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娼婦

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案内された店は古びた外装が今にも朽ちそうな雰囲気を醸し出す老舗であった。
外見に圧倒されて呆然とした表情で佇む優達を見て豪快に笑うグラド。

「そんなに驚くとは思わなかったぜ。こんな見た目だが味は保証するぜ」

腕前はそれなりであるようだが客層も孤児やら浮浪者やらが入店している姿が窺える。
故に足を踏み入れることに躊躇いを見せる優だったが不意に声がかけられた。

「おにーさん。わたしのこと買わない?」

燻んだ金髪に痩けた頬が目立つ少女だった。
痩身を包む衣服は露出の多いものだが痩せ細った身体は見ていて痛々しい印象を受ける。

「買うって?」

突然公共の場で声をかけられた優は困惑の表情で少女を見た。

「わかるでしょう?」

蠱惑的な表情を浮かべて身体を寄せてくる少女。
しかし少女の前に雪音は身体を割り込ませて棘のある声音で言い放つ。

「よるな」

雪音のような可憐な少女から出るとは思えない凄まじい圧迫感が少女を襲う。

「な、なによ。私はあなたじゃなくてそこのおにーさんに言ってるの」

少女は雪音の雰囲気に薄寒い寒気を感じたが、めげることなく優に訴えかけた。

「おにーさん。そこの店でお酌してあげるから。どう?最初は安くするからさ」

少女にとって優は今までにない上客であった。
身なりからして上質な服に身を包んだ姿からは貴族であることが窺える。
剣帯に吊るされているナイフは華美な装飾はされていないものの値打ちものであるのは誰にでも理解できる。

「あはは、どうしよう?」

優の瞳には同情の色が垣間見えた。
少女の痩躯を見て満足に食べることも叶わないことを理解したのだ。

「優‥先程も言いましたが今はリーナのことを第一に考えるべきなのです」

悩む優に対して諭すように柔らかい声で言う雪音に少女は明確な敵意を瞳に宿す。

「ねぇ、私エダっていうの。おにーさんの名前は?」

唐突に始まる自己紹介に呆気に取られる優は目を白黒させて言った。

「え、えっと優だけど」

思わず答えてしまったその言葉にエダは瞳に欲望の光を宿して笑みを浮かべた。

「へぇ、いい名前ね。それじゃあユウさんこれからご飯一緒にどうかしら?」

エダの必死な様子に優は益々表情を曇らせた。
年若い少女が痩せ細った身体で生活の糧を得るために男に媚を売る姿は悲壮感が漂う。

「流石にここまで言ってるのを断るのは気が引けるよ‥雪音‥だめかな?」

口では許可を雪音に求めているものの意見を曲げる気が一切ないことを雪音は察していた。
優という人間はエダのようなか弱い存在に対して滅法甘い。
その心中は容易に理解できた。

「はぁ、わかりました。ですが今回だけなのです。後になってつれて帰るたいというのは無しなのです」

エダのような女性が優に纏わりつくことは業腹だが仕方なく雪音は頷いた。
今更優を説得できるとも思えない。
ならば存分に甘やかす方針に切り替えた。

「じゃあよろしく頼むよエダ」

微笑みを浮かべてエダの向き直る優。
エダは歓喜を表情に浮かべて優の腕をとった。

「やった!それじゃあ入りましょうか」

店に入ることに対して躊躇いを見せる優の手をなんら遠慮した様子を見せることなく引っ張るエダに雪音は形のいい眉を寄せて不快感を露わにした。

「あなたは優から離れるべきなのです」

エダを優から引き剥がすべく両者の間に身体を割り込ませる。
そしてなんら躊躇する様子を見せずにエダの身体を突き飛ばした。

「きゃッ」

雪音の小さな身体から出たとは思えない膂力で押されたエダの身体は後退せざるをえなかった。

「ちょ、ちょっとッ。いきなり何するのよ」

目を見開いて抗議するエダに対して雪音は構うことなく優に身を寄せた。

「お酌ならわたしがしてあげるのです」

優の胸板に艶やかな指を這わせる雪音。
エダのようなあからさまに媚びを売る少女は優に懸想する雪音にしてみれば天敵といっても過言ではない。
牽制の意味も兼ねて大胆にも肉体を触れ合わせる雪音は照れを表情に浮かべて動揺する優を見て喜悦が自身の胸中から湧き上がるのを感じた。

