法とやらを漸く今となって聞き及んだ。

 そして理解する。

「今すぐ帰ろう。これは止めた方が良い」

 これは危険だと。

 そう、今し方にネットに調べた結果による所の謂骨延長手術というのは、リターンに反し、あまりにリスクが大き過ぎるにも程がある。

 故に今ここでエレンを止めなくてはならない。

 だが─

「急に何言ってんの?キモッ。そうやって変な事言うから皆んなから嫌われるんだよ。まだわからないの?良い加減空気読もうよ」

 やはり妹は微塵も聞き入れない。

 どれだけ言葉を尽くしても全て一蹴されてしまい、最早手に負えない。

 寧ろこうする事でエレンの決心が固まり、これ以上は逆効果になりかねない。

 そう危惧した翔太は黙り込んで、椅子へと再び腰を落ち着けた。

 だが未だ希望は有る。

 執刀医が此処に来る前に、妹の気が変われば良い話だ。

 思考を巡らせた翔太は早速ネットの記事を漁る。

 こういう時にはまとめサイトが一番役に立ちそうだ。

 数多の情報から算出されたデータはやはりどれもこれも悲惨な一途を辿る者達の記事が並ぶ。

 どうやら相当にグレーな手術らしい。

 検索結果にはそう示されている。

 だから、自らの言葉では妹に届き得ないのであれば、最早不特定多数の輩が書いた記事に頼るしか方法が無い。

 そしてそれ程までに落ちぶれた兄妹の関係と、己の不甲斐なさに翔太は嫌悪した。

 だがもう説得が不可能であれば、第三者の意見に委ねる他に無い。

 決断した翔太は椅子から尻を浮かして立ち上がろうとした。

 けれど、それも少しだけ遅かった。

 時間をかけ過ぎたのだ。

「小林・エレンさん。用意が整いました」

 一室を訪れたのは髪をオールバックにした長身の男性。

 堀の深い鷲鼻と、鋭い切長の瞳が特徴的だ。

 装いは清潔な白衣に首から下げた如何にもな身分を示すカード。

 全体的にスマートで自信家な印象が感じられる。

 俗に言う、まごう事なきイケメンである。

 そして往々にしてこの様な輩は人当たりの良い笑みを浮かべるのも上手い。

「では此方へ」

「ありがとう」

 すると、そんな翔太の予想通り案の定扉を開けてのエスコートすらも完璧だ。

 だが翔太のその双眸は、無神経に人の観察をするが故に、相手の奥底を探る。

 無論本質など見破れる筈も無い。

 しかし疑い深くて人間不信な翔太であるからこそ、透けて見える悪意が有る。

 例えそれがどの様なものであれ、人からの機微に対して過敏な彼には違和感でしか無い。

 加えてこの場に居合わせている執刀医が同性であるのも色眼鏡で見るのを止めさせた。 

 故により一層顕著に、この執刀医は翔太の不信を煽る存在に他ならない。

「待ってよエレン。もう一回よく考え直して欲しい」

 だから翔太は己のその直感に身を任せるがままに言い放つ。

 だが─

「いちいちうるさいわね。アタシに話しかけないで」

 背後を振り返ることすら無く、エレンは受け答えた。

 その声色は鮮明な怒りを露わとして翔太へと伝えられた。

 そしてエレンは一度として後ろを振り返ることすらせずに執刀医に促されるがまま、同室を後とした。

 一人取り残された翔太はといえば、己の兄としての不甲斐ない限りの醜態に呆然と妹の背を見送るばかりであった。



 *



 それから数時間が経ち、漸く部屋へと戻ってきたかと思えば、エレンは車イスに乗っていた。

 どうやら話を聞いてみると、少しずつ骨を砕いて調節していくらしい。

 だから暫くの間ここへの滞在を必要としている様だ。

 その為の旅行か。

 翔太は聞き及んでいなかった話にその場で頭を抱えた。

「ちょっとアンタ、少しくらい手伝いなさいよ。女の子が困ってるのにほんッと気が利かないわね」

 だがそんな翔太へと与えられるのは、妹からの罵倒のみ。

 どうやら早速手術による弊害が出てきた様だ。

「今アタシは身体が痛くてとてもイライラしてるの。だから早くベッドに寝かせて。早くっ」
 
 加えて下される命令染みた言葉を受けて、渋々ながら翔太はエレンを寝台へと乗せた。

 そしてそれを手伝った先程目の当たりとした執刀医の男はといえば、やはり愛想の良い笑みを浮かべている。

 だが翔太には途端になんだかその表情が無機質に思えてきて僅かながらに吐き気を催した。

 過去のトラウマだ。

 だがその様な事に拘っている暇は無い。

 今はただ、その手術の概要を目の前の男から聞き出す必要があるのだから。

「あの─」

「ちょっと止めてよね。そうやって色々聞き出そうとするの恥ずかしいし、普通に失礼だからホントに控えてちょうだい」

 どうやらその語る言葉が示す通り、受ける本人が知っていれば良いと思っている節がある。

 そんな己の妹の様子を見て、翔太は瞠目する。

 兄として最低限の責務を果たすべく動いたつもりが拒絶された。

 平素から良かれと思ってやった事がこうして空回りをする。

 本当に先程にエレンから言われた通りだ。

 己は心底から卑屈であり、空気が読めないらしい。

 そして改めてエレンの姿を観察すると、痛みで苛立ちを募らせている風に傍目にも見えた。

 ならば仕方が無い。

 一度執刀したのだから流石に少しは大人しくしているだろう。

 期間を空ければ思い直してくれるやもしれなかった。

 そう考えて翔太は頷いた。

「わかった」

 そしてそれだけ言うとエレンを説得するべくして、再びネットへと検索を掛けた。

 だが翔太の考えは甘かった。

 そう、日を跨いで翌日明けてみれば、彼の予想に反し、エレンの足は複数の釘で穿たれていたのだ。

 そして同時にそれからというもの、エレンはまるで何かに取り憑かれたかの様に痛みに苛まれ、翔太へと当たる事が増えた。
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