八尺様

ユキリス

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恐怖

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 そしてすぐさま村中へと住職の死亡が明らかとなった。

 しかしながら其処に警察が深く介入する事は無く、検証の結果は自殺であり、捜査には値しない様なのだ。

 故にその訃報が近所に知らされて明るみにされてからは、寺での葬式がすぐさま取り行われた。

 其処には多くの参列者が寺の神主の息子の元へと訪れたが、当然ながら翔太はそれを許されていなかった。

 翔太のその身に受けた呪いを未だ祓いきれておらず、その為住職の男が死んでしまったのだと寺の神主の息子は言った。

 だから翔太は、依然として部屋から一歩も出ることは無く、引きこもっていた。

 窓には札が貼られており、例え襖とてそれは例外ではない。

 一室においては余す所無く、壁をはじめとした床までもが全て札に覆われていた。

 大量に張り巡らされたそれは翔太の目から見ても過剰だ。

 けれどそれでも尚、足りなかった。

 だからこそ部屋の隅へと盛り塩の乗った皿を置いて、更には翔太を囲う様にもそれは配置されていた。

 ここまでして漸くよしえとかんぞうは気が済んだのか葬式へと出掛けていった。

 彼等とて無論の事、今は翔太から片時すら離れずに、傍らに居たいのだ。

 けれどもそうは問屋が卸さなかった。

 二人は当然ながら葬式への参加を望まれていた。

 それにこの村に住んでいる以上は、世間体もあるのだ。

 相応の権威がある住職の葬式に出向かなかったとあらば、村八分も免れない。

 その為よしえとかんぞうは、翔太に部屋からは絶対に出てはいけない事と、札を剥がしてはならない事を強く言い聞かせた。

 加えてこの村へと訪れた初日に手渡されたお守を、翔太はよしえとかんぞうの二人から改めて託された。

 それ等一連の出来事を経て、故に今翔太は、たった一人だけで部屋に居る。

 彼は未だに何故あの住職の男が自死を選んだのかがわからなかった。

 束の間といえど、確かな安堵を翔太へともたらしてくれたあの暖かい言葉は一体何であったのか。

 彼は果たしてどの様な心境で、あの儀式の際に、翔太へと言葉を掛けたのであろう。

 疑問は募るばかりであり、それと同時にやはり焦燥からは免れない。

 依然として儀式を受けた後それでも尚、恐怖に苛まれている最中の翔太は、ただ一人の部屋で、今を過ごしている。

 祖父等が不在の中、彼は確かにあのヒトでは無いナニカを警戒していた。

 だがそれも自ずと覚束なくなり、次第に疲労も溜まる。

 そして次の瞬間には、果たして同所へと妙な音が響いては聞こえた。

 異音などでは無く、それは歴とした人の声に他ならなかった。

 予期しない、その鈴を転がす様な可憐にも聞こえる音が、翔太へと何処からともなくもたらされたのだ。

 だが、明らかに人の声と理解しているにも関わらず翔太はそんな音の出所の主に対して途端に怯え始めていた。

 何故ならばその声は本来であれば此処では絶対に聞こえない筈であったが為。

 そう、聞き覚えのあるその声に脳裏へと呼び起こされるのは少女の顔。

 その人物は翔太にとっては想い人であった。

 それを自覚すると同時、やはり彼は否が応にも恐怖した。

 何故この場であの少女の声が聞こえるのかがわからない。

 だって彼女は翔太の家など知る筈も無い。

 それに今、あの女の子は東京に居て、こんな所に来ているだなんて有り得なかった。

 そう考えた所で、再び翔太へと少女の声が与えられる。

「翔太くん。ここ、開けて」

 耳としたのは、聞き慣れている同じクラスに所属している女子の声だ。

 けれど、一体どうして翔太の実家を知っているのかが分からない。

 それに、どうして玄関では無くて、窓を隔てた向こう側から話し掛けてくるのだろうか。

「翔太くん。ここ開けてよ」

 まただ。

 少女の口調は次第に強くなり、圧迫感も増している。

 そして、窓は閉め切り尚且つ、札と新聞を張り巡らせている。

 故に例え本当に向こう側に少女が居たとしても、本来であれば翔太に今用意されている閉鎖された部屋に対して声を届かせるなど有り得ない。

「翔太くん。ここ開けて。お願い」

 そして有無を言わせない物言いでもたらされたのは、再びの一声。