「そ、そうか‥ありがとう」

対して優は雪音のような美しい少女に密着されたことにより胸を高鳴らせる。
しかし、その様子を面白くなさそうな表情で見つめるのがエダである。
彼女からしてみれば常に無表情で一切愛想の無い雪音如きに男を虜にすることに関しては一流な自身が蚊帳の外であることはあまりにも腹立たしいことであった。

「ちょっと!おにーさん!わたしとご飯食べてくれるんじゃないの?」

打たれ強い彼女は先程突き飛ばされたにも関わらず再び優の腕をとる。
両手に花の状態に戸惑いの表情を浮かべる優は助けを求めるように店の入り口で呆れた表情を浮かべて佇むグラド達を見遣る。

「おいおい‥嬢ちゃんもそこまでにしといた方がいいぜ。普通はお貴族様にそんなことしたら無礼打ちにされても文句は言えねぇぜ」

諭すように言うグラドの口調はエダを気遣う様子さえ伺うことができる。
彼は様々な国を旅してきた経験から貴族の性質の悪さは心得ていた。
無礼打ちならまだ序の口で残虐な性格の貴族ならば一家皆殺しにすることも稀では無い。
その点優のような平民に寛容な態度で接する貴族というのは見たことがなかった。

「う‥わかった。でも一緒にご飯してくれるって言ってくれたしッ」

強面のグラドに嗜められたエダは気圧されて優から一歩身を引いたものの語気も強く反論してみせた。
しかし追い打ちをかけるかのように腕を組んだレーネが蔑みの瞳をエダに向ける。

「そこまでしてその男に取り入ってどうするつもりかしら?浅ましいわね。わたしなら絶対しないわ。どれほどその男が偉い立場でもね」

毅然とした態度で豊満な胸部を後ろに反らせて胸を張る彼女は同性のエダから見ても見目麗しい女性だ。
豊満な胸部を誇示するように腕で押し上げて優越感を瞳に宿し、全てを見下す姿はさながら劇に出てくる悪役令嬢。
しかし、エルフ特有の美しい美貌が彼女の滑稽な振る舞いを昇華して魅了的になもの思えるのは流石といえよう。

「ぐッ、でも‥あなたエルフでしょう?‥狡いのよ‥」

悔しさを表情の滲ませて苦しげに言うエダにレーネは美しい顔に嘲笑を浮かべる。

「負け惜しみね‥私はあなたのような薄汚い人間は嫌いなの。できれば消えて欲しいのだけれど」

辛辣な侮辱の言葉を述べるレーネにエダは眦に涙を浮かばせて唇を戦慄かせた。

「ッわ、わたしだってあなたみたいに恵まれた環境で育ってきた人間が嫌いッ。どうせ親だって優しくて食べるのにも困らなくて温かいところで寝れて‥ううッう‥う」

大粒の涙を大きな瞳から次々の零れ落ちる。
傍で痛ましげな表情を浮かべる優だが対照的に白けた表情でレーネは言い放つ。

「あなたの言っていることは所詮想像に過ぎないわ。一方的な決めつけで人の過去を語らないで欲しいわね」

泣き崩れるエダに淡々と言い放つ様は悪魔の所業に等しく思えた優は仲裁に入ろうとするもエダの大声に遮られる。

「うそよッだってその耳あなたハイエルフでしょッ。エルフの王族がどれだけ偉いかくらいわたしだって知ってるわッ。わたしが娼婦だからって馬鹿にしないでッ」

矢継ぎ早に放たれる絶叫を辟易とした表情で聞くレーネ。

「寒い路地裏で寝たことなんてないんでしょう?一日中食べ物を探して、それでも見つけられなくてお腹が空いて暗い夜を道端で蹲って過ごすこともあるッ」

エダの口から放たれる悲劇にレーネはそれでも一切の動揺を示すことなく告げた。

「そう‥でもそんなこと何処にでもありふれた話ね。いい加減聞き飽きたわ」

無慈悲にも一言で切り捨てたレーネはエダに手を翳した。

「なに?」

その動作の意味が分からず困惑の表情を浮かべるエダにグラドは焦燥の表情を浮かべて叫ぶ。

「伏せろ!」

細く傷ひとつない白く美しい五指にはめられた金色の指輪が眩い輝きを放つ。
広げられた手の平の手前、その虚空から突如として旋風が巻き起こる。
それはこの世の理を捻じ曲げる限られた者にしか扱うことができない超常的な力。
可視化されるまでに空間を歪ませた脅威がエダに放たれようとしていた。

「死になさい」

痩せ細った少女如きなら一撃で葬り去ることのできる威力の込められた風刃は死の宣告と共にエダに向かって放たれた。

「え‥」

身の危険が迫る状況下で身を硬直させるエダにその脅威が眼前にまで迫る。
直撃を確信したレーネは既に興味を無くして踵を店の入り口へと向けた。

「うッ」

しかし痛みによってあげられたのは男性の声。
レーネは違和感を感じて振り返り、驚愕に目を見開いた。
そこにはエダを背に両腕を広げて庇う優の姿があった。

「無事‥かい?」

エダ気遣う優しげな表情で振り返る優。
しかし身体には一直線に深く抉られたような傷ができていた。
傷口からは夥しい量の血が溢れ出て地面に血溜まりを作る。

「え‥え‥どうしよう‥どうしよう」

ようやく目の前の状況を理解したエダは周囲に縋るような視線を向けて助けを求める。

「おいおい‥レーネよ‥さすがにこれはまずいぜ。こんな人目のつくところで貴族を殺すなんてどうするんだよ」

先程まで瞠目の表情を浮かべていたグラドだがこの場の誰よりも早く我を取り戻してレーネに鋭い視線を向けた。

「ど、どうするって‥冒険者の諍いなんてよくあることじゃない‥今更騒ぐことでもないでしょう?それに私たちは上級よこんなことくらいで除名されるなんてことはないわ」

グラドの責めるような視線を受けて動揺した表情を見せるもののそれも次の瞬間には焦燥感を感じさせない冷静な声音で述べてみせるレーネ。
しかし、彼女の言葉を否定したのは同格の冒険者であるグラドであった。

「だめだ。それは相手が同業者か平民だった場合のみに限り通る理屈だ。今回は貴族だ。国に仕える役人に対して狼藉を働いた場合最悪斬首刑もあり得る」

同情を瞳に宿してレーネに語るグラドの声音は普段の快活さが失われていた。

「けれど私はエルフの王族よ。彼のような下級貴族如きを一人や二人殺してもどうってことないわ」

自身の優位を饒舌に語る彼女の態度は未だ余裕のあるものだった。
しかし、その澄んだ凛とした表情はグラドの次の言葉によって凍りつくことになる。

「エルフの国なんていう小国の権威
なんてたかが知れてる。貴族を殺されたことを口実に
戦争を仕掛けてくる可能性すらある」

自国を侮辱されたにも関わらずレーネは怒りを感じるどころかその表情は焦燥感に満ちたものになっていた。

「そんな‥どうすば‥」

初めて動揺を露わにしたレーネは俯いて熟考する。

「お前の得意な魔術とやらでなんとか出来ねぇのかよ」

グラドの提案にレーネは緩慢に首を振る。

「不可能よ。見なさい血が流れすぎているわ。今更傷を塞いでも手遅れ」

己の力が及ばない現実に歯噛みしながら説明するレーネの手は硬く握られていた。

「なら‥どうする?」

説明を受けて己の提案が実行不可能であることを理解すると焦燥を露わにしてレーネに尋ねる。

「そうね‥治すのが無理なら目撃者を消すしかないわね」

切長の鋭い瞳が冷たい光を帯びる。
レーネは自然な動作でエダに手をかざした。

「本気か?もう此処にはいられなくなるぞ」

グラドの驚愕する表情を一瞥してレーネは口の端を邪悪に吊り上げた。

「ちょうどよかったわ。私だってもうこんな薄汚い人達が居る場所から出て行きたいと思っていたところだもの。この場で全員殺すわ」

レーネの無慈悲な言葉に唖然とした表情を浮かべて続く言葉を失うグラド。

「さようなら」

感情の籠らない言葉と同時に周囲に暴風が吹き荒れた。
竜巻のような疾風は次第にレーネのかざした手中に収束した。
先程の風刃とは比較にならない風圧がその場にいる者達を襲う。