 だがこれを理解して尚、彼はその場から動かない。

 まるで金縛りにでもあった様に、自ずと身体が震えて身動きが取れなかった。

 焦燥に伴いベタベタとした汗が背中を濡らして、次第に心臓の鼓動も早鐘の如く脈動した。

 最早翔太はこの薄暗い一室の中で、立ち上がることすらままならない。

 更には恐らく窓の向こうに今も居ると思しき誰かが、動いた様な気配を翔太は得た。

 トントン、という軽いノックの如き音がして、彼は其処に何者かの存在を認識した。

 先程までは音のみであったが、現在では確かに実在を感じている。

 けれどもそれが希薄な事には相違は無く、翔太から話し掛けるには、恐怖が勝り未だ及ばなかった。

 微かな音と共に、窓が僅かに微動する。

 最初はその出来事は翔太へと驚きを与えたのだが、それ程恐怖は無かった。

 無論怯えてはいたが、声がするよりは幾分かマシだった。

 だが、幾度となく繰り返されるそのノックに対して、彼は次第に表情を強張らせていった。

 青ざめていた顔色が自ずと蒼白となり、自身の耳を両掌で抑えて、音が入ってこない様に塞いでしまう。

 例えそうしたとしても音は依然として聞こえるし、無意味であるのは理解していた。

 それでも否が応にもそうせずにはいられないまでの恐怖と焦燥を翔太は覚えていたのだ。

 だから彼はその場で蹲り、札や盛り塩に囲まれている部屋の中でただ一人だけ震えている。

 助けを求めたい。

 そんな気持ちこそあれど、今この部屋から逃げて一体何処へ向かおうというのか。

 今の自分はきっと外に出てはいけない。

 それを翔太は心底から痛い程に理解していた。

 だが次第に追い詰められていく翔太の意に反して、ノックは一向に鳴り止まない。

 まるで彼を責め立てる様執拗に同所へと延々に響き続けている。

「ねぇ、翔太くん。ここ開けて」

 加えて、これに伴い再びあの少女の声が翔太へともたらされて、焦燥から吐き気すら込み上げてくる。

 耳鳴りも酷く、その症状は精神の均衡へと影響を与えていた。

 幻覚や幻聴の類では決して無く、翔太の身を襲いくる圧迫感の様なモノは、確かに其処にある。

 ただ、この最悪の現状で唯一幸いであるのは、窓に貼られている新聞紙や札が剥がれる気配が無い事だろうか。

 依然として小刻みに窓は揺れているものの、無理矢理に開けられる様子も無い。

 それだけが今あるただ一つの光明であり翔太にとっての救いとなっているのだ。

 けれど、翔太を囲う様にこの部屋へと置かれている盛り塩には確かな変化があった。

 それはほんの僅かな差異であるが、これを目の当たりとして翔太は自らの身体が緊張し、震えがより一層酷くなるのを自覚した。

 先程までは其処にあった白色であった盛り塩の一部からは、線香の如く小さな黒色の煙が出ていた。

 そう、黒い霧の様なモヤが、僅かながらとはいえど、確かに其処に存在していた。

 翔太は呼吸を深くして、自らの動揺を抑えるべくするが、されど上手くいきそうにもなかった。

 けれどもまるで長時間走り続けた後の様な、この浅い呼吸を如何にかしなければならない。

 それは理解していたが、混乱している翔太には到底出来そうにも無かった。

 と、瞳の焦点も合わない彼が取り乱していたのも束の間の事である。

 すると突然、そんな彼へと不意に電話からのコール音がもたらされた。

 思いがけないその音は気が付けば少女に酷似した声と、そして同時に聞こえてくるノック音を掻き消していた。

 唐突で思わず驚いてしまい目を瞑ってしまった翔太だが、漸くその着信音と思しき与えられた外部からの救いに瞼を再び開けた放つ。

 そして気が付けば、既に少女の声は消え去り、けたたましく響いては聞こえる、電話のコールだけがこの場を支配していた。

 幾度か躊躇い迷う翔太は、数秒の後に何事かを決心した面持ちとなり、腰を挙げた。

 その場から立ち上がった彼は、部屋の隅に固定されている黒電話の元へと足を運ばせる。

 前に立ち、僅かながらに受話器の上で震えるその電話を手中へと納めると、次の瞬間には意を決して受け答えた。

「はい」


 そして電話越しの相手から、無機質な声色で伝えられたその内容とは、翔太の両親の訃報であった。

 曰くその死因は、育児疲れが原因の、自死だったのだとか。
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