「ひッ」

目の前の脅威に怯えた表情で身を硬直させてエダ小さな悲鳴をあげた。
しかし、そんな不憫な様子になんら構うことなく爆風がエダに向かって放たれた。

「いい加減にするのです」

しかし、それがエダの身体に至ることはなかった。
雪音は唐突にエダの正面に立ちはだかると同時にレーネと同様眼前の爆風に手をかざす。
すると吹き荒れていた数多の風刃が集合した脅威は跡形もなく全てが消失した。

「うそ‥」

自身の全力が防がれたことに対して驚愕の表情を浮かべるレーネに雪音は宝石のように神秘的な輝きを放つ紫紺の瞳を向けた。

「うッ」

劇場を秘めた眼差しに気圧されたレーネは一歩後退した。
人形のような無表情は傍目から見たら恐ることもない。
しかし、直接対峙するレーネは雪音の凄まじい敵意を肌で感じていた。

「呆れるのです。まさか優の前で彼女を殺そうとするとは‥。それにこの世界はなんなのですか?力が弱まっているのを感じるのです」

実際に雪音は先程優に向かう風刃を消失させることを試みた。
しかし、防ぐには至らなかった。

「まあいいです‥あなたには二つの選択肢があるのです。この場で地に頭を伏せて謝罪をしてから自害するか。それとも苦痛を味合わされてわたしに殺されるか。選ばせてやるのです」

重圧すら伴う圧倒的な圧力がレーネを襲う。

「う‥そんなの‥そんなのどっちも一緒じゃない‥」

恐怖を表情に浮かべて雪音を恐れるレーネ。

「そんなことはどうでもいいのです。では死んでください」

言葉と同時雪音のかざした手中に現れたのは先端が尖る拳大の氷柱。

「ふ、ふふ‥そんなもので私を殺そうとしていたのは?愚かね‥いいわ‥喧嘩を売ってきたことを後悔させてあげるわ」

恐怖から一転嘲笑の笑みを浮かべてレーネは言い放つ。
呼応するように空間が震える。
虚空から現れたにのはいくつもの火の玉だった。
浮遊する火炎は雪音の周りを覆うように囲い込んだ。

「はぁ‥往生際が悪いのです」

呆れを表情に浮かべる雪音を見てレーネは歯軋りをして苛立ちを露わにした。

「そう‥そんなに死にたいの?今すぐ望み通りに殺してあげるわ」

レーネが開いていた手のひらを握りしめるとと同時に数多の火炎が雪音に殺到する。
迫る灼熱の炎になんら取り乱すことがない雪音は抵抗する様子すら伺うことができない。
熱風の軌跡を描く火炎の球は轟音をたてて雪音に着弾した。
爆炎に身を包まれて姿を消した雪音の様子に己の勝利を確信したレーネは笑みを浮かべた。

「大口を叩いていた割には呆気ないわね」

 自身を脅かす脅威を排除できた喜びに浸るレーネは焼死体になった雪音の姿を確認すべく視線を爆炎で注意に舞う砂塵へと向けた。

「なッ」

しかし、晴れゆく視界映ったのは何事もなかったように無傷で佇む雪音の姿だった。

「どうして‥」

驚愕に目を見開いたレーネは受けた衝撃の耐えきれずに思わず疑問を口走った。

「何故なのかは明白なのです。わたしの方があなたよりも格上だということですよ。ほら‥次はわたしの番なのですよ」

雪音は混乱するレーネを意に解すことなく未だ爆風の最中であっても尚維持していた氷柱をレーネに向けて放つ。

「ッこんなもの」

空気を切り裂き狙いを逸れることなく迫り来る氷柱にレーネは己の行使できる最大の力でもって防御に努めた。

「ぐッううううッ」

眼前に展開した展開したのは先程と同様の火球であったが次第に大きさは増していきレーネの身体全体を覆い隠せる程にまで膨張した。
氷柱は軌道を変えることなく灼熱の炎に姿を消した。

「ふ、ふふ‥所詮はこんなものよね‥ハイエルフである私に魔術で勝負を挑むなんて愚かしいことね」

炎の熱で蒸発した氷柱を嘲笑うレーネに雪音は表情を変えることなく言い放つ。

「当然これで終わりではないのです」

言葉と同時に雪音の周囲に凄まじい量の魔力の迸りを感じた。

「‥何よその量‥」

驚愕を通り越して唖然とした表情を浮かべるレーネに構うことなく雪音はレーネを囲むように無数の氷柱を形成した。
それは先程とは比較にならいないほどに巨大で密度の高いものだった。

「くッ」

レーネは慌てて炎の魔術を展開して身を守る。

「終わりです」

雪音が死の宣告を送るとともに四方八方から放たれる氷柱は容赦なくレーネを貫かんと迫る。
炎は数多の氷柱を溶かすことに成功したものの脅威を全てを消滅させるには至らなかった。
蒸発させる際に生じた水蒸気がレーネの身を隠す。
レーネの絶命する姿を視認することは不可能だが未だに続く氷柱の攻撃がその身を差し貫いていることが容易に予想することができる。

「なんだ‥これは‥」

何事もなかったように無表情で佇む雪音に唖然とした表情を向けるグラド。
レーネのような凄腕の魔術師を容易く殺すことができる雪音に恐怖を感じたグラドは一歩後ずさる。
しかし、次第に消えていく霧の中には未だ傷ひとつなく佇むレーネの姿が見えた。

「お前‥無事だったのか?」

グラドは驚愕の表情を浮かべてレーネを見た。

「ええ‥何とかね‥でも‥もうだめかもしれないわね」

言葉通りレーネの身体には傷ひとつないものの荒い息を吐いて憔悴した表情を浮かべていた。

「そうか‥どうする謝ってみるか?」

グラドの提案にレーネは諦観の笑みを浮かべて自嘲するように言った。

「それで許してもらえる相手だと思う?さっきののは確実に殺しにきていたわ。‥それに‥もう私の戦う力が残っていないことはあっちも理解しているはずよ‥もうここで終わりね‥」

疲労で立っていることもままならないレーネは地面に膝をついた。

「そうか‥」

グラドは悲しみを表情に浮かべて俯いた。
彼らしくない態度にレーネは笑みを浮かべて言った。

「まあそこそこ楽しかったわよ‥あなたとの冒険は」

その言葉にグラドは顔を上げてレーネを驚きの表情で見た。

「意外だな‥お前からそんな言葉が聞けるとは」

レーネは頬を皮肉げに歪ませて言った。

「そうね‥私も死ぬのが怖いのかもしれないわ‥だからこんな思ってもないことを言ってしまったのかもしれないわね」

己がこれから死ぬことを理解してその恐怖に表情を歪ませた。
漏れてしまった弱音にグラドは苦笑を浮かべて応じる。

「そうか‥俺もお前といて楽しかったぜ‥じゃあな」

グラドは言葉と同時にレーネから距離をとる。

「ええ、あなたのにこれからの人生に幸があることを祈っているわ」

レーネも同様に別れを告げる。
お互いに掛け合う言葉は短いものだったが二人ともこれ以上を望んではいなかった。

「別れは済みましたか?それにしても先ほどはどのような手段をを用いて防いだのですか?本来あなた如きの力ではわたしの足下にも及ばないはずなのです」

雪音は己の攻撃が防がれたことに対して不満を感じていた。
見立てでは確実に仕留め切れるはずであった。
しかし、その予想に反してレーネは生き延びて見せた。

「あら‥目がいいのね‥ご名答よ‥本来なら私にあなたの魔術を防ぐ術はなかったわ‥」

自嘲を表情に浮かべて言うレーネに雪音は苛立ちを込めた低い声音で問うた。

「だからその方法を聞いているのです」

雪音の鋭い視線を受けてもレーネは臆せず言葉を続けた。

「ふふ‥知りたい?‥でも教えてあげないわ‥どうしても知りたいなら‥そうね‥見逃してくれないかしら?」

息も耐え耐えの状態で自嘲するような笑みで言うレーネに雪音は表情を変えることなくその懇願を無慈悲にも切り捨てる。

「そうですか‥疑問を解消できないことは残念ですが仕方がないのです」

言葉とは裏腹に微塵も躊躇う様子を見せずに雪音は再度氷柱を生み出した。
レーネは瞳から涙を零して嘆きの表情で天を仰ぎ見る。
死の覚悟を決めたレーネは幼い頃から今までの生きてきた軌跡を思い浮かべた。
辛いことこや悲しみの方が遥かに多い人生だったが何故か今は生きていたい気持ちの方が強いことに自嘲した。
風を切る音が聞こえた迫り来る痛みにを予想して目を瞑る。

「‥」

しかし一向にやってこない痛みにレーネは瞼を恐る恐る開いた。
そして視界に入った光景に絶句した。
なんと己が先程殺したユウが雪音の顕現させた氷柱を素手で掴み取っていた。

「あ‥え‥」

目の前の光景に呆気に取られた表情を晒すレーネの眼前でユウは厳しい表情で雪音に言った。

「殺したら‥だめだ‥」

氷柱を離さない優に雪音は眉を顰めて怒りを露わにした。

「でも彼女は優のことを傷つけました」

優は喜びを表情に浮かべて雪音を抱きしめる。

「心配してくれてありがとう‥でも大丈夫だ‥この通りなんともないよ」

優しい手つきで雪音の頭を撫でる優に雪音は表情を弛緩させて身体から力を抜いた。

「わかりました‥でも次にこのようなことがあった場合はたとえ優が望んでいなくてもわたしは相手を地獄に落とします」

その言葉には覆すことのできない確固たる意志が感じられた。
優は苦笑を浮かべて雪音の絹のような髪を手で優しく梳いた。

「ありがとう‥流石にこんなことはもう無いと思いたいけどね」

辟易とした優の様子に雪音は顔を顰めていった。

「わたしは彼女の魔術の無効化を試みました。なのに全く影響を与えることができないというのは不可解なのです」

雪音の疑問の言葉に優は頬を引き攣らせた。

「雪音の力が使えないなんて‥そんなことあるのか?」

現代では万能を誇る雪音の力は何故か異世界では通用しない。
それは優を驚愕させるには充分な事実だった。
雪音は悔しさを込めた声音で躊躇いがちに言った。

「はい‥ほとんどの力は行使することはできないのです」

原因のわからない事態に焦燥感を感じた優はレーネに視線を移して言った。

「それじゃあ‥早くこれからの打ち合わせをしましょうか」

放たれた言葉にレーネは呆気に取られた表情をしたもののすぐさま我に返って躊躇いがちに言った。

「‥あなたは何故生きているのかしら‥」

レーネの疑問に優は返す言葉を迷ったもののありのままを語ることにした。

「うーんなんて言えばいいんだろう。この世界の言葉で言い表すなら‥えっと‥魔術ってやつなのかな」

優の曖昧な言葉にレーネは驚愕の表情を浮かべて言った。

「嘘よッ!たとえ高位の神官でもあそこまでの治癒魔術を行使することはできないわ。‥それに血を流しすぎていたわ。そんな状態で使えるとはとても思えないわ」

レーネの否定の言葉の困った表情を浮かべて優は雪音を見た。
雪音は鋭い視線でレーネを見遣り、低い威圧するような声で言った。

「それをあなたが知る必要があるのですか?それよりも殺さないであげていることに感謝すべきなのです」

雪音の冷たく言い放つ言葉にレーネは恐怖を表情に浮かべて口を噤む。

「まあまあ‥それくらいのして早く依頼の話をしませんか?だいぶ日も暮れてきましたし」

険悪な雰囲気を漂わせる二人の間に入った優は逸れた話を元に戻す。

「‥わかったわ‥」

レーネは顔を俯かせて緩慢な動作で頷いた。

「あ‥あとエダさんも一緒でいいですよね?」

未だに茫然自失とした表情で佇むエダを見て言う優にレーネは諦観を浮かべた表情で言った。

「‥もう好きにして‥」

沈んだ声音で覇気の感じられない表情を浮かべて言うレーネ。
優は離れたところで様子を伺っているグラドにも声をかける。

「それじゃあ入りましょうか‥ちょうどお腹が空いてきたので楽しみです」

上機嫌に弾んだ声で場違いにも言い放つ優の言葉は嫌に大きくこの場に響きわたる。

「あ、ああ‥味は俺が保証する」

優の悠然とした態度に薄寒いものを覚えたグラドは背筋を震わせた。
しかし、優の前には両腕を広げて道を塞ぐ雪音の姿があった。

「全く‥優はいつも無茶ばかりするのです‥心配するわたしの身にもなってほしいのです」

対して不機嫌な表情を隠しもしない雪音は優の首に両腕を回してぶら下がる。
雪音可愛いらしい悪戯に優は頬を綻ばせる。

「こら‥ふざけている場合じゃないだろう。これから大切な打ち合わせなんだから真剣にことにあたらないとだめだ」

窘めの言葉に雪音は素直に腕を離したかと思えば今度は優の後ろに回り込んで言った。

「わたしは先程の戦闘で疲れましたなのでおんぶを所望するのです」

その言葉に辟易とした表情を浮かべたものの優は背を向けたまましゃがみ込んで雪音を背負る。

「やはりここは居心地が良いのです」

機嫌を良くした雪音は歓喜を表情に浮かべて優の背中に頬を擦り付けた。

「ちょっと‥くすぐったいな」

優は照れ笑いを表情に浮かべてエダに視線を向ける。

「それじゃあ‥ほら‥エダさんも行こう」

優からかけられた言葉にエダは緊張に声を上擦らせて言った。

「は、はいッ‥ユウ様」

そのエダのあまりにも謙った先程との態度の違いに優は首を傾げた。

「そんな敬語なんて使わなくても‥さっきみたいな感じで構わないよ」

急に態度を変えたエダに訝しげな視線を向ける優。
その否定の言葉にエダは顔を青ざめさせて声を震わせる。

「いえ‥神様にそのような態度はできません‥」

エダの言葉の意味を理解できない優はその疑問を訊ねる。

「神様?まさか‥そんなわけないだろ」

貴族の演技はしていた記憶はあるものの神様のような振る舞いをした覚えは優にはなかった。
否定の言葉にエダはかぶりを振って確信の篭った瞳を優に向けた。

「何か正体を隠さなくちゃいけない事情があるのはわかります」

したり顔で頷くエダに訝しげな視線を向ける優。

「でも大丈夫です。わたし誰にも言いませんから」

真剣な表情で言うエダに説明することを億劫に感じた優は諦観の表情を浮かべた。

「君が僕を神様だと思う理由を聞かせてくれないか?」

優の質問にエダは確信を持った強い口調で言った。

「一度死んだのに生き返ることができるなんて神様しかできません」

確かにレーネの攻撃による致命傷を負い、その状態から自力で生きながらえたのは事実である。
しかし、己は神様と呼ばれるにはあまりに矮小な存在で不敬がすぎると優は思った。

「うーん‥どうしよう‥雪音はどう思う?」

優は己では判断できかねる事態に辟易した様子で雪音に尋ねてみると彼女は話の内容になんら関心を示すことなく言う。

「早く店に入るのです‥いい加減お腹が空いたのです」

己の空腹を主張するして我が道を突き進む雪音にため息を吐いた優は頷いた。

「ああ‥そうだね‥じゃあ‥皆さん入りましょうか」

声をかけられた各々の反応は顕著なものだった。

「ええ‥今回のことはごめんなさい‥私のせいで要らない手間をかけてしまったわね」

殊勝にも頭を下げて謝罪の言葉を言うレーネ。
しかし、優から片時も視線を外すことなく優を見つめるレーネの視線にはどこか探るような色が含まれていた。

「ああ‥だが流石にこんな時間になっちまうと魔物が活発化するから迷宮に行くのは明日だ。だから今日は打ち合わせだけになるぞ」

疲労感を滲ませた表情で言うグラドの表情からはできればもう関わりたくないと言う感情があからさまに窺えた。

「はいッ誠心誠意ご奉仕させていただきます」

対して声に張りのないグラドとは対照的にエダは声に元気を漲らせて力強く頷いてみせる。

「う、うん‥ほどほどにね」

エダから発せられる凄まじい威圧感に気圧されて一歩距離を置く優だが即座にエダは距離を詰めた。

「はあ‥」

このような調子で本当にリーナを探し出すことができるのか不安を覚えた優は雲ひとつない快晴の空を仰見る。
晴れ渡る空から降り注ぐ日光に元気を貰いこれからの依頼の内容のすり合わせのための話し合いへと挑むのであった。












































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